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神々を継ぐもの  作者: パウロ・ハタナカ
第五章 異変 前編
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 洞窟は迷路のように地下深くに続いていた。とにかく暗く広大で、岩壁は不規則で奇妙な形状をしていて、半透明の体表を持つ昆虫が這いまわっていた。たしかに森には多くの洞窟が存在していたが、〈境界の砦〉の近くに、これほど深い洞窟があるとは想像もしていなかった。


 暗闇の先から人々の話し声が聞こえるにつれ、松明(たいまつ)の炎がぼんやりと周囲を照らすようになっていく。雨音は遠ざかっていたが、水が流れる微かな音が途絶えることなく聞こえていた。


 ヌメリのある岩壁には奇怪な地層が見られ、途方もない歳月の流れを感じさせる場所になっていた。足場は悪く、水溜まりができていて注意深く歩かなければいけなかった。


 やがて天井の高い広大な空間が見えてくる。その空洞は今までの場所と異なり、無数の篝火(かがりび)が焚かれ、天幕が張られているのも確認できた。そしてその広大な空間のなかに、呪術師や暗部に所属していると思われる戦士の姿が見えた。


 戦士たちは、篝火によって暗闇のなかに浮かび上がる古代の神々の石像に向かって(ひざまず)いていた。巨大な石像は荘厳で、神秘的な雰囲気を醸し出していて、その周りには生け贄として捧げられた複数の獣の死骸が横たわっていた。


 それらの石像は、何世代にもわたって守られ崇拝されてきたような奇妙な印象を与えた。しかしそれは錯覚なのだろう。この洞窟は〈獣の森〉を管理する守人にすら、その存在を知られていなかったのだから。


 アリエルと豹人の姉妹は岩陰から身を乗り出すようにして周囲の状況を観察する。おそらくこの空間は、暗部や呪術師たちの秘密の儀式の場所になっていて、聖域のように扱われているのだろう。彼らは(いにしえ)の邪神に生け贄を捧げることで、何らかの力を得ている可能性があった。それを物語るように、この空間は息の詰まるような呪素(じゅそ)に満たされていた。


 それは森の外で遭遇した混沌の化け物が身にまとっていた瘴気を思い起こさせた。彼らが何を計画しているのかは分からなかったが、すぐに敵を排除し、この場所を封印したほうがいいのだろう。


『エル』

 青年が振り返ると、炎の灯りを反射し暗闇のなかで極彩色(ごくさいしき)に輝くリリの眸が見えた。

「どうしたんだ、リリ」


『ラファを見つけたかも』

 それは予想外の言葉だった。この場所に捕らわれている可能性を考えていたが、まさか本当に捕まっているとは思っていなかった。けれどそれは好都合でもあった。ここでラファを救い出せれば、攻撃が計画されているかもしれない〈境界の砦〉に留まり、敵の襲撃に警戒できる。


 異形の神々に向かって祈りを捧げている呪術師たちの姿を確認したあと、アリエルたちはラファを救出するため、無数の天幕が張られた敵拠点に侵入する。


 呪術を使って敵の気配を探りたかったが、近くにいる呪術師に検知される可能性があったので、呪術を使わずに近づくことにした。明らかに多勢に無勢で、ここで呪術師や暗部の戦士たちと争うのは自殺行為だった。


 岩陰から離れ、暗闇に紛れるようにして、無数の天幕が張られていた場所に近づく。幸い、敵は神々の石像に向かって祈ることに没頭していて、付近に戦士たちの姿は見られなかった。


 ふと石像に祈りを捧げていた呪術師たちに視線を向けると、おもむろに赤紅色のローブを脱ぎ捨てるのが見えた。篝火に照らされ彼女たちの裸体は美しく、同時に恐ろしくもあった。その白く透き通るような素肌には傷ひとつなく、淡い色合いの乳首を見ていると、頭の奥が痺れるような奇妙な感覚がした。


 彼女たちは円を描くように、獣の死骸が捧げられていた祭壇の周囲を歩いた。すると光で形成された円環が宙に浮かび上がるのが見えた。その薄青色の光は彼女たちの肌に奇妙な輝きを与え、幻想的な光景をつくりだしていく。


 円環のなかに描かれる複雑な模様を見た女性のひとりが踊り出すと、それを見ていた他の女性も一心不乱に踊り始めた。そして髪をなびかせ、乳房を揺らし、腕を高く上げながら石像に向かって歌い始めた。


 その歌声は洞窟に響き渡り、奇妙な振動が壁を伝って洞窟全体に広がっていくのが分かった。彼女たちが口にするのは言葉というより、なにか忌まわしい呪文が(ささや)かれているように聞こえることがあった。それはアリエルにも、豹人の姉妹にも理解できなかった。ただ力強い音が瘴気をまとい、空間に影響を与えているようだった。


 裸の女性たちは歌い踊りながら獣の死骸に近づく。その姿は妖艶(ようえん)で、彼女たちの裸体は炎の中で煌めいていた。けれど見惚れているわけにはいかない。洞窟の奥深くで邪神に生け贄が捧げられ、混沌の力が高まっていくのが感じられた。


 すると女性のひとりが抜き身の刀を手にするのが見えた。彼女は獣の腹部を裂くと、そのなかに腕を入れる。そして獣の内臓を引っ張り出すと、それを自らの身体(からだ)に擦りつけていく。刺激によって立った乳首が赤黒い血液に濡れ、乳房がヌメリのある体液にまみれていく。


 その行為にどのような意味があるのかは分からなかったが、彼女が身にまとっていた呪素が濃くなっていくように感じられた。そしてそれを見ていた他の女性たちも獣の血に濡れ、笑顔で歌い続けていた。それはひどく奇妙でグロテスクな儀式だったが、彼女たちがその儀式に集中している間にラファを救いだすことができるだろう。


 天幕には武器や物資の詰まった木箱が積み重ねられていた。どうやら本格的な拠点になっていて、襲撃のための準備を整えていたことが分かった。しかし守人に知られることなく〈獣の森〉に物資を運び込んだ方法は、依然として分からなかった。空間転移が可能な呪術器を使用したのだろうか。


 アリエルたちは慎重に行動し、敵に捕らわれていたラファがいる場所まで接近する。若き守人は洞窟の奥深くにある岩の柱に縛り付けられていた。手足は錆びた鉄の鎖で固定され、痛々しい傷跡が全身に確認できた。皮膚は赤くただれていて、火傷のあとがあり、長時間にわたり酷い拷問を受けていたことが確認できた。


 ラファは柱に寄り掛かるようにしてぐったりとしていて、意識を失いかけていた。髪は汗と血でぐしゃぐしゃになり、目は腫れ上がっていた。呼吸も浅く、息を吸いこむたびに嫌な音が聞こえた。すぐに治療しなければいけないだろう。


 拷問による苦痛で、ラファはほとんど動けない状態だったが、生きることは諦めていなかった。その眸には不自然なほどの力強さが宿っていた。


 少年の拘束を解こうとして近づいたときだった。アリエルは腹部に鋭い痛みを感じて、飛び退くようにして後退る。どうやら小刀で刺されたようだ。


 ラファに視線を向けると、笑顔を浮かべていた少年の皮膚が――まるで蝋燭(ろうそく)が溶けるようにして地面に零れていき、その下に赤黒い血液に濡れた女性の顔があらわれる。


 呪術師の罠だ。ノノとリリにも察知できない高度な〈幻視〉の呪術を使われたのだろう。そこでラファの姿に化けていたのは、邪神の像に生け贄を捧げていた女性のひとりだった。


 背筋に冷たいものが走るのを感じて周囲に目を向けると、そこにも血に濡れた裸の女性たちが立っていた。いつの間にか彼女たちは、我々を包囲するように接近して来ていた。あるいは、最初からそこに潜んでいたのかもしれない。


 アリエルが肩に背負っていた両手剣を鞘から引き抜くと、天幕の向こうから武装した戦士たちが次々と姿を見せる。最悪な状況で暗部の戦士と戦うことになりそうだった。


 腹部の傷口に〈治療の護符〉を押し当てると、血液に濡れた手で大剣の柄を握る。ノノとリリも体内の呪素を練り上げていて、すでに戦う準備ができていた。こんなことになるのなら、呪術を使って一気に敵を殲滅しておけば良かった。アリエルはひどく後悔していたが、もはやどうすることもできなかった。

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