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神々を継ぐもの  作者: パウロ・ハタナカ
第五章 異変 前編
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 灰色の空からは小雨が絶え間なく降りそそぎ、森の音をくぐもらせ、アリエルたちの顔を冷たく濡らした。風がワイワイと木々の葉を揺らし、騒がしい音を立てるなか、かれらは黙々と進んでいく。


 道はぬかるみ、足元の落ち葉や小枝は湿って滑りやすく、歩くたびに(にご)った泥水が飛跳ねていく。気を抜くと木の根元に足を取られそうになり、つまずきそうになるが、そのたびに気を取り直して前進した。かれらの衣服と毛皮は雨で濡れ、少しずつ重くなっていく。


 前哨基地でルズィたちと合流したあと、アリエルとラライアは息をつく間もなく、〈転移門〉を使い守人の拠点である〈境界の砦〉にほど近い森に移動した。それから一行は転移門がある遺跡をあとにし、轍の残る獣道に出て、混沌の化け物の骨が転がる危険地帯を横断した。


 アリエルは雨粒の落ちる音、そして森の奥から聞こえる遠吠えに耳を澄ませる。かれは先頭に立ち、呪術による照明に頼ることなく、周囲の動きに警戒しながら歩いていた。


「それにしても」と、アリエルの報告を聞いたルズィが言う。

「それほど恐ろしい〝混沌の化け物〟が、森の外にいるなんて想像すらしていなかった」


「あの都市遺跡が特別だったのかもしれない……」

 青年は都市の異様な光景を思い出しながら言う。

「現地の人間は呪術すら使えなかったんだからな」


呪素(じゅそ)が存在しない土地に暮らす〝呪術を知らない人々〟か……たしかに興味深い話だ」


「信じてないのか?」

 アリエルの言葉にルズィは肩をすくめる。


「兄弟の言葉は信じているさ。ただ、そんな土地が存在するってことに驚いているだけだ。実際のところ、俺たちは呪素や呪術に触れて育ってきたんだ」


「すぐに受け入れるのは難しいか……」

「そういうことだ。それに呪術師がいないとなると、いろいろと面倒なことになる」


「首長のことか?」

「ああ、相手は呪術師すらいない格下だからな、森の民のためだとか言って、部族を巻き込んで大規模な侵略戦争を始める可能性もある」


「たしかに面倒だ……」

 〝このことは部族の人間に知られないように、細心の注意を払わなければいけない〟とアリエルは考えた。そして、〝また厄介な秘密が増えた〟と頭を抱える。

「ところで、ラファには何が起きたんだ?」


「単純だが、深刻な事態だ」ルズィは言う。

「ラファは守人としての任務を遂行するため、〈境界の砦〉に帰還していたが、そこで連絡が途絶えた」


「偵察任務が長引いている可能性は?」

「それはない」


 アリエルの問いに答えたのは、途中で合流した〝影のベレグ〟だった。

「すでに他の守人が砦に帰還したことを確認した。行方知れずになっているのはラファだけだ」


「なら、砦で消息が途絶えたのか?」

「どうだろうな」とルズィは眉を寄せる。

「異変に気づいたのは、任務を終えたラファを迎えにきたときだ。おかしいと気づいたときには、〈念話〉の呪術器も使えなくなっていて、連絡を取ることもできなくなった」


「砦周辺で怪しい動きは?」

「数人の守人が見慣れない部族の戦士を見たそうだ」


「どうして部族の戦士が辺境の砦に?」

「俺も最初は兄弟たちの言葉を疑ったが――」と、影のベレグが言う。

「だが砦周辺を調べていたら奇妙な痕跡を発見した。明らかに守人以外の人間がいた」


 遠くから狼の遠吠えが風に乗って聞こえ、雨と風、それに守人たちの足音がそれに混じる。アリエルは後ろを振り返ると、深い闇のなかに追跡者が紛れていないか確かめていた。〈獣の森〉には慣れていたが、それでも危険な場所に変わりない。警戒を緩めることのできない状況で、かれの心は不安で満たされていく。


 時折、灰色の雲間から暗い森に光が降りそそいで、森に降る小雨を照らし出していた。この異様な天気のなか、ルズィとベレグ、それにアリエルは砦を目指して移動を続けた。


 やがて目的地である〈境界の砦〉の近くまでやってくると、木々の向こうに砦の高い壁が見えてくる。一見すると、普段と変わらない平穏な状況に見えたが、たしかに奇妙な気配が感じられた。


 そこに息を切らせながら二頭の戦狼(いくさおおかみ)がやってくる。〈獣の森〉の偵察に出ていたラライアと妹のヴィルマだ。ふたりはアリエルたちの周りをぐるりと歩くようにして息を整え、砦を監視している不審な人間について報告した。


「守人が管理する土地に許可もなく侵入して、守人の砦を勝手に監視している部族がいるってことか……」

 ルズィの言葉にベレグは鼻を鳴らす。

「目的は分からないが、守人に敵対する意思を見せるなんて正気じゃない」


「それが誰であれ、ラファの行方を知っているのかもしれない」

 ルズィの指示でベレグは木々の間に溶け込むようにして消えていく。監視していた者たちを捕え、始末することが目的だった。たとえ首長の戦士であっても、守人と敵対することは許されない。それは部族の掟に反することだ。


 そして敵対者を処罰することは守人の権利でもあった。だから彼らが得意とする方法で問題を解決することにした。守人が見張る森には〝死が転がっている〟それは誰もが知ることだ。ひとつやふたつ死体が増えても、誰も驚いたりはしない。


 監視者は熟達した呪術によって姿を隠していて、ほとんど気配を感知できないようになっていた。その姿は幽鬼のように朧気(おぼろげ)で、まるで空気のように希薄だった。けれど彼らの緊張や不安が森に生息する小動物を怯えさせている所為(せい)で、完全に気配を断つことができないでいた。そしてそれは守人たちに付け入る隙を与えていた。


 アリエルたちは監視者に対処するため、二手に分かれて行動を開始する。一方は高台に陣取っている監視者の背後に回り込み、もう一方は砦の近くに潜んでいる者たちの背後から接近する。敵対者がこちらの存在に気がつく前に、一気に対処するつもりだ。


 木々と岩が守人たちの姿を隠し、雨が足音を掻き消してくれる。この密林の中で守人の狩りから逃れるのは難しい。アリエルたちは森がつくりだす暗闇のなかに溶け込むようにして移動し続けた。何もかも濡れていて、冷たい空気が渦を巻きながら吹き抜けていく。監視者は巧妙に姿を隠していたが、大気中に漂う呪素の乱れまでは隠せなかった。


 木々の間から光の筋が射し込むと、砦を監視している者の姿がハッキリと確認できた。それは(まばた)きの間のことだったが、幽霊のように朧気だった存在が、光の屈折、影のずれ、あるいは雨粒の急な消失によってその姿を認識できるようになった。


 アリエルはピタッと動きを止めると、雨の音に合わせて鞘から両手剣を引き抜いた。敵対者のひとりが異変に気がついて、すぐに攻撃しようとしたのだろう。周辺一帯の呪素が瞬間的に――そして爆発的に膨れ上がっていくのを感じた。が、呪術で強化されたアリエルの動きを止められる者はいなかった。


 〝雷鳴のように〟瞬く間に接近すると、重たい両手剣を力任せに振り抜く。敵対者たちは抵抗しようとするが、次の瞬間には首が宙を舞っている。それは容赦のない攻撃だったが、呪術を使われる前に殺す必要があった。一瞬の静寂のあと、首を失くした身体(からだ)が泥のなかにバタリと倒れていく。


 守人たちは次々と敵対者を排除していった。哀れな敵対者は、その最期を誰にも知られることなく、森の中でひっそりと消えていった。


 小雨が毛皮についた返り血を洗い流していると、遠くから狼の遠吠えが聞こえてくる。ラライアたちが敵対者を生きたまま捕らえたのだろう。


 アリエルは両手剣の刃に付着していた血液を払うと、血に濡れた手を見つめる。守人が見張る森には〝死が転がっている〟、それは幼い子どもでも知っていることだった。敵対者たちが誰の命令で動いていたのかは分からないが、彼らはソレを承知で守人の領域を侵したのだ。この結果に後悔はしていないだろう。

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