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百を超える古代の戦士が無言のまま立っていた。その存在は朧気で、薄暗い広場に深い青色の燐光を放っていた。この光が戦士たちを幽鬼のように現世に浮かび上がらせ、彼らが生者ではなく、都市を徘徊する死者であったことを明白にしていた。
戦士たちは、優雅な曲線美を持つ模様が刻まれた豪奢な鉄の鎧を身につけていたが、その下に垣間見える素肌は干からびていて、骨と薄い皮膚だけの朽ち果てた肉体になっていることが確認できた。長い間、石棺のなかで放置されていた死体が動き出したような、そんな奇妙な印象を与えた。
その戦士たちの顔には絶え間ない苦痛と怨念が刻まれていて、虚ろな瞳だけが煌々と燃えるように瞬いている。肉体が滅びてもなお、都市の守護者としての誇りと使命感は消えなかったのだろう。死者たちは生者の世界に呼び戻され、再びその誇りを取り戻すために〝死者の軍団〟として、忌まわしい化け物と対峙することになった。
広場に立つ戦士たちが一斉に抜刀すると、青色の燐光は帯びた刀剣が幻想的な輝きを放つのが見えた。戦士たちはその呪術的な力が纏った両刃の剣を手に、化け物に向かって駆け出した。彼らが動きだすと、その存在は幻影のように〝より不確かなもの〟になる。そして刀身が虚ろな軌跡を描きながら化け物に向かって振り下ろされる。
異形の化け物は触手めいた肉の鞭を振り回し、接近する戦士たちを攻撃しようとする。けれど幽鬼のように曖昧で実体のない存在だからなのか、触手は虚空を切り裂くばかりで、戦士たちの身体を傷つけることができなかった。対照的に戦士たちの鋭い刃は確実に化け物の肉体に傷を負わせていた。
ヌメリのある体液に覆われた触手が切断され、剥き出しの筋繊維が裂けて殻が砕けていく。輝きを帯びた刀剣が化け物の肉体に触れる瞬間、得体の知れない力によって戦士たちの剣や金属の鎧、そして肉体までもが実体を持ったかのように現世にあらわる。
その奇妙な現象によって、古代の戦士たちは化け物の肉体を傷つけることができた。しかしそれは化け物に反撃の機会を与える諸刃の剣でもあった。混沌の化け物は傷つきながらも、古代の戦士に肉の鞭を叩きつけた。触手で身体を両断された瞬間、戦士の顔に苦悶の表情が浮かび、そして消滅していくのが見えた。
たしかに死者の軍団は化け物を追い詰めていた。彼らは呪われた都市を守るという使命感に突き動かされ、雷光じみた力を帯びた刀剣で化け物を圧倒していた。しかしその攻撃を受けた化け物もまた、凶暴さを増し、容赦のない攻撃で戦士たちを消滅させていた。
戦士たちを現世に呼び戻した力そのものが消失しているのか、戦士たちの数は見る見るうちに減ってく。戦闘は激しさを増し、黒の広場に嫌な緊迫感が漂う。数の上では死者の軍団が有利に見えたが、その猛攻がいつまでも続くとは思えなかった。
アリエルは体内の呪素を練り上げると、その力を制御するために瞳を閉じた。一瞬の静寂のあと、目に見えるほどの膨大な呪素によって青年の全身が青白い光に包まれ、その瞳は紅い輝きを帯びて明滅する。彼は闇を切り裂くような光に包まれていたが、その力は混沌の瘴気を帯びた邪悪な気配に満ちていた。
青年は精神を研ぎ澄ませながら、混沌から溢れ出る力を何とか制御しようとする。やがて広場全体に気が狂いそうになるほどの恐ろしい気配が漂うようになり、世界そのものが白黒で塗りつぶされ、青年の周囲から色が奪われていく。
青年が化け物に向けて放った呪術は、まるで光と影によって生み出された炎のようだった。その白黒に燃える炎が空間を貫き、化け物に向かって飛んでいく。轟音が広場に鳴り響き、混沌によって生み出された膨大な力が炸裂する。
化け物は苦痛にうめき、その肉体は焼け爛れていく。しかし化け物はまだ動き続けていた。ナメクジにも似た器官が蠢いたかと思うと、眼球の先で発光体が生み出されていく。が、死者の軍団の絶え間ない攻撃は化け物の動きを妨げていく。
その間もアリエルの手から放たれる漆黒の炎は、爆発的な力を放出しながら化け物の肉体を焼き尽くしていく。醜い生物は強酸性の黒々とした体液を垂れ流しながら痛みにもがき苦しむ。が、それだけだった。世界そのものを混沌の力で侵食していく炎ですら、化け物に致命傷を与えることはできなかった。
その恐るべき自己治癒能力で何度も肉体を再生させ、膿のような体液で傷ついた器官を修復していく。そして、その体内で蠢く邪悪な力によって、破壊をもたらす閃光を放つ。その閃光は広場の薄闇を照らし、数十の戦士たちを消滅させるほどの破壊力を持っていた。
闇に覆われた広場に響くのは、死と闇の歌声だけだった。その絶望的な戦いの中で異形の化け物は次第に追い詰められていった。しかし化け物が操る混沌の力と自己治癒能力は依然として強力であり、戦闘は過酷を極めていた。
巨人の咆哮のような轟音が広場を支配し、古びた石造りの構造物が砂煙を巻き上げながら崩壊していく。大小様々な瓦礫が宙を舞い、呪術の爆発によって地面が抉れ、黒い石畳が吹き飛ばされていく。広場には瓦礫が積み重なり、まるで世界の終焉を見ているような光景が広がる。
眩い閃光によって広場が照らされるたびに、衝撃音と共に構造物が倒壊していく。すでに傾いていた巨大な石の塔は、落雷を思わせる地響きを立てながら崩壊し、周囲の建物を押し潰していく。そして連鎖的に他の建物も次々と崩れ、砂煙によって視界が奪われていく。
驚異的な力を持つ呪術がもたらした破壊によって、黒い瓦礫が空高く舞い上がり、呪われた噴石のように周囲に降り注いでいく。都市遺跡は広範囲に亘って破壊され、異形の化け物との闘いが都市を一層陰鬱な場所に変えていく。
苛烈な戦いが続くなか、死者の軍団も化け物の攻撃を受けて戦列が崩れていく。その半透明の身体は戦いの激しさに耐え切れず、霧散するように消えていくのが見えた。彼らの存在は脆く、一度でも力を失ってしまえば、あとは闇のなかに消えていくだけだ。
戦士たちは都市を守るため――あるいは果たせなかった都市防衛を成就させるため魂すらも捧げていた。その虚ろな瞳に映るのは、もはや異形の化け物だけであり、力尽きる瞬間まで戦い続けるのだろう。
実際のところ、その執念が化け物に致命傷を与えていることは明白であり、完全無欠だった自己治癒能力に陰りが見えてきたのも事実だった。
一方、呪術を使い続けていた青年の体力も限界に近づいていた。彼の足は震え、立っていることすら精一杯の状態だった。戦いによる精神的な疲労が、彼の身体を蝕んでいるのかもしれない。呪術の連続使用による負担が、彼の肉体に苦痛を与えているのは明らかだった。
呪素を纏い呪術を使用するたびに、混沌の瘴気が彼の精神を乱し、あちら側の世界の幻影を見せた。それは邪悪な力で満ちた空間であり、混沌から溢れ出る呪素を使う代償でもあった。その結果、青年の体力と精神力は消耗していき、やがて限界が近づいてきていた。
膨大な呪術の使用が肉体にどれほどの負担をかけるのか、青年は今になって肌で感じていた。混沌から得られる力は全能感を与えてくれるが、それは術者の魂を侵し肉体を蝕む力を持っていた。だがソレは呪術の力を発動させるための代償であり、呪術師たちが命と引き換えに得る巨大な力の源でもあった。
よろめき倒れそうになった青年をラライアがそっと支える。ふたりは死力を尽くしていたが、それでもなお、混沌の化け物を屠ることはできなかった。だがまだ希望はあった。青年は〈収納の腕輪〉から小瓶を取り出す。それは神々の使徒すら殺せるという毒だった。