15〈呪術器〉
呪術器は部族になくてはならいモノだが、それを造ることができる種族は限られている。そしてその種族も深い森のなかで絶滅に向かっていた。
森の部族は古の時代から彼らのことを、石に近きもの〈ペドゥラァシ〉と呼んでいた。
その〈ペドゥラァシ〉のひとりは〈境界の砦〉の鍛冶場にもいて、守人たちのために刀を鍛えていたので、アリエルもその存在は知っていた。
石に近きものたちは人型の亜人種だったか、その緑青色の皮膚は、まるで乾燥した泥のようにひび割れていて、岩のように硬く、また頭部と肩が一体化したような奇妙な胴体を持っていた。
頭部の左右にある奇妙な瘤は、水と脂肪を蓄えるために存在するとされていたが、真相は誰にも分からない。そして四角形を描くように配置された大きな四つの眼は落ち窪んでいて、瞳には白目がなく、鍛冶場の炎のようにチラチラと明滅していた。
かれらは部族が使用する共通語を理解し話すこともできるが、多くは語らず、数か月も言葉を口にしないことも珍しくない。同様に、水以外の食物を口にすることもないという。
水と陽の光があれば生きていける植物のような生物でもあるが、アリエルは石に近きものが鍛冶場の炎を食べていると頑なに信じていた。もっとも、炎を食べているからといって人間よりも遥かに長い寿命を持つ理由にはならないだろう。
〈ペドゥラァシ〉によって製造される呪術器の多くは、定期的に〈神々の言葉〉を書き直すことで呪術を発動することができるが、使用される呪術によって、その〝書き直し〟の頻度に差が生じる。
空気中の水分を集めるような簡単な仕組みの呪術器なら、数十年使用しても効果は変わらないが、複雑な仕組みの呪術器には使用できる回数が厳密に定められている。そして書き直しが行われるたびに特殊な墨が必要になり、金と宝石が大量に消費されることになる。
そしてそれが〈神々の遺物〉と、呪術器の大きな違いなのだとインは教えてくれた。アリエルが部族の会議に参加するために手渡された金の腕輪は、神々の奇跡に近い〈空間転移〉の能力を発動できるが、一度でも使用してしまえば腕輪は壊れてしまい、同様の奇跡を使用することはできなくなってしまう。
けれど〈神々の遺物〉と呼ばれるモノは、半永久的にその能力を使用することができる。遺物の多くが混沌によって穢されてしまっているので、発動にはそれなりの代償を払うことになるが、それを求める者はあとを断たない。
その代償がどの程度のものなのかはハッキリと分かっていないが、混沌と取引したモノたちの悲惨な末路を知る者なら、それがどのような代償になるのか簡単に想像することができるだろう。好き好んで悪魔と取引をするのは、帰り道をもたない者たちだけなのだ。
会議や呪術器に関する説明が終わると、インは天幕内に小姓を呼び戻した。少年は綺麗にたたまれた衣類を持ってトコトコとやってくると、それをアリエルに手渡した。どうやら会議に参加するときには、その礼服を身につける必要があるとのことだった。
それは東部で幅広く使用されている柔らかな布を織り込み、体格に合わせず余裕を持って作られた着物だったが、その上に着用する袖のない肩衣も用意されていて、白イノシシが特徴的な〈ジャヴァシ〉の紋章が入っているモノだった。
アリエルは袴を好まなかったが、それは幅が狭く、動きの邪魔にならないように股上が浅くなっていたので悪い印象は持たなかった。青年は粗織りのズボンのほうがずっと楽だと考えていたが、森や部族の仕来りを蔑ろにしたくなかったので、礼服を身につけることに対して文句を言うつもりはなかった。
そして最後に、インは思い出したように太刀を差し出した。
「これは貴方のために個人的に用意したモノです」
武器を使い捨てにするような戦いをしてきたアリエルだったが、その刀を見て、やっと丸腰だったことに気がついた。
「この太刀が混沌の怪物を相手にする守人の助けになるのかは分かりませんが、よかったら受け取ってください」
アリエルは姿勢を正すと、胸に手をあて、頭を下げてから感謝の言葉を口にする。
「あなたの厚意が古の神々の祝福によって支払われますように……」
両手で太刀を受け取ったあと、アリエルは腕輪と礼服が収められた木箱を脇に抱えて天幕を出た。そのさい、赤い鱗を持つ蜥蜴人にも声を掛けた。彼は寒さに気をつけろとだけ言って、青年に厚い毛皮を何枚か持たせてくれた。
感謝を伝えて天幕を離れる。その途中で適当な人間を見つけると水桶を借りて、守人たちが待つ天幕に戻った。ちなみに毛皮は女性たちが夜の寒さを凌ぐために使用した。
兄弟たちのもとに戻ったアリエルは、ノノの呪術によって生み出された水で桶を満たすと、その場で裸になり血液と泥で汚れた身体を綺麗にして、ついでに酷く汚れ悪臭が漂っていた戦闘装束を洗って適当に干した。
その間、ノノは興味深そうに青年の裸体を観察していたが、彼は少しも気にしなかった。それよりも龍のことで頭がいっぱいだったのだ。
アリエルの中性的な容姿に何かを期待していたのか、数人の戦士が覗きに来たが、立派なモノがついていると分かると残念そうに立ち去っていった。最後まで覗いていたのは、ノノと数人の女戦士だけだった。
黒の装束が乾くまでの間、アリエルは礼服を試着することにした。古い名家の生まれだったラファと、手が空いていたノノに手伝ってもらいながら彼は礼服を身につけた。それを見た兄弟たちはアリエルの恰好を茶化して、しばらく笑いの種にした。
それに飽きると守人たちは女性たちの警備を交替で行いながら、青年と同じように身を清めたり、横になって身体を休めたりと思い思いの時間を過ごしていた。神殿前の広場に設営された陣では食事が用意されていたので、狩りにいく必要もなかった。
食事が硬い干し肉や果物ではなく、肉や野菜が入った温かい汁物だったことに驚いたが、軍団長がいるのだから、食事もそれなりのモノが用意されて然るべきだと気がついた。
日が傾くころ、アリエルはラファに女性たちの様子を訊ねた。少年の顔には疲れが見て取れたが、戦場にいるのだから疲れていて当然だった。
「えっと……はい、だいぶ落ち着きましたよ。ここには女戦士もたくさんいるので、たぶん安心したんだと思います。野蛮な戦士たちに襲われることがないんだって」
「それは良かった」
「ところで、そのお召し物の着心地はどうですか?」
少年らしいあどけない顔を見せるラファを見て、アリエルは溜息をついた。
「もういいんだ。兄弟たちにも茶化されたからな、好きに笑ってかまわないよ。それに俺だって好きでこんな格好をしているわけじゃない」
「でも、似合ってますよ」
「本当か?」
満更でもないアリエルの顔を見て、ラファは堪え切れずとうとう笑いだしてしまった。
不貞腐れながら黒衣に着替えたアリエルは、クラウディアたちと食事を取りながら、龍の幼生について話し合った。龍を連れ出した片耳の守人とリリは、すでにルズィたちと合流して匿ってもらっていたが、体調が悪い龍には治癒士をつけなければいけなかった。
事前に用意していた薬品を――痛み止めと栄養に富んだ果汁を混ぜた液体を布に染み込ませて、眠っている龍の口に入れて咬んでもらっていたが、クラウディアたちは龍の子を心配してその日は眠れなかった。
しかし事態が好転するまで、それほど時間を必要としなかった。
広場前に〈ジャヴァシ〉の陣地が設営された翌日には、首長の権限により、敵対部族の重要拠点とされていた神殿を攻略したアリエルに褒美として女性たちが与えられた。それを報告しに来てくれたインは、ミジェ・ノイルの口添えがあったことを誇らしく語った。
部族からアリエルに引き渡されたあと、彼女たちには監視がつかなくなるので、クラウディアが龍の子に会いに行くことも難しくなくなるだろう。
アリエルはミジェ・ノイルに感謝の言葉を伝えようとしたが、すでに〈霞山〉に彼の姿はなかった。そもそも軍団長が小規模な作戦に参加していること自体が異常なことだったので、彼の行動を疑うようなことはしなかった。
そして驚くことに、ミジェ・ノイルの裁量で女性たちを砦に連れ帰るために必要になる駄獣と荷車、それに数週間分の食料を提供してもらえることになった。
そのことにアリエルはとても感謝していたが、喜んでばかりもいられなかった。今回の作戦を指揮していた師団長が敵部族の本隊を叩くまでの間、アリエルとルズィが指揮する守人の部隊は、聖地〈霞山〉に残り、敵部族の残党や野盗の討伐を行うように命じられた。