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神々を継ぐもの  作者: パウロ・ハタナカ
第五章 異変 前編
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 家畜は容赦なく殺されていて、蠅とカラスの餌にされ、作物には炎が放たれていた。その蛮行を止めようとしたのだろう、畑の側に無残に殺された農夫の死骸が横たわっているのが見えた。


 集落の通りで下馬していたアリエルは、ずんぐりした肉付きの大男の死骸を(また)いで焼け落ちた納屋に近づいた。


 どうやら襲撃者たちは納屋の出入口を板で塞いで、そのなかに閉じ込めていた大勢の人々を生きたまま焼き殺したようだ。燃え残った支柱が(くす)ぶる横で、無数の焼死体を目にすることができた。


 視線を動かすと、納屋の周囲にも多くの死体が転がっているのが見えた。炎から逃れようとした人々に矢を放って射殺したのだろう。青白くなった乳飲み子を抱きかかえた母親の背に、無数の矢が突き立てられているのが確認できた。


 煙たい集落を歩いていると、襲撃者らしき者たちの死体をあちこちで目にするようになる。住人の抵抗に遭い殺された者たちなのだろう。馬の死骸のすぐ近くに横たわっている死体の多くは鎖帷子を身につけ、使い古された長剣や鉄の穂先のついた槍、それに錆びた戦斧を手にしていた。


 野盗にしては〝まともな装備〟に見えたが、別の場所から――たとえば、行商人から略奪した装備を使っていたのかもしれない。


 馬の(いなな)きが聞こえると、アリエルはその場に立ち止まり、通りに立ち込めていた煙の先に視線を向けた。何者かが潜んでいる。そしてその何者かは我々に対して激しい敵意を抱いている。襲撃者たちの残党だろうか? アリエルは眉を寄せると、体内の呪素(じゅそ)を練り上げ、いつでも呪術が放てる準備をしながら通りを歩いた。


 髭面の小男は家屋に身を潜めながら近づいてくる足音に耳を澄ませていた。略奪の混乱でお気に入りのダガーを失くしていて、やっとのことで見つけたものの、今度は見知らぬ騎士が馬に乗ってやってくるのが見えた。急いで身を隠したが、なぜこの場所に騎士がいるのか理解できなかった。


 集落から逃げ出した住人が襲撃のことを騎士に報告したのかもしれない。しかし略奪から数日と経っていないのに、これだけ早く現場にやってくるだろうか?


 嫌な予感がする。でもだからといって馬に乗った騎士を相手にする必要はない。ひとりで通りを歩いている黒い毛皮を身につけた青年を殺し、そのまま煙に紛れ込むようにして逃げてしまえばいい。


 しかし……と、小男はアリエルの背中を見つめながら考える。


 奇妙な感じがする青年だ――まともな教育を受けたことのない小男に自らの気持ちを説明することは難しかったが、肉食獣と対峙したときに感じる本能的な恐怖を(まと)っているように感じられたのだ。だが、必要以上に警戒する必要はないのかもしれない。その奇妙な青年が手にしている武器は手製の古い手斧だった。


 おそらく騎士を案内するために雇われた狩人か何かだろう。(いくさ)を経験したことのない人間を相手するのは難しいことじゃない。


 小男はダガーを握り締めると、アリエルに向かって駆け出した。首筋に刃を突き立て、そのまま煙のなかに駆けていけばいい。なにも難しいことはない。


 が、青年に近づくにつれ、小男は奇妙なモノを目にすることになる。青年の周囲に、限りなく透明に近い氷柱(つらら)が浮いているのだ。それは槍のように長く、細身の突き刺し剣のように鋭かった。


 その奇妙な氷柱を見た瞬間、小男は直感的に死の恐怖を感じ、冷たい汗を掻くのが分かった。しかし足を止めることはできなかった。ここで動きを止めれば、青年に気づかれて奇襲が成功しなくなる。それだけは避けなければいけなかった。


 小男は忍び寄る死の気配を振り払いながら青年の背後に迫る。しかし次の瞬間、小男は冷たさを(ともな)う鋭い痛みに思わず足を止めてしまう。視線を落とすと、腹部に氷柱が突き刺さっているのが見えた。それは厚い革の鎧を貫通し、腹部に致命的な傷をつくり出していた。


 吐血のあと、その場に両膝をついてしまう。身体(からだ)に力が入らず、お気に入りのダガーを取り落としてしまう。まるで冬の朝のように、冷気が静かに体温を奪っていくのを感じる。〝俺はここで死ぬのか?〟小男はダガーを拾おうとして腕を伸ばそうとした。


 それは名の知れた騎士の娘を犯しているときに手に入れたダガーだった。背後から侍女を襲い、ひとりになった高貴な女性を好きなだけ犯した。だが高貴な女だろうが、その身体はこれまでに犯してきた娘たちと変わりないモノだった。


 しかし高貴な女性を強姦しているという高揚感は、他では得られない感覚を与えてくれた。その激しい快楽に――脳が痺れるような快楽によって生じた油断が、彼女に攻撃の機会を与えた。金髪の美しい娘は隠し持っていたダガーを振り上げた。けれど彼女の抵抗はそこで終わる。


 暴力を知らない美しく無垢な女性は、小男の一物を突き入れられながら首を絞められ、そして窒息しながら果てた。


 小男は自らの行為にガッカリした。彼女の身体を何度も楽しむつもりだったので殺すつもりはなかったのだ。しかし彼女が武器を手にするのを見て驚き、反射的に殺してしまった。小男は思わず溜息をついた。


 求めていた(もの)は手に入れられなかった。しかし高価なダガーを手に入れることができた。その日以来、あのダガーはお気に入りになった。あれを握る度に、あの女性のことを思い出す。高貴な血筋の美しい女性の温かな秘部を。


 アリエルは、うつむいたまま息絶えた小男の近くに転がっていたダガーを拾う。柄に赤い小さな宝石があしらわれた精緻な小刀だ。実戦向けの武器ではないが、無駄な呪素を消費してしまった代価として頂戴することにした。


 それにしても、とアリエルは小男の腹部を貫いていた〈氷槍(ひょうそう)〉を見ながら考える。


 氷の塊をまとめていた呪素が霧散し、溶けるようにして消失していく〈氷槍〉は、ノノとリリが使用する呪術を意識して限りなく透明に近い氷を形成したつもりだったが、それでも粗が目立つ。


 やはり純度の高い氷を生成するのは簡単なことではないのだろう。呪術の訓練を継続する必要がある。いずれ、目に見えない不可視の氷で敵を圧倒できるように。


「こっちにも敵がいたんだね」と、馬上のラライアが言う。

 彼女の手には長弓が握られていて、どこかで野盗を射殺したことが分かった。

「どうせ私たちの言葉は理解できないだし、野盗の残党しかないだろうから、集落にいる人間は問答無用で殺してもいいんだろ?」


 青年はラライアの言葉にうなずいたあと、煙の向こうから接近してくる集団に注意を向けた。彼女も酸っぱい垢の臭いにまみれた集団の接近に顔をしかめる。


 痩せた馬に乗った男たちがあらわれたかと思うと、鼻のない男が何か大声で(わめ)いた。彼は太った大男で、錆びた両刃の斧を肩に担いでいた。


 もちろん、野盗の言葉は理解できなかった。しかし大男は言葉を無視されたと捉えたのだろう。手にした斧を両手で高く持ち上げ、また大声で喚いた。


 アリエルは振り返ると、両膝をついたまま息絶えていた小男の死体に視線を向ける。もしかしたら、あの大男は仲間が殺されたことに激昂しているのかもしれない。


 そこに驚いた様子でベイランたちが姿を見せる。念のため、あの集団が敵なのか(たず)ねたが、やはりベイランたちはアリエルの言葉を理解していないのか眉をひそめるだけだった。


 そうこうしているうちに、下馬していた大男が数人の仲間を連れてこちらに向かってくるのが見えた。アリエルは腰に吊るしていた〈枯木(こぼく)の斧〉に手をかけたが、思い直して先ほど拾っていたダガーの柄を握り締める。


 大男が叫びながら両刃の斧を振り上げる。青年はその隙を見逃さなかった。大男の脇に刃を突き刺すと、引き抜いた刃を後方からやってきていた男の喉に突き刺す。驚きに目を見開く男を蹴飛ばし、その勢いで刃を引き抜くと、剣を振り上げながら駆けてきていた別の男に向かって親指の爪ほどの〈石礫〉を放つ。


 空中に出現した無数の〈石礫〉に驚いている野盗たちを余所に、アリエルは無数の〈石礫〉を集団に向かって射出し続けた。馬を傷つけないように微妙な軌道修正が必要だったので威力を犠牲にしてしまったが、それでも男たちを落馬させるには充分な衝撃力があった。


 落馬した拍子に頭を打ち昏倒する者や、背中を打ち付けて苦しそうにもがいていた男たちを無視して大男に近づく。脇から大量の血液を流しながら片膝をついていた大男は、朦朧(もうろう)とした表情でアリエルを見上げる。


 青年は躊躇(ためら)うことなく大男の喉を引き裂くと、足元の汚泥を使い空中に拳大の石を形成し、倒れていた男たちの頭部に向かって放った。ぐしゃりと何かが潰れる音が聞こえる。


 アリエルは野盗の全滅を確認すると、手にしていたダガーを見つめる。想像していたよりもずっと上等な刃物だった。これなら実戦でも役に立つだろう、と青年は残忍な笑みを浮かべた。

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