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神々を継ぐもの  作者: パウロ・ハタナカ
第五章 異変 前編
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 アリエルは呪素(じゅそ)の喪失に伴う微かな疲労感と、興奮が入り混じった不思議な感情を抱えていた。周囲には〈氷槍(ひょうそう)〉で胸を貫かれた戦士たちが倒れ、混乱した馬が駆けているのが見えた。


 青年が持つ呪術の力は、戦士たちに一瞬たりとも抵抗する余地を与えなかったが、その世界に存在しなかった混沌の瘴気を残すことになった。


 草原に風が吹くと、草々は緑の波に変わり美しい曲線を描きながら波打つ。風は草原にさまざまな色を添える。太陽の光が草の葉に反射し、それぞれが独自の輝きを放つ。そこには深い緑から薄い黄色まで、多彩な色が混ざり合い、まるで幻想的な絵画が生み出されていくかのようだ。


 生命に溢れる草原とは対照的に、青年の周囲は死に満ちていた。太陽が頭上に輝き、その光が戦士たちの鎧に反射して(まばゆ)い輝きを放つ。使われることのなかった剣や槍が、どこか物悲しく草原に散らばっている。


 アリエルは草原に横たわる戦士たちを見つめる。落馬したときの衝撃で兜が外れていた戦士の顔からは、どのような感情も読み取ることができなかった。あまりにも突然のことだったので、苦痛を感じることもなかったのだろう。


 戦士たちの亡骸から血溜まりが広がっていく。その一方、草原はどこまでも美しく、風に揺らぐ草の波が心地よかった。青年の目には、青く澄んだ空と果てしない草原が非現実的な光景に映る。見慣れた死よりも、森で見ることのない景色に魅了されていたのかもしれない。


 その美しい草原の中心にアリエルは立っている。敵の鮮血で土を赤黒く染め、戦いの痕跡を草原に刻みながら。


 青年は緑の草原を争いの血で(けが)してしまったことに、思わず深い溜息をつく。だが戦いの結果を受け止めていた。生き残るために戦いだったのだ。


 しかし戦いには勝利したものの、何も得ることのできない戦いだったことも認めていた。……いや、ベイランたちが協力的になってくれるのなら、意味のある戦いだったのかもしれない。青年はそう考えることにした。


 そこにラライアがやってくる。

「エル、敵の姿は確認できなかったよ」


 周辺一帯の安全確認をしてくれたラライアに感謝したあと、偵察に使っていた鳥を解放する。呪素が補給できない地域なので、体内に蓄えている呪素を無駄に消費することはできなかった。


 ラライアが倒れた戦士たちの装備を回収しに向かったのを見届けたあと、ベイランたちと話をしにいく。戦闘の結果に驚いているのか、あるいは青年の圧倒的な力に恐怖しているのか、ふたりの顔を青ざめさせていた。


「終わったよ。彼らが脅威になることはない」

 アリエルの言葉に金髪の青年が反応するのが分かった。それは微かな表情の変化だったが、アリエルは見逃さなかった。


 ベイランと異なり、エズラには〈共感の護符〉を使用していなかった。それにも(かか)わらず、ある程度の〈念話〉を理解できているようだった。他の人間よりも呪素に対する親和性が高いのかもしれない。そのことにもっと早い段階で気がついていれば、貴重な護符をエズラに使うことができたかもしれないが、今さら悔いても仕方ないだろう。


 と、そこでベイランが慌てたように言葉を口にする。やはり護符を使っていても念話は不完全で、彼の言いたいことは半分も理解できなかった。でもとにかく、この場所からすぐに移動したほうがいいということは分かった。


「敵の増援があるのかもしれないな……。ラライア、移動する準備はできてるか?」

 青年の言葉に彼女は笑みを浮かべる。

「できてるよ。それより、どこに行くのか分かってるの?」


「いや、分からない。でも街か集落に案内してもらうつもりだ」

「案内って、その人たちも連れていくの?」彼女は眉を寄せる。


「ラライアは、そのふたりのことを信じられるか?」

「まさか」


「だから直接案内してもらうんだ。嘘を吐かれる心配もないし、危ない場所に案内されたとしても、俺たちなら察知することができる」


 ラライアは戦士たちに冷たい視線を向ける。

「あいつらが嘘をつくつもりなら、結果は同じになるんじゃないのかな」


「かもしれない。でもそのときには別の対応ができる」

「別の対応ね……わかった」


「オオカミの姿を見せて驚かせたくない、だから馬に乗っていく」

「エルは馬に乗ったことがあるの?」

「ないけど、〈ラガルゲ〉なら乗ったことがある」


「はぁ」彼女は溜息をつく。

「大きなトカゲと馬は全然違うと思うけど」


「何とかなるよ。ラライアに慣れさせる必要があるけど」

「気配を消すから大丈夫。でも一緒に乗せてね。ひとりは嫌だよ」

「わかってる」


「ねぇ、話は変わるけど、やっぱり鎧も回収していく?」

 彼女の視線は草原に横たわる戦士たちに向けられていた。

「いや、武器だけでいい。ここでベイランたちに悪い印象は与えたくない」


「悪い印象?」ラライアは首をかしげる。

「略奪は勝者の権利でしょ。悪く思われることなんて何もない」


「ウアセル・フォレリの忠告を忘れたのか。ここは森じゃない。俺たちが当たり前だと思っている常識も、彼らにとっては異常なことなのかもしれない。だから森の外にいる間は、行動に気を付けなればいけないんだ」


「そう」

 自分は派手に戦ったくせに、と彼女は頬を膨らませる。


「それに、あのふたりは他の人間と違う」

「違うって、なにが?」


「身形がいい。立ち居振る舞いからも、彼らの育ちのよさが感じられる」

「死人の持ち物を漁るような行動は、気に入ってもらえない?」


「ああ、不快感を与えるかもしれない」

「変なの」


「俺たちは〝よそ者〟なんだ。この世界の常識を受けいれないといけない」

「ここだけじゃないよ。私たちはどこに行っても〝よそ者〟」


「かもしれない」

 アリエルは肩をすくめると、街に案内してもらいたいとふたりに頼んだ。


「集落でもいい、とにかく人が多くいる場所に案内してくれないか?」

 転移門がある遺跡についての情報を手に入れて、森に帰還しなければいけない。


 アリエルとラライアに与えられていた時間は限られている。それに呪素がほとんど存在しない場所だ。身体にどのような影響があるのか分からない以上、長いあいだ滞在することは避けたほうがいいだろう。


 実戦経験が乏しく、返り血を嫌うことから〝潔癖の騎士〟の名で呼ばれていた若きエズラはひどく混乱していた。未開の蛮族と――それも悪魔の力を持つような得体の知れない者と行動しなければいけないことに、少なからず嫌悪感を抱いていたのかもしれない。


 ベイランもアリエルの存在そのものに困惑し、ひどく混乱していたが、それでもふたりを案内しなければいけないのだろうと諦めていた。


 アリエルの表情はやわらかく、敵意は感じられなかった。しかしその紅い眼の奥に冷淡で、血を凍らせるような冷酷さが見え隠れしていることに気がついていた。


 アリエルは我々を対等な存在として見ていないのだろう。と、ベイランは思う。その視線のなかには、貴族の令嬢が愛玩動物に向ける感情に近いモノがあった。代りはいくらでも見つけられるのだから、我々の命に価値などない。であるなら、かれらの機嫌を損ねるようなことはできないだろう。なにより、あの異常な力について調べなければいけない。


 覚悟を決めたのだろう。ベリアルの目付きが変わったことに気がつくと、アリエルはラライアに声をかけた。

「交渉成立だ。どこに連れていってくれるのかは分からないけど、とりあえず遺跡探しが進展しそうだ」


「面倒なことにならないといいけど」

 ラライアは不安そうにしていたが、アリエルは違った。まだ知らない世界や、見たことのない景色を見られる予感に浮かれ興奮していた。


 ずっと待ち望んでいた瞬間なのだ。起きてもいないことを心配して、不安に(とら)われてしまうような精神状態にはなりたくなかった。

 アリエルは逃げた馬を捕まえるため、草原に向かって歩き出した。

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