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アリエルが招かれた天幕はひっそりとしていて、インの雑務を手伝う小姓と、軍団長の天幕を警備していた赤い鱗の蜥蜴人が立っていた。彼の手には金色の短槍が握られていて、その短槍の持ち手には精緻な模様が刻まれ、鋭い刃にも同様の美しい模様が彫られているのが確認できた。
「どうぞ、お座りください」
彼に言われるまま天幕の中央に用意されていた椅子に座る。インも円卓を挟むようにして静かに腰を下ろした。アリエルは蜥蜴人にちらりと視線を向けるが、彼は頭を横に振る。
「ぎにずるな。おれ、みはりずるだけ」
軍団長を警護する戦士が見張りに就くということは、やはりインはそれなりの立場の人間なのだろう。
「なにか飲み物は?」
インの言葉にアリエルはうなずく。
「水をもらえるか」
ずいぶんと喉が渇いていた。きっと酒の所為なのだろう。
小姓が木製の器に水を注ぐ間、アリエルは少年が手にしていた金属製の水筒を見つめていた。水筒の表面には見慣れない模様が描かれていたが、彼の注意を引いたのは水筒の大きさだった。明らかに容量以上の水が器に注がれていたのだ。
でもとにかくアリエルは器を受け取ると一気に水を飲み、おかわりをもらうと、それも一気に喉に流し込んだ。
「もう、よろしいのですか?」
アリエルは少年の言葉にうなずいて、感謝を口にする。「ありがとう」と。
それからインは小姓を退出させた。
「さて、これから我らの部族で行われる〈戦果報告会議〉について説明させてもらいます。何故それが行われ、そして何故そのような会議が必要とされるのかについて話します。よろしいですか?」
アリエルがうなずくのを確認しながら、彼は無限に水が湧き出る水筒を傾けて大きめの器を水で満たした。すると器の底から淡い光が広がり、薄暗かった天幕を明るくしていく。
「首長の軍隊について、貴方が知っていることを教えてもらえますか」
アリエルは素直に知っていることを話した。といっても、彼が知っていることはほとんど何もなかった。略奪を好む野蛮な部族だと考えなしに口にしたが、インは少しも気にしていなかった。
「我々の首長は〈ジャヴァシ〉と呼ばれる部族を率いて、東部全域を支配しています。残念なことに敵対的な勢力が存在し、小競り合いが続いていますが――」
「待ってくれ、ややこしい話はなしだ。子どもにも分かるように説明してくれないか」
アリエルの言葉に戸惑いながら、インはうなずいた。
「部族の最高権力者は、もちろん首長です。首長の下には、かつて周辺一帯を支配していた各部族の族長たちがいて、各々の地域を治めています。首長は略奪と戦争を繰り返しながら、その支配領域を広げてきました。しかし占領した地域の支配体制を変えるようなことはしません。これは侵略と支配を単純化させることにも大きく役立っています」
インは口を閉じると、アリエルが言葉を咀嚼するのを待った。
「どうして、首長が直接管理しないんだ?」
「その地域の族長や権力者たちの首をすげ替えている間に、権力の空白ができることを避けるための処置でもあります。強引な支配で抵抗勢力を育て、それを鎮圧するために部族の貴重な戦士と物資を無駄にしたくないのです。もちろん、支配した部族にも役割を与えて反乱のための機会を削ぐことも忘れません」
「ここまで理解できましたか?」
アリエル眉をひそめたあと、理解できたと答えた。
首長がやっていることは単純で、敵対する部族をそのままの形で取り込んで支配しているだけだった。抵抗すれば殺し、従うのなら飼い馴らす。それだけのことなのだ。それがそんなに単純なことではないことは分かっていた。首長が組織した〈ジャヴァシ〉の戦力がなければできないことだった。
そして首長にはそれができる。もしかしたら首長は〈血を継ぐもの〉で、言葉だけで部族の民を支配するような特殊な能力を持っているのかもしれない。いずれにせよ、それは〈境界の守人〉に関係のない話に思えた。
「戦のときには各部族から戦士が召集されます。失った戦力の補強という名目ですが、ひとつの部族だと戦士たちに印象付ける意味合いもあります。そして実力が認められたものは指揮官の地位に就くこともあります。しかしほとんどの場合、彼らは戦場で使い捨てにされます」
「あくまでも〝奴隷〟という扱いなのか……それで、軍の規模は?」
「いくつかの軍団が存在しますが、詳細を知りたいのですか」
「簡単に説明してくれると助かる」
「ご存じのように、私はミジェ閣下の軍団に所属しています。現在、我々は西部を支配している〈月隠〉と呼ばれる部族と戦争状態ですが、戦況は膠着しています」
「西部の部族と戦争か……それは俺たち守人には関係のない戦だな」
「ええ、それは承知しています。〈境界の守人〉は部族に仕えるのではなく、森に仕えているのですから」
アリエルは肩をすくめたあと、彼の背後にある紋章旗を見た。黒地に二頭の白イノシシが対峙する格好で描かれた旗だ。あの白イノシシには何か特別な意味があるのだろうか。疑問に感じたが青年は別の質問をした。
「他の軍団はどこで何をしてるんだ」
「南部の亜人と戦闘状態の軍団もあれば、北部攻略を目的とした軍も存在します。いずれも状況は芳しくないようですか」
「その軍団のどれかが、首長に反乱する恐れはないのか?」
「ありません」とインはキッパリと言った。
「軍団に所属する戦士が反乱を起こすようなことがあれば、首長のもとに送られている人質や親族を失うことになる。そして首長の戦士たちは、つねに大きな戦いに備えています。そのような企みは時間の無駄になるだけです。そもそも彼らの部族は首長によって安寧が約束されていて、略奪や戦闘によって得られる物資によって人々の生活は向上しています。ですから、反乱の理由がないのです」
事実がどうであれ首長がそのように宣言して、各部族の支配体制が機能している以上、反乱の動機そのものが存在しないということになる。
「しかし今回のように首長の支配を拒み、抵抗する部族も存在します」
それはそうだろうな。と、アリエルは思う。
森には人間を嫌う亜人種も存在している。その多くは独自の文化や生活習慣を持っていて、他種族との共生を頑なに拒んでいる。そんな彼らが首長の支配を簡単に受け入れられるわけがない。
「族長や生活が変わらなくとも、首長の存在が認められないものたちもいる。それぞれの部族が、それぞれの思惑を持って〈ジャヴァシ〉に加わり、戦うのは当然のことです。各部族が首長に求めるのは、戦闘と略奪で得られる物資であり、それが彼らの部族を豊かにします」
「戦士たちの命の代価として、褒美を求めるのは当然のことのように思えるけど……」
「〈戦果報告会議〉というのは、その褒美をめぐって各軍団が争わないように、話し合いの場を設けるために開催されます。戦果や手柄を主張して、その食い違いや虚偽を正し、それでも問題が生じた場合、解決のための話し合いが行われます」
やっと話が見えてくると、アリエルは安心してホッと息をついた。水を飲み過ぎたのか、ついでに尿意を催していたことに気がつく。
「その会議が大事なことは分かった。それで、俺はどうしてこの場所に呼ばれたんだ?」
「では呪術器について説明しましょう」と、インはアリエルの質問を無視して続けた。「これを御覧ください」
円卓に金の腕輪がコトリと置かれる。アリエルはそれを手に取ると、腕輪の表面に彫られた模様を確かめた。ずしりと重く、間近で見るとその美しさが際立つ。その模様は、古代文字の華やかで流れるような書体のように、植物の模様に混じり合い溶け込むようにして彫られている。
時折、その腕輪から淡い光が滲むように浮かびあがるのが見えた。腕輪が脈動しているのだと青年は感じた。
「その金の腕輪は、戦いのための道具ではありません。会議に参加する方々にも同様の〈呪術器〉が手渡されます。今回は貴方も参加するので、それを所持することが許されました。この場にお呼びしたのは、それを手渡すためです」
「これを使って部族と連絡を取り合うのか?」
「いいえ」と、インは頭を横に振る。
「それは貴方を会場に召喚するために使います」
「召喚って……」
「〈空間転移〉による召喚です」
アリエルは腕輪に視線を落としたあと、それを円卓にそっと置いた。
「呪術器って、その水筒みたいな道具のことを言うんじゃないのか?」
青年の疑問にインは笑顔で答える。
「そうですね。これは空気中の水分を集めて、筒のなかを水で満たす呪術器です」
「それは知ってる。砦でも同じようなモノを見たことがあるから。そこまで綺麗な筒じゃなかったけど……」
「〈境界の砦〉には、ほかにどのような呪術器が?」
「好きなときに光を灯せる道具や、火を点けるための呪術器なら知っているけど」
「呪術器は――」と、インは得意げにその道具の簡単な説明を行う。「〈血を継ぐもの〉以外の誰でも特定の呪術を発動できるための道具で、特定の種族にしか製造できない貴重な道具でもあります」
「ああ、それは知ってるよ」
アリエルの不貞腐れたような声を聞いて、インはクスクスと笑う。こんなにも表情が豊かな男だとは思わなかった。自分には人を見る目がないのかもしれないなと青年は思った。
「では、その材料や仕組みについて知っていますか?」
「いや」
「特定の呪術を発動するための〈神々の言葉〉を器に書くのです。それには特殊な製法の墨が使われ――その材料は今も明かされていませんが、金と宝石が使用されていることは一般的に知られています」
「すり潰して墨に混ぜる。それなら俺も知ってるよ」
森の辺境で暮らす〈境界の守人〉たちが、部族の略奪者たちのように金や宝石を求める理由が分からなかったが、呪術器の存在を知って納得した覚えがあった。
「でも、そんなに高度な呪術が発動できるモノがあるなんて知らなかったよ」
「それは仕方ありません。〈神々の遺物〉と混同されるモノもあるくらいですから」