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神々を継ぐもの  作者: パウロ・ハタナカ
第五章 異変 前編
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 魚人の襲撃を退(しりぞ)けたあと、アリエルは豹人の姉妹をつれて〈白冠の塔〉が設置された野営地に戻ることにした。戦闘で負傷していたこともあり、遺跡で発見した〈転移門〉が東部につながっているのかを調査する任務は、ルズィが引き継ぐことになった。かれはウアセル・フォレリと、その護衛を連れて転移門が生み出す〈空間の(ゆが)み〉に入っていった。


 拠点近くの転移門まで移動したアリエルたちは、戦狼(いくさおおかみ)と〈青の魚人〉の戦士によって厳重に警備されていた野営地まで歩いて戻った。


 野営地には(あし)亜麻糸(あまいと)、それに獣の毛皮でつくられた円錐形(えんすいけい)の住居が見られ、幼い魚人の姿も確認できた。それらの住居は毛皮で(おお)われていて、雨や風を防ぎ、保温効果を高める工夫が施されていた。湖畔の集落から運んできたのか、床面にもフサフサの毛皮が敷かれていて、暖かな空間を作り出していた。


 それらの住居から、遊ぶ子どもたちの笑い声が聞こえてくるが、その笑顔の裏側には襲撃で経験した苦しみや心の傷が隠されているように見えた。実際、〈黒の魚人〉の襲撃は悲惨な結果をもたらした。親や兄弟だけでなく、友達を失くした子どもたちも多くいた。


 その幼い子どもたちを元気づけようと、女性たちは湖で獲れた新鮮な魚を使った食事の支度をしていて、部族や共同体のために一生懸命働いている様子が見られた。彼女たちは野営地周辺にある限られた資源を活用して、子どもたちに健康的で栄養価の高い食事を与えられるように知恵と工夫を凝らしている。


 彼女たちの思いやりのある行動を見ているだけで、いかに〈青の魚人〉と、それ以外の魚人が異なる存在なのか、よく分かる気がした。黒の沼地で崇拝されている邪神が、精神そのものに悪い影響を与えているのかもしれない。


 野営地を警備する照月家の武者に声を掛けてから、〈白冠の塔〉につながる特殊な転移門を越えて、塔内部に足を踏み入れる。次の瞬間には、半球形の天井を持つ広大な空間が目の前に広がる。天井は見上げるほどの高さがあり、紺藍色(こいあいいろ)の壁面には金と銀を基調とした精緻な細工が施され、(いにしえ)の呪文や未知の記号が刻まれているのが見えた。


 その広大な空間を照らす光は、呪素(じゅそ)によって生み出されたであろう無数の光球だった。それらの光球は天井付近をゆっくり漂いながら、夜空の星々のように輝きながら空間全体を青白い光で照らしている。時折、天井から吊るされた大きな旗の陰に入ると、そこにだけ影が生み出され、空間に幻想的な印象を与える。


 その塔は階層ごとに異なる区画に分かれていて、それらの区画に移動するためには、各階層の床面に設置された〈転移の円環〉と呼ばれる(いにしえ)の仕掛けを使用する必要があった。それぞれの円環には、呪術的な記号や複雑な模様が描かれていて、呪素(じゅそ)とも異なる奇妙な力の流れが感じられた。


 アリエルが姉妹と一緒に円環の上に立つと、足元に描かれていた複雑な模様が変化するように動き出し、それらは徐々に光を放ちながら輝きを増していく。神秘的で、それでいて得体の知れない力が円環から放たれ、周囲に〝魔力〟とも呼べるような力の波が広がっていくのが感じられた。


 不意にその力が全身を包み込んでいく感覚がして、身体(からだ)が地面から(わず)かに浮き上がるのを感じた。青年はその力に身を委ね、光に包まれるようにして別の階層に転移する。


 塔の管理機構によってアリエルたちに与えられた階層は広く、優雅さと実用性を兼ね備えた調度品が置かれていた。それらは木材や石材が巧みに組み合わさったモノで、その状態から、かつてこの塔を拠点としていた守人たちが大切に使ってきたことが(うかが)えた。


 特徴的な曲線を描く机や椅子が置かれ、清潔な座布団が敷かれた椅子には、座るだけで疲れた身体(からだ)を癒してくれるような心地よさがあった。驚くことに、寝台や椅子には生命力を象徴する〈神々の言葉〉が刻まれていて、本当に疲れを癒す効果が付与されていた。


 足元の床にも上等な絨毯が敷かれていて、その絨毯は鮮やかな色彩で織り上げられていて、金糸の幾何学模様が美しく(きら)めいていた。それはまるで円環に描かれていた未知の模様にも見え、空間全体に神秘的な雰囲気を与えていた。


 紺藍色(こいあいいろ)の壁面には、森では見ることのできない極めて透明に近いガラスが張り巡らされていて、その素通しのガラスを通して〝クヌム〟の空を自由に見られるようになっていた。


 アリエルたちが拠点にする〈白冠の塔〉は、〝クヌム〟の名で知られた未知の領域に――あるいは空間の狭間に存在している。そしてそれは〈混沌の領域〉とも異なる場所だった。そのガラス窓からは、その謎に満ちた世界の一端を垣間見ることができたが、残念ながら青年が今までに見ることができたのは、どこまでも続く広大な空と雲だけだった。


 その空間の一角には、青年が個人的に使用してきた作業机が置かれ、すぐ近くの本棚には彼が収集してきた古代の書物が並び、巻物がひとつひとつ大切に保管されていた。


 古代の書物には(いにしえ)の人々の叡智(えいち)や失われた技術が記されていて、独学で呪術を身につけてきた青年が呪術の精度を高めるためにも使用されていた。それらの書物は大気中に漂う(かす)かな呪素(じゅそ)を帯びていて――アリエルは気づいていなかったが、紙が劣化しないように保護されていた。


 作業机の上には書き物をするための羽根ペンや墨の小瓶が置かれていた。その羽根ペンは、〈境界の砦〉にいる石に近きもの、〝クルフィン・ペドゥラァシ・ベェリ〟から譲り受けたモノで、使うたびに手に馴染み、呪素(じゅそ)が込められるような感覚がした。


 その所為(せい)なのか、墨は特殊なモノではなかったが、月夜の空にも似た色彩を帯びていて、文字を書くたびに微小な呪素(じゅそ)が躍動しているようにも見えた。それにどのような効果があるのかは分からなかったが、文字を書く楽しみになっているのも事実だった。


 目の前の壁には、これまでにアリエルが記録してきた森の地図が掛けられていた。その手書きの地図には、これまで青年が遭遇してきた動物や珍しい薬草の生息地が記録されていて、混沌の生物が出現する領域の情報も丁寧に書きまれ記録されていた。


 それらの記録は文字だけでなく、植物や生物の大まかな写生で彩られていて、青年の軌跡の一部が詳細に記されているかのようだった。その地図には〈境界の砦〉の地下でしか見ることのできない都市遺跡や未知の地域の風景も描かれていて、見る者に不思議な感覚を与え魅了した。


 けれど作業机に、古の妖精族の皮膚で装丁された禍々しい書物が置かれている所為(せい)なのか、地図を見るために近づく者はいなかった。奇妙なことに、その異様な気配はアリエル以外のあらゆる生命を拒絶した。


 そのアリエルは円環から離れると、水浴びのために用意していた場所に向かう。襲撃で黒衣は泥だらけになっていたし、魚人の攻撃で負傷していたので、傷口を洗い流して治療したかったのだ。


 夜通し野営地の見張りをして、今は眠っていたラライアを起こさないように静かに移動する。間仕切りで(へだ)てられた空間には水瓶が置かれていて、清潔な水で身体(からだ)を洗うことができた。不思議なことに、足元の石材は濡れても瞬く間に乾くので、排水を気にする必要はなかった。


 黒衣を脱ぎ捨てて頭から水を浴びていると、リリもやってきて服を脱ぎ始める。彼女は素肌をみせることに抵抗はないようだったが、アリエルは心の変化で――遅れてやってきた思春期のような感情の所為(せい)で、異性の身体(からだ)が気になるようになっていたのでひどく緊張する。


 けれどやらなければいけないことがあるので、石のように何も考えないようにして、さっさと水浴びを済ませて清潔な服に着替える。


 それからアリエルはノノとリリのために用意された区画に移動する。そこには戦闘時に使用される呪符や護符を作製するための専用の作業台や、水薬の材料になる薬草や墨の原料として使用される希少な野草を育てる環境が用意されていた。そこには〝網目の魚人〟との戦いで、黒い影を取り込んだ得体の知れない〝(まゆ)〟も厳重に保管されていた。


 アリエルはノノに声を掛けたあと、繭が置かれた祭壇に近づく。祭壇は古代の石材でつくられていて、年月の経過を感じさせるほど風化していて、明らかに塔に使用された建材と異なる異質なモノだった。


 祭壇の上には蝋燭(ろうそく)が灯され、淡い光が薄暗い祭壇を照らしていた。その蝋燭の火は揺らめきながら影を生み出し、石の質感や、そこに刻まれていた古代の模様を浮かびあがらせている。


 遠征隊の無事を願うため、祭壇の周りには森の神々のための供物や花が置かれていて、祭壇を管理するノノの信仰心と森に対する畏敬の念が感じられた。


 祭壇は空間全体に(おごそ)かな雰囲気をもたらしていたが、現在、祭壇からは(かす)かな混沌の気配が感じられるようになっていた。その原因は、祭壇に置かれた繭にあるのだろう。厳密には謎の心臓だったが、ソレは脈動するように震え、たしかな生命が感じられた。


 青年はその繭に触れると(まぶた)を閉じ、狭間の領域、あるいは精神世界とも呼べる場所に捕えていた魂の残滓(ざんし)を与えていく。文字通り、親鳥が雛に餌を与えるように、アリエルは繭に力を与えていく。


 それは例の〝禍々しい黒い書物〟から得た知識だったが、青年はそれが効果的に機能していると確信していた。その繭から何が誕生するにせよ、いずれソレが守人の力になると信じて疑わなかった。

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