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神々を継ぐもの  作者: パウロ・ハタナカ
第五章 異変 前編

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09


 草原に静けさが戻り、昆虫や鳥の鳴き声が聞こえるようになると、アリエルは戦闘で使われることのなかった斧を腰に吊るして息を整える。体内で練り上げた呪素(じゅそ)の影響なのか、その瞳は燃えるように紅く輝いていた。


 心地いい風が吹くと、草の穂先が優雅に揺れるのが見えた。風が草原を撫でて、まるで湖面が波立つように草が揺れ動く。巨大な雲の隙間から陽光が射し込むと、草原の一部を明るく照らし、生命の息吹で満たしていく。


 しかし、その美しい風景とは対照的に、草原には戦いの爪痕が刻まれている。広範囲にわたって草が斬り払われ、人間や馬の足跡が深く刻まれ、地面には死体が転がっている。足元には血溜まり広がり、深紅の色彩が草原の穏やかさを乱している。


 アリエルは周辺一帯に敵がいないことを確認すると、落馬していた戦士の状態を調べに行くことにした。僧兵たちと明らかに異なる姿をした戦士の出現に、彼は言い知れない危機感を覚えていた。


 近くに戦士たちの駐屯地があるのかもしれない。そしてその推測が間違っていなければ、遠征隊は面倒事に巻き込まれる前に、この地を離れなければいけなかった。


 正体不明の戦士はすでに息絶えていた。その遺体は教会騎士団に所属していた騎士のモノであり、その鎧は堂々とした存在感を放っていた。が、青年には知る由もなく、敵対的な異教徒のひとりでしかなかった。


 黒みがかった金属板で構成された鎧は完璧に磨かれ、陽光を受けて輝いていた。その全身鎧の表面には細密な文様が彫られていた。


 異教徒の戦士が身につけた鎧を見た青年は、その装備の精巧さに感銘を受ける。彼は鎧の輝きと重厚さから、これほどの金属加工技術を持つ職人は、森の部族に数えるほどしかいないだろうと考えた。


 もちろん、石に近きもの、〈ペドゥラァシ〉と呼ばれる種族や、かつて存在した文明の技術と比較してしまうと、それは子どものお遊びのようなモノなのかも知れない。が、部族にとって驚異的な技術に変わりなかった。


 首長が軍事的優位性を得るため、高度な製鉄技術を持つ職人を抱え込んでいる所為(せい)でもあるが、部族の間には武器の製造に関する独自の制約があるので職人が育たない。だからなのだろう、その戦士が身につけていた鉄の鎧にアリエルは衝撃を受けていた。


 この世界の鍛冶師が持つ技術を手に入れることができれば、〈境界の守人〉の栄光を――かつての偉大な戦士たちが手にしていた力を取り戻せるかもしれない。青年は鉄の鎧が見せてくれた可能性に興奮するが、気持ちを落ち着かせるように息を吐き出す。


 その戦士は鎧の上に丈長の外套を重ね着していた。それは深みのある青色で、繊細な刺繍が施されていた。胸部は血に染まっていたが、戦士が所属していた組織の紋章が――あるいは、神殿でも見られた象徴的な模様が白色で描かれていた。その十字に交差した紋章は、戦士が所属していた組織の神聖さと、かれの信仰心を表しているのかもしれない。


 戦士の肩当てにも装飾が施されていて、優れた鍛冶師の技術が確認できた。手甲には細かな彫刻が施され、革手袋で指先までしっかりと保護されているが、その磨き上げられた手甲からは、かつての戦闘の痕跡は確認できなかった。それは(いささ)か奇妙だった。鎧に〈神々の言葉〉を刻んで、金属の表面を汚れや小さな傷から保護していたのだろうか?


 しかし〈神々の言葉〉はおろか、呪素(じゅそ)の気配も感じられなかった。以前、首長の(いくさ)に参加したとき、金属の重厚な鎧を身に(まと)った戦士に会ったことがあった。彼の鎧には〝羽のように軽く〟なる言葉が刻まれていたので、この世界の戦士も同じことをしていると考えたが……どうもその様子は見られない。


 視線を動かすと、外套の袖口や裾に緻密な刺繍が施されており、その美しさに思わず魅了される。戦士の鎧は非常に高品質であり、やはり金属の精製技術が際立っていた。鎧の細部には精巧な装飾が施されており、それぞれの部位が確かな技術で造られていた。


 それは単に優れた加工技術を持っている、というわけではなく、良質な鉄を大量に供給できる鉱山の存在も示唆(しさ)しているようだった。また、金糸で縁取られた紋章や鎧に刻まれた緻密な装飾からも、その組織が豊かであることが感じられた。


 鎧の製造には多くの職人と時間が必要になる。そのような手間暇をかけた鎧の製造には、多くの資源や労働力は欠かせない。


 この戦士が所属していた組織は、おそらく部族との関りや神殿との密接な関係によって、潤沢な資産を築きあげている可能性がある。彼らは経済的な力を背景に、優れた装備を戦士たちに支給しているのだろう。アリエルはそう結論付けると、草原に視線を向けた。


 戦士が乗っていた馬はとっくにいなくなり、草原には僧兵たちの死体が横たわっている。返り血で口元を汚していたラライアは、いつの間にか人間の姿に戻っていて、周囲の様子を興味深そうに眺めていた。


 アリエルは戦士の腰から剣帯を外すと、鞘から剣を引き抜いて確認する。その両刃の剣は、部族の戦士たちが持つ短くて(みにく)い代物ではなく、首長を守る戦士たちに与えられる上等な刀のように、一目で素晴らしいモノだと分かった。ウアセル・フォレリが気に入りそうな剣だ。


 青年は立ち上がると、別の遺体からも剣を回収することにした。鎧にも興味があったが、悠長に鎧を脱がしている状況ではないことも理解していた。


 ラライアが始末していた戦士の頭部が咬み千切られていて、首のない遺体が横たわっていた。鉄の鎧にも爪痕が残されていて、戦狼(いくさおおかみ)の攻撃に耐えられないことが分かった。板金鎧とでもいうのだろうか、薄い鉄の板が捲れ、内臓が飛び出しているのが見えた。


 目当ての剣を回収したあと、ラライアと一緒に神殿に戻ることにした。すでに神殿は赤々と燃えあがっていて、青い空に向かって黒煙が立ち昇っているのが確認できた。火の勢いは激しく、遠く離れていても燃え盛る炎の音が聞こえてくるようだった。と、尖塔の窓から火花が飛び散り、鮮やかな舞いを披露するのが見えた。


 神殿の壁は崩れ落ち、赤と橙色(だいだいいろ)の炎が神聖な建物を包み込み燃やし尽くしていく。それでも遠征隊の痕跡を消すことはできないだろう。草原に残される僧兵たちの死体や、略奪はすぐに知られることになる。本来は死体も焼却する予定だったが、馬に乗った戦士たちの出現で状況は変わった。


 かれらが所属している組織が何処(どこ)であれ、部隊に戻らない戦士を探しに、さらに多くの異教徒がやってくることになる。が、少なくとも神殿や家屋に隠れている目撃者を始末することはできるだろう。


 ルズィたちと合流するため神殿に向かっていると、偵察に出ていたラファとヴィルマがやってくる。どうやら近くに異教徒はいなかったようだ。それどころか、戦狼のヴィルマを恐れているのか、野生動物の姿を見ることもなかったという。


 彼女がオオカミの姿で草原を駆けまわり、あちこちに足跡を残したことは気がかりだったが、異教徒たちがその足跡に気がつくことはないだろうとも考えていた。それに戦狼ほどの大きな身体(からだ)を持つ個体は珍しいかもしれないが、近くの森にもオオカミは生息しているはずなので、心配する必要はないだろう。


 それなりの略奪品を手に入れられたのか、収納の腕輪を持たないイザイアが大きな布袋を背負っているのが見えた。彼の態度が豹変したことには驚いたが、目的の報酬を手に入れて満足しているのだろう。いつもの寡黙で冷静な姿を見せてくれていた。


 ルズィに異教徒の戦士について報告したあと、アリエルたちは転移門がある森に向かう。そこでイザイアが殺していた男性の死体を隠すため、地中深くに埋めることになった。転移門が機能していることを疑われないための措置だ。


 こうして初めての遠征は犠牲者を出すことなく終わりを迎えた。結果だけを見れば成功だと言えるかもしれないが、必要のない戦いだったことも否定できない。これから遠征を行うときは、より慎重に行動する必要があるだろう。

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