07
戦闘のあと、アリエルは血に濡れた斧を手に周囲を見回す。みすぼらしい木製の家屋が並ぶ通りには、僧兵たちの死体が横たわっていて、血液が染みこんだ地面や土壁は、惨劇の痕跡を刻み、戦場で嗅ぎ慣れた死のニオイが漂っている。結局のところ、〈森の子供〉たちはどこに行っても死を振り撒く運命にあるのかもしれない。
炎に包まれた家屋からは黒煙が立ち昇り、煌々(こうこう)と燃え上がる炎の輝きが神殿の白壁に反射している。炎の勢いは増していき、茅葺き屋根は燃え盛る炎によって舞い上がり、かつては聖域として機能していたであろう空間が無残に破壊されていく。
空気は煙と死のニオイで満ちている。沈黙は重く、その静寂が戦闘の凄惨さを一層際立たせているように感じられた。昆虫や鳥の囀り、風の音さえも聞こえなくなり、絶望に満たされた世界に変わっている。
ノノとリリは死が横たわる通りを歩きながら、自分たちがつくりだした地獄を眺めていく。破壊された住居の中には、焼け焦げた人々の姿が散在している。戦いから逃げ出した僧兵の亡骸なのだろう。苦痛と恐怖が表情に刻まれている。破壊された壁の下敷きになり、無念のまま息絶えた男の表情には、迫りくる無慈悲な現実に対する怒りすら感じられた。
煙と灰が漂い、焼けた肉の臭気が辺りに立ち込めている。その血の臭いは煙と共に広がり混じり合っている。チリチリと燻ぶる死体が立てる微かな音すら聞こえてくるようだった。
アリエルは敵味方が入り乱れる戦場で、豹人の姉妹から逃げ惑う僧兵の姿を何度も見ていた。まるで豹人を見たことがないような反応だった。あるいは、辺境で生活する部族のように、亜人を見たことがないのかもしれない。いずれにせよ、彼らの反応は大袈裟で、まるで混沌からやってきた化け物に怯える子どものような表情をしていた。
家屋から立ち昇る黒煙が日の光を遮り、通りに影を落としていく。廃墟と化した家屋の壁には赤黒い手形や血痕が残り、人々の生活の痕跡は跡形もなく消え、残されたのは破滅と怨念が漂う陰鬱な空間だけだった。
僧兵の多くがそうであるように、神職らしき者たちは男性ばかりで、女性の姿を目にすることはなかった。それは奇妙なことだった。部族では巫女たちが神事で重要な役割を果たしていることを知っていたので、彼女たちの姿が見えないことに疑問を感じていた。その不在に何かしらの理由があるのかもしれない。
けれど戦闘の悲惨さを目の前にした今、この虐殺に巻き込まれずにすんだことは、少なくとも彼女たちにとって幸運なことだったと考えるようになっていた。
逃亡した僧兵を追って平原に出ていた戦狼と合流すると、アリエルたちは僧兵が拠点にしていた神殿に向かう。ちなみにラライアはすでに人の姿に戻っていた。返り血で汚れた体毛が気になっていたのだろう。
木製の両開きの扉の前には、数多くの僧兵たちの死体が積み上げられており、かれらが最期のそのときまで神殿を守ろうとしていたことが判明した。鮮血が白壁に飛び散り、死のニオイが辺りに充満している。それは戦闘の激しさと、神殿を守ろうとして命を捧げた者たちの無念と共に漂っているようだった。
大扉を押し開け、神殿内に足を踏み入れる。厳かな雰囲気に包まれた礼拝の場が見えた。広い空間には、信者たちが祈りのために使用していたと思われる古びた長椅子が整然と並び、長い通路が神殿の中央に伸びている。
その先には金の装飾品で飾られた祭壇があり、外から射し込む光が色とりどりに彩色されたガラスを照らし出している。けれど、この静寂な空間も戦いの影響を受けていて、それなりの価値があると思われる銀の器や燭台が地面に転がっているのが確認できた。
その祭壇には、あの十字に交差した特徴的な〝象徴〟も設置されていて、その姿は圧倒的な存在感を放っていた。それはまさに信仰の象徴であり、この神殿で生活する信者たちにとって心の拠り所になっていたことが窺えた。しかしその象徴も傷つけられていて、戦闘の影響を受けていた。鋭利な刃物による傷が刻まれ、何者かの血液が付着してた。
「ねぇ、エル」
青年のとなりにやってきたラライアが、その象徴を見ながら首をかしげる。
「あれって異教徒たちの大事なモノなんだよね。どうして磔にされた人間の像を、神殿の象徴にしてるの?」
「さぁ」アリエルも顔をしかめた。
「〈赤の魚人〉のように、神に生け贄を捧げることで、信仰心を高めようとする野蛮な連中なんじゃないのか?」
「ふぅん。へんなの」
彼女は周囲を見回して、それから眉をひそめた。
「それにしても、ひどい臭いだね」
神殿内には燻ぶる木材と焼けた肉の微かな臭気が漂っていた。平穏な信仰の場であったはずの神殿が、遠征隊の登場で一変していた。
祭壇の奥には壁画があり、信仰に関する大切な場面が――磔にされた人間の姿や祈りの瞬間が壁一面に描かれているのが確認できた。かつては美しかったのだろう、今では亀裂が入り、塗装が剥がれ、一部が欠けていた。しかしそれは戦闘による被害ではなく、経年劣化によるモノだと確認できた。
美しい壁画の一部が失われたことは、神殿の神聖さの喪失と、この悲劇的な結末を予言しているようでもあった。
祭壇の床には血溜まりが広がっていて、手足を失った僧兵が横たわっている。鮮やかな赤が床を染め、その惨状は、異教の神が何の役にも立たないことを如実に語っていた。奇跡のひとつでも起こせば、この惨劇から信者を救えたのかもしれないが、異教徒の神は、今このときも〝沈黙〟していた。
光が射し込むガラス窓が割れていて、床に破片が散らばっている。かつては美しい色彩で輝いていたガラスも、寂れた神殿のように色褪せてしまっている。
その神殿内の空気は重く、沈黙が支配している。ただし、その静寂を破るように神殿の奥から足音や争う音、それに悲鳴が聞こえてくる。まだ僧兵の生き残りがいるのかもしれない。
リリとノノは戦闘に備えて体内の呪素を練り上げ、コツコツと〈枯木の杖〉を突きながら歩いて、開け放たれた扉に近づく。そこは食堂として利用されていたのか、テーブルが並び、料理が盛られた木製の器が放置されているのが見えた。やはり食事中だったのだろう。かれらは侵入者の存在に気がついて、形振り構わす襲いかかってきたようだ。
短い廊下を歩いて、となりの部屋を確認する。そこには無数の寝台が並んでいたが、血まみれの死体も転がっていた。騒ぎに気がついて、僧兵のローブを身につけようとしていたのだろう。半裸で横たわり、腹部から飛び出していた内臓を押し込もうとしている状態で息絶えていた。
争う音が聞こえると、満身創痍の僧兵が廊下に転がり出る。すると血に濡れた刀を手にしたイザイアがやってきて、男性の目に切っ先を突き入れる。それは脅威を排除するための行為というより、殺しそのものを純粋に楽しんでいるような嫌な雰囲気があった。
イザイアは一瞬、アリエルたちに殺気を向けるが、すぐに冷静で寡黙な戦士の表情を見せた。混乱した戦場では仕方のない行為だと思う一方、イザイアに対する不信感が募っていくのを感じた。
「兄弟、こっちだ」
ルズィの声が聞こえると、アリエルたちは返り血に濡れたイザイアの横を通って部屋に入る。そこには金の装飾品やら見慣れない銀貨が詰まった木箱が置かれていた。
「僧兵のひとりが何処かに運び出そうとしていたのを見つけたんだ」とルズィが言う。「ほかにも貴重なモノがあるかもしれない。そいつを探し出して、この意味のない戦いの報酬として頂戴しよう」
『それより――』と、ノノが鳴いたときだった。
「わかってる」ルズィは銀貨に刻まれた肖像を眺めながら彼女の言葉を遮る。
「俺たちがこの世界に来た痕跡が残らないように、すべての建物に火をつけよう」




