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神々を継ぐもの  作者: パウロ・ハタナカ
第五章 異変 前編
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02


 転移門を捜索していた遠征隊は、危険な生物が徘徊する葦原(あしはら)を慎重に移動していた。どこまでも続く湿原は不気味な気配に包まれ、(あし)の茂みに腐臭を含んだ風が吹き抜けていく。足元には不快な泥濘(でいねい)が広がり、踏み込むたびにグシャリと沈み込んでいく。


 その劣悪な環境は、斥候(せっこう)の役割を(にな)っていた〝影のベレグ〟を苦しめていた。樹木の生い茂る東部とは勝手が違い、南部の湿原に慣れることはなかった。


 アリエルと豹人の姉妹に守られていた照月(てるつき)來凪(らな)は、背の高い(あし)が風に揺れる音を耳にして思わず立ち止まる。混沌の侵食が影響しているのだろうか、湿原には奇妙な植物が繁殖している。(くき)の先に鋭いトゲを持つ若紫色の植物が散在し、不用意に触れてしまうと衣類が引き裂かれてしまうほどだった。


 そのため、遠征隊は敵の気配に警戒するだけでなく、湿原の環境そのものを相手にしなければいけなかった。時折、底なし沼から不気味な気泡が湧き上がり小さな音を立てた。


 南部の中央には広大な湿原地帯がある。大地は黒く(にご)り、気味の悪い液体が噴き出すこともある。腐敗した植物や腐った泥から立ち昇る異臭が漂っていて、腐敗臭は不快感を与えるだけでなく、周囲の大気を重くしているように感じられた。


 湿原のあちこちにある枯れ木や植物の陰では、不気味な影が(うごめ)いているように感じられる。草陰からは奇妙な声が――まるで怨嗟を含んだ(ささや)き声が絶えず聞こえてくる。


 これらの気配は錯覚なのかもしれないが、音が聞こえるたびに部隊を率いていたルズィは仲間たちに合図を送り、身を低くして警戒する。〈黒の魚人〉が支配する沼地を避けているとはいえ、脅威はどこにでも潜んでいる。


 アリエルの耳にも不気味な囁き声が聞こえていた。その声は人間のモノとは思えない。まるで異界から()い出た異形の存在が(あし)の中から忍び寄ってくるかのようだ。不意に、誰かに呼び掛けられているような、そんな声が聞こえることがあったが、それは部族が使う共通語ではなく、呪術を帯びたような得体の知れない言葉だった。


 と、肉食獣の鳴き声が葦原(あしはら)の奥深くから聞こえてくる。その声は幽鬼の叫び声のようにも聞こえ、心地よさとは無縁の不気味な響きを持っていた。


 湿原を進むアリエルたちの体温は少しずつ低下し、疲労が蓄積していき、凍りつくような風に含まれる悪意が精神を(むしば)んでいく。


 その冷たい風がピタリと止まると、周囲に不気味な静けさが立ち込める。ルズィたちは一斉に身を低くして、豹人の姉妹は戦闘に備えて呪素(じゅそ)を練り上げる。不気味な鳴き声が聞こえるようになると、上空を飛んでいた鳥を使って敵の姿を探す。(あし)のなかに敵が潜んでいるのではないかと疑念を抱くが、上空からは何も見えない。


 不気味な息遣いがゆっくりと近づいてくると、アリエルたちの視線は葦原(あしはら)の薄暗い空間に向けられる。彼らの手には武器が握られていたが、敵は一向に姿を見せない。


 青年の心は緊迫感で満たされ、不安と恐怖で心が埋め尽くされていく。彼らは闘いに備えていたが、瘴気を含んだ気配は予想を超えるものだった。彼らは湿原に満ちる悪意と闇に(さいな)まれながら、敵の接近に備えて移動し続けるほかなかった。


 そんな厳しい状況のなか、鳥を使い〈転移門〉を探していたノノは、とうとう荒廃した遺跡を見つける。遺跡は葦原(あしはら)の中心部に位置し、不気味な存在感を放っている。


 遺跡に続く近道なのだろうか、不自然に(あし)が刈り取られている空間が存在していたが、アリエルたちが近づくことはなかった。地中に潜む〈(いざな)うもの〉が仕掛けた罠の可能性がある。


 遠征隊から離れた位置にいた戦狼(いくさおおかみ)のラライアは、じっと息を潜め、周囲の動きに警戒しながら(あし)の間を進んでいた。白銀の美しい体毛は汚泥(おでい)にまみれ、歩くたびにビチャビチャと泥が跳ねる。が、彼女は()れを――部隊を守るため警戒を緩めることはしない。


 上空に紅い眸を向けると、暗く重い雲が広がり、その厚い雲が湿原を(おお)い尽くしているのが見えた。陰鬱(いんうつ)な雰囲気が葦原に立ち込め、奇妙な静寂が降りかかってくる。彼女の周囲は薄暗く、悪意を持った影が彼女のことを包み込んでいく。けれど淡い燐光(りんこう)を帯びたオオカミを侵すことはできない。


 ずっと遠くで雷鳴が(とどろ)く。その重々しい音は(あし)を揺らし、湿原の奥深くまで響き渡る。一瞬、葦原(あしはら)の一角が雷に照らされるのが見えた。(まばゆ)い光が瞬間的に葦原の闇を裂いて、異様な姿の怪物を浮かび上がらせる。


 その瞬間、アリエルたちの表情は緊張で強張る。けれど葦原(あしはら)が再び薄闇に沈み込むと、怪物の気配も消えてしまう。その静寂の中で、かれらの心臓の鼓動はより一層大きく響く。嫌な緊張感だ。


 暗雲に(おお)われた湿原は、まるで悪夢の舞台のようにも思えた。彼らは立ち止まると、遺跡に向かう経路を再確認してから進む。雲が彼らの頭上に重く圧し掛かるような感覚がして、湿原全体が悪意を向けているようにさえ感じられた。


 そして雷鳴が再び轟く。地面が(かす)かに震え、その音は世界に響き渡る。アリエルたちは轟音に背筋を震わせながらも葦原(あしはら)を突き進む。視線の先には暗く寂れた印象の沼があり、沼の底から湧き出る気泡が青白く輝き、腐臭を放ちながら破裂していくのが見える。


 遺跡に近づくにつれ、嫌な霧が立ち込め、亡霊のような幻影が浮かび上がる。いや、幻影などではなく、悪霊なのかもしれない。それは景色が()けて見える身体(からだ)を持ち、薄緑色に光り輝いていた。悪霊は足元の沼から姿を見せ、悪意を持って遠征隊の周囲を飛行し続ける。


 その悪霊は過去の(いくさ)で亡くなった人々の姿を()しているのか、革鎧は血に染まり、傷口から内臓が飛び出しているのがハッキリと確認できた。かれらの顔には哀しみや怨念、怒りが刻まれ、冷たい眼差しでアリエルたちを見つめる。


 それらの悪霊は忘れ去られた戦士であり、この沼地に縛られた存在なのかもしれない。それとも、人々を惑わせるだけの存在なのだろうか?


 亡霊じみた悪霊は不規則に動き回り、葦原(あしはら)の中を舞い踊るかのように漂い、不意にあらわれたり消えたりしていた。かれらの存在は時間と空間を超越していて、純粋な恐怖で人々の精神を侵していく。けれど遠征隊は忍耐強く悪霊と対峙する。ノノとリリは不気味な笑みを浮かべる悪霊を浄化し、瘴気と共に払っていく。


 遺跡の外縁までやってくると、植物が異様な変化を遂げているのを目にする。湿原に自生する植物は本来の生態系から逸脱し、(ゆが)んだ形態を持つ植物に変貌している。アリエルたちの前には、遺跡の巨大な壁と(いばら)が立ちはだかり道を塞いでいる。


 (むち)のようにしなり複雑に絡み合い、鋭い(とげ)に覆われている邪悪な茨は、意思を宿しているのか、遺跡に侵入するモノを拒むように生い茂っている。遺跡に近づくため、ルズィとリリは〈火炎〉で焼き払おうとするが、茨は抵抗するように呪素(じゅそ)(まと)う。


 すると(いばら)は触手のように地中から伸びて襲いかかってくる。枯れ木のように乾燥しているが、触手はしなやかで独自の意思を持っているかのように振るわれる。が、アリエルたちは冷静だった。〈枯木人(かれきびと)〉と呼ばれる生物がいるのだから、動き回る茨が存在していても不思議じゃない。かれらは武器を手に取ると、茨を斬り裂き焼き払っていく。


 遺跡に近づくほど瘴気が濃くなり、ますます陰鬱な雰囲気に包まれていくのを感じる。不気味な光や影が交差し、周囲に立ち込める霧が遺跡を覆い隠していく。呪術師によって秘匿されていた遺跡に近づいている、そんな気分にさせるほどの光景だ。


 突然、葦原の向こうからオオカミの遠吠えが聞こえる。ラファと行動しているヴィルマが何か見つけたのだろう。妹の声に反応してラライアも遠吠えで返事をする。周辺一帯の茨を焼き払うと、ラファたちと合流するため、遺跡に続く道を切り開いていく。

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