01 崩壊
「また崩壊した転移門か……」
黒衣に身を包んだルズィは、荒廃した構造物の瓦礫と残骸、そして繁茂する雑草を見渡してウンザリしながら言った。
〝ちがう〟アリエルは別のことを考えていた。〝これは誰かの手で意図的に破壊された転移門で、もしかしたら異界につながる門だったんだ〟と。
〈青の魚人〉が管理する遺跡で確認できた〝光の地図〟をつかい、すでに森の外につながると思われる転移門をいくつか見つけていたが、そのどれもが倒壊していて、すでに転移門としの機能は果たせなくなっていた。
しかし、いざ自分の目で確かめてみると、転移門の崩壊に誰かの意思が介在していることが分かった。かれらは――それが誰の仕業だったとしても、〈森の子供〉たちが転移門を開いてしまうことをどうしても阻止したかったのだろう。
破壊された転移門の瓦礫に近づくと、混沌の残り香が瘴気になって漂っているのが感じられた。その濃厚な気配に心は恐怖で満たされていく。それは吐き気を催す死の恐怖を携えて、足元から這い寄るような錯覚を起こす。
『エル、嫌な気配がする』
戦狼のラライアがとなりにやってくると、青年は白銀に輝く彼女の体毛を撫でる。オオカミは青年に甘えるように身体を寄せると、転移門の残骸に紅い眸を向ける。
『きっと森の神々の呪いの所為だ』
夜の月を思わせる月白色の長髪を持つ青年は、後頭部でひとつに結んだ三つ編み揺らしながら瓦礫の側まで歩いて行くと、その場にしゃがみ込んで緑に苔生した骨を手に取る。人間の頭蓋骨にも見えたが、土鬼のように額に二本のツノがついているのが確認できた。
この遺跡を遺した種族のモノなのだろうか、それとも、この地までやって来て力尽きた勇敢な戦士の骨なのだろうか。
不意に、森の神々の支配に抵抗して森を去ろうとした〝嘆きの王〟の物語を思い出す。その王が君臨していた地には、異界につながる〝神の門〟がいくつも築かれていたが、混沌の侵入を許してしまったことに――あるいは、混沌を招いてしまったことで神々の怒りに触れ、王国が滅んでしまうという話だ。
その地には無数の監視塔が築かれていて、混沌を監視する〈秩序の守護者〉と呼ばれる偉大な戦士たちがいたという。〝壮麗なるバルクロス〟に〝穢れなきアイリーン〟の名は部族の子どもたちにも知られていて、今でもチャンバラごっこで耳にすることがある。
アリエルは頭蓋骨をもとの位置に戻すと立ち上がり、周辺一帯の安全を確保していた兄弟のもとに向かう。足元には骨の破片が砂利のように敷き詰められていて、歩くたびに骨片が砕ける乾いた音が聞こえた。
南部には、盲目の信徒と呼ばれた〝カララ〟が、混沌からやってきた〝皮剥ぎの姫君〟と闘い、その激しさに大地が割れ、血の川が流れるようになった場所があれば、監視塔の炎が消えたことを知った〝幽鬼の騎兵〟が王都に攻め寄せるために攻撃した砦の遺跡があるとも言われていた。
それらは何百年も、何千年も前に実際に起きたことなのだと今に伝えられているが、そのいくつかは疑いようもなく完全な作り話だと考えられていた。
ヤシマ総帥は、それらの物語を鵜呑みにしてはいけないと教えてくれた。それらは孫を喜ばせたい話し好きな賢女たちの創作なのだと。しかしそのなかには、真実も含まれていることがあるので、賢女たちが語る伝承について学ぶことも大切だと教えられた。
なるほど、実際に伝承に登場するような――少なくとも、雰囲気は似ている――遺跡に立っていると、それらの物語がどれほど重要なモノなのか分かる。もちろん、この場所は〝嘆きの王〟の物語とは関係のない遺跡なのだろう。けれど転移門が破壊されていた理由を知る手掛かりにはなる。
おそらく、これらの破壊された転移門の多くは、何らかの理由で〈混沌の領域〉につながってしまった門だったのだろう。だから破壊されてしまった。確証はないが、遺跡に漂う瘴気は本物だった。
「どうするよ、兄弟」
ルズィは不吉な遺跡を見つめながら言う。
「一度、拠点に戻ってから照月來凪をつれてくるか?」
「いや」
青年は頭を横に振る。
「彼女と龍の子がいても、この遺跡の転移門は開かないだろう。……ところで、ウアセル・フォレリはどこに行ったんだ?」
「近くにある神殿を見に行くって、護衛を連れてどこかに行っちまったよ」
「そいつはマズいな……この遺跡には、なにかよくないモノが潜んでる気がするんだ」
「だろうな。面倒なことになる前に、やつを迎えに行こう」
ルズィが歩き出すと、青年は巨大なオオカミに声をかけてから、そのあとを追うことにした。
朽ちた外壁のあちこちに苔が見られ、倒壊した壁から神殿内部の様子が見えた。古の神々を祀っていた場所なのだろうか。禍々しい彫像が立ち並んでいるのが確認できた。それら異形の彫像の側に立つウアセル・フォレリの護衛に声をかけたあと、褐色の肌を持つ青年のとなり立つ。
「なにか興味深いモノでも見つけたのか?」
ルズィの言葉に反応して青年は彫像に向かって顎をしゃくる。
「触手を生やした化け物だ。どう見たって森の神々じゃない」
「そうか?」ルズィは顔をしかめながら彫像を見上げる。
「俺たちの知らない神々も存在する。そのなかに触手を生やしている神がいても不思議じゃない」
「君は森の神々と邪神を見分けることもできなさそうだ。いいかい、森の神々は――」
そこで青年は口を閉じて暗闇に青い眸を向ける。
「また魚人どもか?」
ルズィの言葉に返事をしたのはラライアだった。
『ううん、違うみたい。食屍鬼に似た嫌な臭いだけど、もっと別の何かの気配を纏ってる』
「幽鬼でもないなら枯木人だな」アリエルは妖しく明滅する紅い眸に呪素を纏わせ、暗闇に潜むモノの姿を確認する。「この辺りの遺跡は連中の棲み処になっているんだ」
高い天井から落下してきた瓦礫の近くに、ソレはひっそりと佇んでいた。樹木に変異してから相当な時間が経った個体なのか、枯れ木のような乾いた樹皮を纏い、地面に太い根を張り、天井から射し込む陽の光に向かって無数の枝を伸ばしている。
「始末するのか?」と、アリエルは斧を手にしながら言う。
「いいや」ウアセル・フォレリは頭を横に振った。「あれは放っておこう。近づかなければ襲ってこないだろうし、近くに潜んでいる枯木人を刺激するような真似はしたくない。それより、転移門は見つかったのかい?」
「ああ、見つかったよ」ルズィは神殿に吹き込んでくる風に耳を澄ませながら言う。「けど、この遺跡の門もダメだった。やはり地図に載っていない遺跡を探したほうがいいのかもしれない」
「照月來凪の能力を使って、古代の人々が地図に記さなかった遺跡を探す……」ウアセル・フォレリは腕を組むと、異形の彫像を見つめる。「龍の子を連れて探索するのは、なにかと危険が伴うが、彼女の〈千里眼〉を使わなければ状況を打開することもできない……か。エルはどう思う?」
「大変だけど、やるしかない」
結局、〈境界の砦〉に帰還するための転移門もまだ見つかっていない。それに加えて、バヤルが裏切ったさいに念話を可能にする呪術器に何かしらの細工をしていたのか、砦にいる総帥とも連絡が取れなくなることがあった。このまま呪術器が不安定になり、完全に連絡できなくなることも考えられた。
遠征隊には時間が残されていなかった。
「それなら拠点に戻って作戦を立てなければいけない」
ウアセル・フォレリが護衛の〈黒の戦士〉を呼び寄せると、一行は廃墟の間を徘徊する枯木人に遭遇しないように注意しながら遺跡を離れることにした。