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神々を継ぐもの  作者: パウロ・ハタナカ
第四章 南部
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 ()み千切られた身体(からだ)が宙を舞い、内臓やら体液を撒き散らしながら落下していくのが見えた。敵対する部族の干し首や生皮を吊るしていた奇妙な旗竿(はたざお)は折れ、汚泥のなかに散らばっていく。


 雷を(まと)った黒豹に視線を向けると、身体(からだ)を構成する膨大な呪素(じゅそ)が煙のように立ち昇っているのが見えた。呪素によって具現していた〈呪霊(じゅれい)〉が存在を維持できず、この世界から消失しようとしているのかもしれない。しかしその鋭い眼光は、今もなお〝網目の魚人〟に向けられていた。


 と、ふたつに分かれていた魚人の上半身と下半身の切断面に、(みにく)腫瘍(しゅよう)のようなモノがあらわれたかと思うと、たちまち気色悪い肉の触手に変化していくのが見えた。


 その気色悪い触手は互いに絡み合うと、切断され地面に横たわる身体(からだ)を引き寄せるようにしてくっ付き、蒸気を立てながら傷を修復させていく。〈黒の魚人〉が驚異的な生命力を持っていることは知っていたが、さすがにこの状態でも傷を癒すことができるとは思っていなかった。


 魚人がのっそり起き上がろうとしたときだった。呪霊の身体(からだ)(あや)しく発光し曇り空に雷鳴が(とどろ)いて、青白い閃光が魚人を(つらぬ)くのが見えた。直後、醜い化け物は炎に包まれる。


 しかしそれでも倒れることはなかった。傷つき()けた(うろこ)からは無数の触手が伸び、周囲にあるモノを見境なく攻撃するように出鱈目に振り回される。


 そうこうしている間に豹人の姉妹がやってきて、雷を(まと)った黒豹に呪素を注ぎ込んでいく。力を得た呪霊は猛々(たけだけ)しく吠え、空に雷鳴が轟いたかと思うと、魚人は何度も雷の直撃を受けることになった。その攻撃は容赦がなく、魚人の一部が炭化するほどだった。


 それでも驚異的な生命力で化け物の身体(からだ)は再生していく。が、修復されていくたびに、より(みにく)い姿に変異していくことになった。


 見境なく、そして手当たりしだいに敵魚人を攻撃していた異様な影も、網目の魚人が身に(まと)う気配の変化に気がついたのか、動きを止めて魚人の様子を見守る。その不定形な影が止まった瞬間、周囲に立ち込めていた暴風が消失し、あとには無数の死骸ばかり残されることになった。


 (みにく)身体(からだ)痙攣(けいれん)させるようにして、傷を修復していた魚人がピタリと動きを止めるのが見えた。傷は修復されていたが、全身に脈動する奇妙な触手が絡みついていて、もはや魚人と異なる生物に変化したように感じられた。しかしその手には禍々しい鬼火を宿す妖刀が握られていて、敵対的な意思が失われていないことは明白だった。


 ノノとリリの呪素によって具現していた呪霊は、ついに霧散していなくなってしまったが、姉妹の周囲には無数の〈氷槍〉が浮かんでいて、彼女たちの戦意は失われていなかった。


 アリエルが魚人に向かって駆け出すと、示し合わせたかのように姉妹が放った鋭い氷が勢いよく飛んでいく。しかし化け物は冷静だった。刀を使い呪術の氷を砕くと、突進してきていたアリエルに向かって刀を振り下ろす。それは目にもとまらない達人じみた圧倒的な太刀筋で、青年は攻撃するどころではなくなる。


 魚人が右足を踏み込んで前に出るたびに、目に見えない刃が空気を斬り裂いていく。アリエルは何とか攻撃を避けながら、敵に致命傷を与えられる機会を(うかが)っていた。毒を帯びた刃をその肉に叩きつけることができれば、あるいは勝機を見いだせるかもしれない。しかし魚人に攻め込まれ、逆に肩を斬られてしまう。


 噴き出した鮮血が嫌な音を立てて地面を濡らす。恐るべき見事な太刀筋だったが、相手を褒める気にはなれなかった。そこに姉妹が生成した無数の〈土槍〉が地面から突き出して魚人に襲いかかる。が、魚人は人間離れした跳躍力で後方に飛び上がる。そのあとを追うように〈土槍〉が生成されていく。


 しかし魚人を傷つけることはできなかった。足場のない空中で――まるで空気の層を蹴るようにして、魚人はさらに高く飛び上がると、倒壊した遺跡の残骸に着地する。呪術を応用した技術なのかもしれない。最初から分かっていたことだが、この化け物の相手は一筋縄ではいかないようだ。


『傷の治療を』

 ノノの鳴き声でハッとして〈治療の護符〉を取り出すと、肩に押し当てるようにして使用する。すぐに痛みは引いたが、血を流し過ぎたのかもしれない。足元がふらつく嫌な感覚と吐き気を感じていたが、ここで逃げるわけにはいかなかった。


 魚人が駆けてくると、アリエルは殺気の中心に(みずか)ら飛び込んで斧を振り抜いた。相手の命を奪うことだけを目的とした単純な攻撃だが、それゆえに洗練された一撃でもあった。


 しかしそれでも魚人には届かない。刃が打ち(はじ)かれると、返す刀で脇腹を斬り裂かれる。あやうく胴体をふたつに断ち斬られてしまうような攻撃に怖気(おじけ)づいて、思わず膝をつきそうになる。


「大丈夫だ。まだやれる……」

 息を吸って、四つ数えながら吐き出す。


 考えなければいけないことはいくらでもあったが、今は呼吸にだけ集中する。徐々に痛みや恐怖は消えていく。意識を集中して、瞑想するように心を落ち着かせていく。しだいに意識の底に落ちていくような、奇妙な浮遊感が全身を包み込んでいく。


 気がつくと暗い回廊に立っていた。目の前には無数の棺が並んでいる。しかし空っぽだ。と、つめたい風が吹き込んでくる。闇に沈み込んだ回廊を歩いていくと、ぼんやりとした蝋燭(ろうそく)(あか)りが見えてくる。そのすぐ近くに、不定形の黒い影が立っているのが見えた。そしてその影が腕を伸ばし、こちらを指差(ゆびさ)すのが見えた。


 見間違いではないのだろう。胸に手を当てると、燃えるような熱を宿した〝何かが〟脈動しているのを感じた。


 それを(つか)み取ると、ゆっくり手を広げた。すると淡い光を放つ鉱石がのっているのが見えた。それは規律を失った守人たちに(さら)われ、悲惨な最期を迎えることになった女性たちの怨念によって形作られた石だった。


「これが欲しいのか?」

 青年の問いに、その黒い影は確かに(うなず)いたように見えた。


「森の神々に誓って約束する、この石はお前のモノだ。けど、ひとつだけ条件がある」

 黒い影に顔はなかったが、ニヤリと笑みを浮かべているのが分かった。


「あの魚人を――俺たちの敵を(ほふ)ってくれ」

 不意に蝋燭(ろうそく)(あか)りが消える。(まぶた)を開くと、黒い影が魚人と対峙しているのが見えた。感覚に(したが)い黒い影と対話を試みたが、効果はあったみたいだ。


 脇腹が熱を持っている。傷口に手を当てると、黒衣が血液にぐっしょりと濡れていた。護符を押し当て傷を治療するが、足が震えて立っているのもつらく感じる。


 (かす)む視界のなか、黒い影が魚人に向かって突進するのが見えた。妖刀を手にした化け物はすぐに反応して刀を振り下ろすが、影を斬ることのできる者など存在しないのだろう。


 空気をつんざく破裂音のあと、魚人が吹き飛ぶのが見えた。しかしあれだけの衝撃を受けたにも(かか)わらず、しっかりとした意識があるのか、魚人は空中でくるりと身体(からだ)を回転させて着地しようとする。そこに黒い影が襲いかかる。


 影に向かって横一文字に振り抜かれた妖刀が粉々に砕けるのが見えた直後、乾いた破裂音が聞こえ、魚人の身体(からだ)がグチャグチャに破壊されるのが見えた。(うろこ)が裂け、肉が(えぐ)れ、内臓や骨が()き出しになる。本来ならすぐに修復が行われるはずだったが、その(すき)すら与えられなかった。


 ふたたび破裂音が響き渡ると、魚人だったモノが粉々になって跳び散るのが見えた。もはや原形すら留めない肉に変わっていた。しかし不定形の影が止まることはなかった。黒い暴風が吹き荒れたかと思うと、それらの肉は灰に変わり、跡形もなく消滅してしまう。


 あとに残されたのは、所在(しょざい)なげに立ち尽くすアリエルと姉妹、それに不定形の黒い影だけだった。

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