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神々を継ぐもの  作者: パウロ・ハタナカ
第四章 南部
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『ねぇ、エル』

 となりにやってきた豹人のやや灰色がかった白花色(しらはないろ)の美しい体毛に、黒い梅花状(ばいかじょう)斑紋(はんもん)が綺麗に散りばめられていているのが見えた。

「どうしたんだ、ノノ」


『先ほどの遺跡から、得体の知れない影がついてきています』

 アリエルはちらりと振り返ると、石柱の陰に潜んでいる不定形の影を見る。

「敵意は感じられるか?」


『いいえ』

 彼女は頭を横に振ると、小さな鳴き声を漏らす。

『ですが、不気味です』


「悪意がないなら、今は放っておこう」

『よろしいのですか?』

 つねに色合いを変化させる綺麗な瞳に見つめられながら、アリエルはうなずいた。

「ああ、まずは集落にいるアデュリたちを助けることに集中しよう」


 遺跡の中心に立つ高い塔のすぐ正面に、白い石積みの門が立っているのが見えた。おそらく、ソレが〝転移門〟として機能する古代の構造物なのだろう。その重厚な門は建物二階分ほどの高さがあり、形が揃えられた石が綺麗に積み上げられていて、(かす)かだが冷気が感じられる。その所為(せい)なのだろう、周辺一帯の気温は低く、奇妙な肌寒さが感じられる。


 まるで部族の賢女たちが語り継ぐ(いにしえ)の呪文が刻まれた〈死者の門〉にも見えた。その門の表面には、時間の経過を感じさせる(こけ)やツル植物が絡まっていたが、風化による亀裂や破壊の痕跡は見られない。


 ルズィが門に近づくと、彼の腕輪に反応したのか、転移門の内側に何か奇妙なモノが――半透明の水の膜のようなモノが出現するのが見えた。その膜は幻想的な青い輝きを放ち、(かす)かに揺れ動いている。鏡のようにも見える薄膜の表面に自分の姿が反射して映り込と、ルズィはふたつの世界に存在しているような奇妙な感覚に襲われた。


 アリエルは手を伸ばして、その膜の表面に触れてみる。想像していたとおり、それは冷たい水に触れている感触だったが、手が濡れることはなかった。


 転移門の周囲に立つ建物は、薄暗く静まり返っている。遺跡の中心に(そび)える塔の影が陰鬱(いんうつ)な印象を与えているのかもしれない。倒壊した建物の壁面には、時間の経過や侵食によって損傷した文字や模様が見えていたが、植物の根が絡みついて建物に(おお)(かぶ)さっているので、それが何を意味しているのかは分からなかった。


 不意に、周囲の建物から(ささや)き声が聞こえてくるような気がして、アリエルは思わず耳を傾ける。それは呪いの言葉の欠片のように耳に届くが、やがて何も聞こえなくなる。遺跡の壁に刻まれた文字や模様は、あるいは侵入者を排除する呪文として機能していたのかもしれない。


 時折、凍りついた風が建物の間を通り抜けて、草木を揺らしながら奇妙な音を立てる。しかし転移門の前に立つ青年は、不気味な静寂に身を置き、鳥肌が立つような寒気を感じていた。


 水面のように澄んだ転移門の膜の向こう(がわ)から膨大な呪素(じゅそ)が漏れていて、今にも混沌が這い出て、世界を侵食してしまうのではないかと錯覚する。


 突然、つめたい(きり)が転移門から(あふ)れ出て足元に立ち込める。それはアリエルたちの周りに非現実的な空間を形成していく。まるで生きているかのように、霧は彼らの足元から離れようとしない。


 しだいに霧が花のような形状に変化していくのが見えた。氷の花弁が妖艶(ようえん)な輝きを放ち、美しさと言い知れない恐ろしさを宿していく。


 それぞれの花弁は宝石のように光を反射する氷で作られていて、黒衣が触れると、一瞬にして布を凍りつかせるほどの冷たさを帯びていることが分かる。花の茎は地面を()い回りながら伸びて、無数の触手のように(うごめ)く。


 それらの氷の花は、呪術によって生み出された邪悪な生命体のように見えた。照月(てるつき)來凪(らな)(あや)しく輝く氷の花に囲まれ、その不気味さと冷たさに戦慄しながらも、一歩ずつ花の中を歩いて転移門に近づく。龍の幼生も不思議な光景に眼を奪われていて、興味深そうに氷の花を見つめていた。


 すると青い光で形成された地図が浮かび上がるのが見えた。それは別の遺跡で〝老いた豹人〟と一緒に見たモノに似ていた。移動先は示しているのだろう、点滅している遺跡が見えた。所持していた古い地図を確認すると、襲撃されている〈青の魚人〉たちの集落で間違いないようだった。


「準備はいいか?」

 ルズィの言葉に、戦士たちは無言で武器を手に取る。


 転移門に入ると、そこは骨の髄まで凍らせるような異界の寒風が吹き(すさ)ぶ場所で、つねに目に見えない悪意に満ちた視線にさらされることになった。が、それは(まばた)きの間の一瞬の出来事で、気がつくと集落に到着していた。


 燃え盛る炎と煙が絡み合い、黒煙が空に向かって立ち昇るのが見える。平穏だった集落は悪夢と化していた。湖畔の葦原(あしはら)は燃え、遺跡は倒壊し瓦礫(がれき)の山と化し、炎によって(ゆが)んだ影が投影され、死の匂いに(おお)われている。風は遠くから悲鳴と苦痛の声を運び、その音色は集落に包む絶望と悲劇を伝えているようだった。


 集落の石畳は血液で染まり、あちこちの壁に血飛沫(ちしぶき)が付着している。地面に横たわる魚人の遺体が目に入り、心を凍り付かせるような怒りに襲われる。彼女の顔は苦痛に歪み、閉じられることのなかった空虚な眸は、光を失ったまま炎を見つめている。


 が、いつまでも茫然と立ち尽くしているわけにはいかない。彼らの存在はすぐに敵魚人の注意を引き、〈黒の魚人〉が煙の中から姿をあらわし、奇声を上げながら襲いかかってくる。


 敵魚人の蜥蜴(とかげ)じみた黒い顔は怒りに(ゆが)み、粘液質の返り血が糸を引いているのが見えた。その肉体は大きく、そして(みにく)(ゆが)んでいて、何かしらの呪術によって強制的に強化されていることが分かった。


 敵魚人に反応した女戦士のメアリーは、すかさず弓を手にする。矢は空気を切り裂きながら飛び、魚人の(みにく)い肉体に突き刺さる。しかし強化された影響なのか、硬い鱗の所為(せい)で致命傷を与えられない。そうこうしているうちに、黒煙の中から次々と新たな敵が姿を見せる。まるで闇の中から生まれるように、(おぞ)ましい魚人の()れ突撃してくる。


「今だ!」

 ルズィが声を荒げる。

「魚人どもを焼き尽くせ!」


 豹人の姉妹が放った〈火炎〉が猛進してくる魚人の身体(からだ)を包み込み、炎の呪術を得意とするルズィが放った特大の〈火球〉が集団の中で炸裂する。魚人の群れは無慈悲な炎に呑み込まれ、その身体を灰に変えていく。


 炎は邪悪な混沌の気配を帯び、敵を容赦なく呑み込み込んでいく。炎の直撃を受けなかった魚人も、空気と共に体内に侵入した炎によって喉を焼かれ、肺を破壊されていく。根本的な生命力を奪われた魚人は、血と共に臓器を吐き出し、苦しみにのた打ち回りながら絶命する。


 その炎の灯りは、恐怖に震えながら遺跡の陰に隠れている幼い子どもたちの姿を鮮明にする。子どもたちの無邪気な表情は絶望に歪み、血の混じった涙が頬を伝うのが見えた。


 と、そこに魚人の呪術師が放った火球が飛んでくる。周囲には円錐形(えんすいけい)の粗末な住居があったが、その住居は炎に包まれ、燃え盛る炎の竜巻が踊っていた。干物や毛皮は焼き尽くされ、煙と灰が舞い上がり、石柱の影が悲鳴と共に揺れ動いている。


 その間も、集落のあちこちから悲惨な叫び声が聞こえてくる。傷ついた魚人たちの苦痛と絶望の叫び声が曇り空に響き渡る。それは死にゆく者たちの最後の抵抗の声であり、生を渇望する叫びでもあった。


 アリエルの耳に叫び声が刺さり、彼の心に暗い悲しみと怒りを生み出していく。青年の心は怒りに満ちている。彼は守人として守るべき存在に対して行われる残虐な行為に、これまでにない怒りを感じていた。青年の心は――遠征隊が引き起こしたかもしれない、この悲劇に対する怒りと復讐心で満ちていた。


 彼は目の前で繰り広げられた惨劇を見つめ、世界を焼き尽くすほどの憎しみを感じていた。紅い瞳はその憎しみに輝き、斧を握り締める手は震えている。


 と、魚人が飛び掛かってくる。アリエルは、かれを蹴りつけようとした魚人の脚を切断すると、倒れた魚人の頭部に容赦なく斧を叩きつける。硬い頭蓋骨が砕けてグシャリと体液が飛び散る。呪素(じゅそ)が流し込まれた刃からは毒が染み出し、血液と共に滴り落ちる。


 彼が手にする〈枯木(こぼく)の斧〉は鋭く、敵魚人の血に濡れた刃は炎の灯りでヌメヌメと輝く。青年は()れのなかに向かって駆け出すと、一瞬の隙も見せることなく、次々と敵魚人の身体(からだ)を斬り裂いていく。彼の動きは〝オオカミのように獰猛〟で、紅い眸は〝飢えた大蛇のように〟血を求めていた。その姿は森に死をもたらす悪霊にも見えた。


 しかしそれは錯覚ではないのだろう。青年の衝動に付き従うように、黒い影が魚人に襲いかかっているのが見えた。その影は悪夢を凝縮したような忌まわしい存在で、傷ついた魚人に触れるだけで魂そのものを奪い去っていく。そして影は絡み合う蛇のように膨らみ、周辺一帯に邪悪で底のない悪意の(うず)を生み出していく。

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