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その島は断崖絶壁になっていて、赤紫がかった濃い烏羽色の柱状節理の岩石があちこちで見られ、それが陽の光を受けて奇妙な輝きを放っている。遺跡に視線を向けると、島の中央に聳える尖塔が見える。その塔は島のどこからでも見えるほど高く、異様な存在感を放っていた。
島に足を踏み入れた一行は、白い石積みの構造物が連なる光景に圧倒され、そして古代文明の壮麗な建築物の数々に目を奪われた。しかしその美しさの陰には、何か言い知れない不気味な気配が潜んでいる。かれらは異様な感覚に襲われながら遺跡を進む。
アリエルはどこか躊躇いを感じながらも、古代文明が遺した構造物と過去の人々に思いを馳せながら、遺跡を建造した人々の痕跡を見つけようと努力したが、手掛かりになるようなモノは見つけられなかった。古代の人々がどのような存在であったのか、そして彼らが、どうしてこの島に遺跡を残すことになったのかという疑問は頭から離れなかった。
ノノとリリは白い石畳が敷かれた通路を離れ、狭い通りに入る。その先には井戸のある小さな広場があり、見渡す限り雑草が生い茂っていた。何年も手入れがされていないからなのだろう。湿地でも見られる若紫色のツル植物が倒壊した建物や崩れかけた柱に被さっている。通路には背の高い植物や茨が繁茂していて、それ以上、先に進むことを困難にしていた。
姉妹は来た道を引き返してアリエルたちと合流する。通路の先には内部に向かって崩壊した塔があり、その周りには人の背丈ほどの石板が立ち並んでいた。碑文が刻まれた石碑のようなモノだと考えられたが、実際に何を意味しているのかは分からない。
その一方で、意図的に破壊されたと思われる石碑が横たわっており、石の表面に刻まれていた文字が削られて読むことができないようになっていることも確認できた。その周囲には、ひっそりと草木が生い茂り、石板は苔生している。ちなみに、そこからでも遺跡の中心にある高い尖塔を見ることができた。
その尖塔を目指して通りを進み、左右に石柱が立ち並ぶ通りをいく。龍の幼生も遺跡の異様さに気がついているのか、照月來凪が背負っていた籠から身を乗り出して、古代の文字が刻まれた石版を眺めていた。
しばらく歩くと、謎めいた祭壇や神殿を思わせる建築物があらわれる。一見すると普通の石積みの建物に見えるが、よく見ると文字のような細かな彫刻が施されていることが分かる。
足元には雑草が生い茂り、そこかしこに瓦礫が転がり木々が根を張っていて、静寂に包まれている。たまに風が吹くと、壁に刻まれた文字がざわめき、まるで囁き合うように揺れ動くのが見えた。
ルズィは崩壊した塔の壁面に文字が刻まれているのを見つけるが、それは神々の時代に使われた言語で記されていて、まったく理解できなかった。しかし気になって文字を辿るように路地を進んでいくと、大量の金貨が放置されているのを発見する。それらの金貨は陽の光を受けて、まるで磨かれたように煌めいている。
幻覚の類だろうか、ルズィはしゃがみ込むと、警戒しながら金貨を手に取る。たしかに本物だったが、それが異様であることに変わりない。金貨の山のなかには小さな石板が埋まっていて、古代文字で書かれた碑文が確認できた。彼はその文字を理解することはできなかったが、石板の裏に刻まれた絵に興味を引かれた。
その絵には、かつて島に存在した〝神〟と思われる存在と、その神に跪く大勢の人々の姿が描かれている。神らしき存在は輝く光輪を身に纏って、手には剣と杖のようなモノを握っている。ルズィには石板が何を意味するのかは分からなかったが、島の謎について知ることのできる手掛かりになるかもしれないと考え、収納の腕輪で石板を持ち帰ろうとした。
が、遺跡を守護する存在が――たとえば〈枯木人〉のような存在が潜んでいることも考えられたので、結局なにも手に取らないことにした。もちろん、大量の金貨も諦めた。その金貨が大量に積まれた建物も視線の先に見えていたが、その中には深い闇が広がっていて、近くにいるだけで恐ろしい気配が立ち込めていることが分かった。
アリエルは弓形に構成された巨大な門がある構造物に出くわした。その建物は、周囲にある遺跡同様に白い石壁で覆われていたが、そこだけ金属製の複雑な装飾が施されていた。しかしその装飾の多くは錆びて損傷していた。それでも、原形が残っていた装飾は美しく、植物模様を表現した飾りは神秘的な印象を与えた。
青年のとなりに立っていたリリは、不思議な感覚に襲われる。この建物に何かが隠されているような気がしたのだ。彼女は姉と手をつなぐと、青年と一緒に建物の中に入っていく。部屋は暗く、壁の装飾も微かに輪郭が見えるだけだ。暗い部屋の先には、さらに広い空間に続いているようだ。やがて三人は大きな広間にたどり着いた。
広間の天井は高く、その中心には方尖柱を思わせる巨大な石柱が聳えている。不思議なことに、その柱は地面に接することなく、浮遊し続けていることが分かった。その表面には精巧な彫刻が施されていて、周囲には人型の石像があり、その表情は厳かで圧倒的な存在感を放っていた。
その異様な石柱からは呪素の気配は感じられなかったが、呪術に似た力によって浮遊していると考えられた。
周囲には割れた壷や破壊された陶器、それに錆びた剣や古代の硬貨などの遺物が散乱している。古代人が儀式を行っていた場所だろうか、複数の触手を持つ異様な神像や儀式用の器具、それに植物模様が刻まれた壁画が目についた。
リリは絶えず色彩を変化させる綺麗な眸で、壁画をじっと見つめる。彼女は壁画に描かれた文字や絵を解読しようとしていたが、やはり彼女にも理解できなかった。
アリエルは宙に浮いた石柱に刻まれた生物を眺めていた。それはシカのようなツノを持ち、無数の触手が生えた身体を持つ異様な生物だ。かつてこの島で信仰されていた神の姿なのだろうか。その浮き彫りは、青年を見下すような目つきをしていた。しかしそれは錯覚だろう。
不気味な静寂と、遺跡に潜む謎が青年を困惑させ心を乱している。だからありもしないことを考えるのかもしれない。
その建物を出ようとしたときだった。突然、身体中に寒気が走り、誰かに見られているような感覚に襲われる。暗がりの中に不気味な存在が潜んでいると感じたのだ。青年は辺りを見回し、姿の見えない脅威を探すが見つけることはできず、しだいに謎の監視者から浴びせられる異様な圧迫感に息苦しくなっていく。しかし唐突に気配は消えて、息苦しさもなくなる。
急いで建物を出ると、また誰かに監視されている異様な気配を――死の気配を――感じる。姉妹も同じ気配を察知しているのか、恐怖に体毛を逆立させている。三人は仲間たちと合流するため、息を潜めるようにして移動する。青年は途中で何者かに襲われるのではないかと不安になったが、それは一定の距離を保ったまま近づこうとしなかった。
この島に生き物がいないことには気がついていた。普通なら鳥の囀りや、虫の鳴き声が聞こえるはずだが、この島では生命の音が聞こえない。その静寂は不気味で、青年の心を恐怖でつめたくしていく。アリエルの視線の先には綺麗に整備された石畳が敷かれていたが、それはまるで死の道のように見えた。
そこに至ってようやく、生物の気配がしないことに不安を感じ始めた。どこからか聞こえる不気味な音や、目に見えない不可視の監視者が、青年の神経を逆撫でする。彼は心を落ち着かせようと深呼吸をする。そのときだった。何処からか冷たい風が吹きつけて、別の何かが――脅威になる存在が近づいていることに気がついた。三人を取り巻く空気が一気に重くなり、気分が悪くなる。
アリエルたちは立ち止まらず移動を続け、仲間との合流を急いだ。それほど離れていないと思っていたが、探索しているうちに遺跡深くに侵入していたようだ。大柄な土鬼たちの姿が見えるところまでやってくると、やっと安心することができた。あの異様な気配は、もう三人を追ってくることはなかった。
一行は警戒を強め、遺跡の中心を目指して歩き出した。道中、草木の生い茂る広場を横目に見ながら進むと、地下に続く階段を見つける。アリエルたちは誘われるように狭い通路を進み、足元の石段を慎重に歩いていく。地下通路は暗闇に包まれ、かれらの足音だけが響いていた。
その途中、床が不意に陥没し崩れた。青年は慌ててルズィの手を取り、奈落の底に落ちていくことを何とか逃れることができた。呪術の照明をつかい周囲を照らした。すると床が陥没した場所のすぐ近くに階段があるのが見えた。その先には狭い通路が続いているのが見えた。一行は迷うことなくその通路を進んでいった。
通路はどこまでも続いているように感じられ、しだいに青年は不安を覚えた。しかし先に進むほどに通路は広くなり、やがて天井が高くなっていくことに気がついた。そして最後にたどり着いた場所には、がらんとした空洞が広がっていた。
その広大な空間の中央には、儀式用の祭壇を思わせる石が置かれていた。石壇の表面には謎めいた縄目模様が刻まれていた。それは地上の遺跡で見られた植物模様と異なり、別の文明が残したモノのようにも見えた。
アリエルはその場所で何か重大なモノが見つかると確信していたが、同時に、得体の知れない不安も感じていた。




