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神々を継ぐもの  作者: パウロ・ハタナカ
第四章 南部
127/501

27


 アリエルはつめたい雨のなか、言い知れない感情を(いだ)きながら立ち尽くしていた。やがて彼は仲間の亡骸の(そば)に歩いていく。雨が降りしきる葦原(あしはら)の中心で、青年は自分の手で仲間を守れなかったことを悔いていた。網目の魚人との壮絶な死闘の末に勝利することができたが、それは生き残る以外に得るモノのない戦いだった。


『ねぇ、大丈夫?』

 ラライアがやってくると、青年に身体(からだ)をピタリと寄せる。

「ああ、大丈夫だ」


 アリエルはそう言うと、ラライアの怪我を確認する。戦狼(いくさおおかみ)の頑強な体毛に守られていたからなのか、傷はそれほど深くないようだ。青年は収納の腕輪から清潔な布を取り出すと、呪術で生成した水を使い傷口を綺麗にしてから、布を押し当て止血する。


『私たちは必死に戦った。でも、あの魚人は私たちが想像していたよりも(はる)かに、強力な敵だった』

 アリエルは首が切断されていた魚人の死骸に視線を向ける。

「そうだな……」


 以前、湖畔で遭遇した刀を持った個体ほど驚異的な戦士ではなかったが、それでもひとりでは太刀打ちできないほどの強敵だった。


『彼には……ザザには運がなかったんだよ』

 ラライアの言葉にアリエルは手を止める。

「運が悪かった? 本当にそれだけか?」アリエルは自分でも驚くほどの冷たい声で言う。「俺たちにもっと力があれば、もう少し速く動けていたら、ザザを助けることができたかもしれない」


 ラライアは何かを口にしようとして大きな口を開いたが、思い直して黙り込んでしまう。

「……ごめん、ラライア。少し感情的になっていたみたいだ」

『わかってる、だから気にしないで』


「すまない……」

 どこか物悲しい声で謝罪したあと、青年は止血することに集中した。


 それからアリエルは泥濘(ぬかるみ)に足を取られながら、ザザの遺体の(そば)にしゃがみ込む。つめたい雨は絶えず降りしきり、湿地は深い闇のなかに沈み込もうとしていた。それは疲弊し傷ついた身体(からだ)にさらなる痛みをもたらした。


 青年の心は深く傷つき、その悲しみは薄闇から忍び寄る混沌の気配のように、彼の魂を(むしば)んでいくように感じられた。


「エル、大丈夫か?」

 唐突に声が聞こえて振り返ると、返り血や泥で薄汚れた黒装束を身につけたルズィが立っているのが見えた。彼は周囲の状況を注意深く観察しながら青年の近くまで歩いてくる。そして首や腕を切断された昆虫種族の遺体を見つけ、アリエルとラライアが直面した悲劇に気づいた。


「やれやれ」

 彼は思わず溜息をつくと、そっとアリエルのとなりに立つ。

「間に合わなかったみたいだな……大丈夫か?」

「問題ないよ。仲間を失ったのは、これが初めてのことじゃない。ただ――」


「ただ?」

 ルズィの質問にアリエルは頭を横に振った。

「ただ、ザザとは仲の良い友人になれると思っていたから……」

「そうだな」


 ルズィは落ち込んでいる兄弟に何か慰めになるような言葉をかけたかったが、彼らは死地の真只中にいて、いつ敵から襲撃されるのかも分からない状態だった。だからこそ、非情に思われるかもしれない態度を取ることにした。


「気持ちを切り替えよう、兄弟。使えそうな装備を回収したあと、ザザを葬ってあげよう。いつまでもここにはいられないからな。ラライアも手伝ってくれ」

 アリエルは(うつむ)くようにザザの遺体を見つめていたが、やがてうなずいて立ち上がる。


 ザザの遺体から毛皮のマントや護符を回収したあと、呪術をつかって適当な深さの穴を掘って遺体を埋めた。ザザのマントは収納空間を備えた呪術器としても機能するので、湿地に捨て置くことはできなかった。どのように操作するのかは分からなかったが、活用させてもらうことにした。


 死者たちの怨念が葦原(あしはら)(おお)いつくす前に、アリエルたちは湿地を離れなければいけなかった。そのためには冷静に行動しなければいけない。アリエルは自分が背負うことになった悲しみと折り合いをつけながら(まぶた)を閉じると、ザザに別れの言葉を口にする。「いつか、神々の御国(みくに)で……」


 目を開くと、足元に敵魚人が使用していた無骨な斧が落ちていることに気がついた。アリエルはその斧を手に取ると、重さや感触を確かめるように握り直す。先ほどまで使用していた骨の斧は、激しい戦いで刃が欠けていて使い物にならなくなっていた。だから湿地にいる間は、この斧が役に立つだろうと考えた。


「そいつを持っていくのか?」

 ルズィの言葉に青年は肩をすくめる。

「ああ、得体の知れない斧だけど、なにか特別な力が付与されているかもしれない」

 野営地にいるノノに鑑定してもらえば、何か分かるかもしれない。


 何処(どこ)からともなく恐ろしい獣の咆哮が聞こえてきたのは、ちょうど出発する準備ができたときだった。

「すぐにここから離れたほうがいいな」

 ルズィの言葉のあと、野営地に向かうため三人は警戒しながら葦の間を歩いた。


 その途中、幽霊のように存在そのものが不確かな敵の追跡を受けることになった。敵の正体は分からない、呪術を使う魚人なのかもしれないし、湿地に生息する肉食昆虫や危険な獣の可能性もあった。いずれにせよ、負傷した状態で戦える相手ではない。

「エル、敵を無視して進むぞ」

「了解」


 アリエルたちが魚人と死闘を演じている間も、野営地は傭兵たちの襲撃を受けていた。その襲撃には〈赤の魚人〉とキピウの大群が加わり、混沌とした戦いに発展していったが、味方部隊が勇敢に立ち向かい敵の撃退に成功していた。しかしその勝利は、あまりにも痛ましいものだった。


 ルズィたちが満身創痍の状態で野営地に到着したときには、すでに戦闘は終わっていた。遺跡の周囲には呪術による無数の照明が打ち上げられていて、野営地を取り囲む暗闇を払うように光を放っていた。しかし野営地はひどい状態だった。遺跡周辺の見張りを担当していた戦士たちの天幕は無残に破壊され、荷物は散乱し、踏み潰され泥のなかに半ば埋もれていた。


 また遺跡のあちこちに死体が横たわっていて、すでに腐肉を好む甲虫や小動物が(むら)がっている様子が見られた。それらの死体は人間のモノもあれば、サルに似たキピウや(みにく)い〈赤の魚人〉の死体も含まれていた。とにかく凄惨な殺戮現場だ。愚かな人間の思いつきによって強行された襲撃は、誰にとっても最悪な結果をもたらす事態になった。


 アリエルたちは野営地を見回して、キピウや魚人の死骸を見て戦闘の激しさを再確認する。敵の大群による攻勢を受け、仲間たちは生きるための戦いに身を投じることになった。そうして味方に犠牲を出しながらも敵を撃退して、なんとか野営地を守ることに成功した。


 石畳に無造作に横たわる女戦士の死体を見て、アリエルはやるせない気持ちになった。これまでも多くの仲間を失っていたが、これほど多くの〝親しい仲間〟を一度に失う経験はしたことがなかった。アリエルは自分だけが生き延びたことに対して複雑な感情を抱いた。そして死んでいった仲間たちの姿を思い出し、ひどく嫌な気分になった。


「無事だったみたいだな」

 そこに〈黒の戦士〉を連れたウアセル・フォレリが姿を見せる。彼は負傷していたアリエルたちの姿を見て、いつになく心配そうな表情を浮かべる。


「俺たちは問題ない」と、ルズィは周囲の惨状に視線を向けながら言う。「もう少し早く戻ってこられたら良かったんだけどな……」

「そっちも散々だったみたいだな」


 ルズィは無理して笑みを浮かべる。

「ああ、最悪だったよ。でも――俺たちはまだ生きてる」

「そうだな、それが重要なことだ」


 野営地に危険な生物を寄せ付けないように、ルズィの指示で死体を一箇所に集めると、呪術の炎で焼却する。それはひどく手間のかかる作業だったが、誰かがやらなければいけないことだった。


 それが終わると、見張りのために照月家の武者とメアリーが率いる女戦士の部隊を残して〈白冠の塔〉に移動する。そこで湿地で何が起きたのかを仲間たちに説明することになった。


 バヤルの裏切りと襲撃には、いくつかの不可解な謎が残された。結局、彼らが長距離念話を妨害するために呪術器にどのような細工を施したのかも分からないままだった。しかし首謀者が死んでしまったことで、それらの問題を解決する糸口も失われてしまっていた。

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