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神々を継ぐもの  作者: パウロ・ハタナカ
第四章 南部

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 薄暗い通路を歩いていると、どこからともなく(ささや)き声が聞こえてくる。その不気味な旋律は、(うつ)ろな闇の向こうにいる不確かな誰かが、必死に何かを語りたがっているようにも聞こえた。しかしその言葉を理解することはできない、ただ通り過ぎていくだけだった。


 誰かが暗闇のなかで苦しんでいる。その呻吟(しんぎん)は尾を引くように、しかし途切れ途切れに続いていた。これは果たして幻聴なのだろうか、アリエルは気持ちを落ち着かせるため、深く息を吸い込んだ。


 暗闇のなかで(かす)かな変化が起きていることは、空気や皮膚を通して伝わる身体的感覚によって知覚することができた。けれどその変化の詳細を説明することはできなかった。それは深い闇のなかにじっと(たたず)み、青年に囁き続けているだけだった。


「ところで」と、先行していたルズィの声が聞こえてくる。「あんたはこの遺跡を調査するためだけに、こんな危険な地域までやってきたのか?」

 杖をコツコツ鳴らしながら歩いていた豹人は、喉の奥で(うな)るようにして答える。

『ううむ、そうじゃな。失われた種族の――たとえば、古代妖精族や妖魔の痕跡を求める捜索の旅に危険はつきものだ。でもだからといって貴重な機会を失うわけにはいかん』


「失われた種族か……。魚人の言葉を理解しているようだったけど、連中とは以前から交流があるのか?」

『基本的に温厚な種族じゃからな、こちらから手をださなければ、攻撃されることもない。それに、湿地に迷い込んだ旅人を助けることでも知られている種族じゃ、仲良くなって損はないと考えたのだ』

「仲良くなるか……〈青の魚人〉は、湖周辺に拠点を構える他の野蛮な部族とは違うみたいだな」


『もちろん違うとも。〝オアンネスの娘たち〟は神々に愛され、祝福された種族でもあるからのう。……だが同時に、それは一種の呪いでもある。(ねた)みから生じる怒りや憎悪が、彼女たちを苦しめてきた』

「それなのに、どうして湿地から離れようとしないんだ?」


『ふむ』老いた豹人は立ち止まると、杖に両手をのせ、暗闇をじっと見つめる。『この湖が己の神につながる唯一の場所だと信じているからなのだろう……。そしてそれは間違っていないのかもしれない。実際のところ、彼女たちが求めるモノは暗黒の地底を歩き回り闇雲に探しても見つかるものではない。湖の底に存在する〝門〟こそが、彼女たちの希望なのだと本能で理解しているのだろう』


「別の次元に、あるいは異世界につながる転移門か……。あんたが本当に調査したいのは、その転移門なんじゃないのか?」

『そうじゃな。(いま)だ道は閉ざされているが、運命のときは刻々と近づいている』

「運命か……俺たちに協力してくれるのも、その運命が関係しているのか?」

『大いに関係があるとも。奪われた遺物を取り戻してきてくれたら、あの島に渡る手助けもするつもりだ』


 老いた豹人が再び歩き出すと、ルズィは終わりの見えない階段にウンザリしながら気になっていたことを(たず)ねた。

「俺たちと一緒に敵の集落に来てくれるのか?」

『残念だが』と、豹人は低い声で鳴いた。『集落に関する情報は提供できるが、わしはこの遺跡でやらねばならぬことがある』


「あんたがその気になれば、魚人の集落なんて瞬く間に壊滅できるんだから、それは相当重要なことなんだろう」

 事実、その老人が身に(まと)呪素(じゅそ)は膨大で、首長を護衛する最精鋭の呪術師を凌駕するほどの能力者であることは、誰の目からも見ても明らかで疑いようのない事実だった。


『大昔のことだ。湖周辺の遺跡群を占拠した不道徳な邪教が、未知なる深淵から恐るべき存在を呼び出そうとした。その試みは古き神々と、その使徒たちによって阻止されることになったが、今もこの地域には邪悪なモノが潜み、失われた力を取り戻そうと画策している。しかし暗黒の奈落で眠っているものを目覚めさせるわけにはいかない』


「もしかして、あんたひとりで森を救うつもりだったのか?」

 ルズィの軽口に老人は笑ってみせたが、彼が遺跡で何をやろうとしているのかは教えてくれなかった。


 転移門として機能する扉の前まで戻ってくると、老人はアデュリの名をもつ〈青の魚人〉と言葉を交わす。相変わらず舌打ちするような奇妙な言語だったが、老人は理解しているのか、しきりにうなずいていた。


『アデュリは、おぬしらが彼女の妻を救ってくれたことに感謝がしたいようだ』

「妻……?」ルズィは思わず顔をしかめる。「〈青の魚人〉には婚姻の習慣まであるのか?」

『野蛮な種族に文化的教養があることに驚いているようだが、オアンネスの娘たちは森の部族のなかでも最古の種族のひとつだ』


「人間よりも古い種族なのか?」

 困惑している青年を見て、老いた豹人は顎髭のような体毛を撫でながら肩を揺らす。

『ついこの間、〝こちら(がわ)の世界〟にやってきた人間などとは比較にもならん歴史がある』

「女性しかいないようだけど、どうやって種を存続させてきたんだ?」

『たしかに生物学的に男性に相当する個体は存在しない』


「ならどうやって……」

『残念ながら種族の根幹に関わる重要な儀式であるため、その行為がどのように行われるのかを知ることはできない。しかし部族に受け入れられるようなことがあれば、その儀式を体験することができるかもしれない』


 ルズィが〈青の魚人〉や敵の集落についてあれこれと質問している間、アリエルは扉の向こうに広がる暗闇をじっと見つめていた。そこは天井付近に浮かぶ無数の光球の明かりが届かないジメジメした闇に満ちた空間だった。そこで何かに呼ばれるように、青年は(かす)かな(ささや)き声が聞こえる方向に足を向ける。


 床には重たい何かを引き()った跡があり、注意深く確認すると、それがタール状の(ねば)つく物質だということが分かる。沼地から食屍鬼(グール)の死骸でも運んできたのだろうか。アリエルは疑問を抱きながら薄闇のなかを慎重に歩いた。闇のなかに一歩足を踏み入れるたびに、耳元に聞こえていた囁き声はハッキリした音に変わっていく。


 その奇妙な音のなかに、(はえ)の羽音が混じっていることに気がついたときだった。不意にアリエルの目の前に幼い子どもの姿が浮かび上がる。


 暗闇の中にあらわれた子どもは布人形で遊んでいるのか、クスクス笑いながら闇の中に潜む〝何か〟と会話をしているようだった。こちらに背中を向けた状態で座っていたので、子どもの顔は確認できなかったが、たしかに人間の子どもだった。〈青の魚人〉が湿地で保護した行商人の子どもだろうか?


 不快な声が聞こえてきたのは、闇の向こうから耐え難い悪臭が漂ってきたときだった。

『ヴァ・キ・アリ・アリ・アンダァ、ノイル・アンダァ、ノイル!』

 闇の中からくぐもった笑い声が漏れる。


『ほら、闇をさまようものが! 闇を這うものがやってくるよ! ヴァ・キ・アリ・アリ――』

 子どもの声に入り混じるように、気が狂ったような笑い声が聞こえてくる。


「エル! ねぇ、わたしの声が聞こえてる?」

 振り向くとラライアが困ったような表情を浮かべて立っているのが見えた。青年は顔をしかめて、それから返事をした。

「わるい、聞こえてなかった」


「やれやれ」と、彼女は可愛らしく溜息をついてみせた。「ルズィが呼んでるよ。もう野営地に戻るんだってさ」

「ああ、分かった。あの子と話をしたら、すぐに合流するよ」

「あの子って?」


「子どもがそこに――」

 アリエルはそこで口を閉じた。彼の目の前には闇ばかりが広がっていて、子どもの姿は何処(どこ)にもなかったのだ。足元には薄汚れた人形がひっそりと横たわっていた。人形を置いて何処かに行ってしまったのだろうか?


「いや、なんでもない」アリエルは頭を横に振った。

「さっさとこの遺跡を出よう」


 老人は扉の調査に戻り、一行は神殿をあとにする。アデュリは残念そうにしていたが、ここで彼女たちと親睦を深める時間的余裕がなかったのだ。彼らはすぐに野営地に戻り、これからのことについて仲間たちと相談しなければいけなかった。しかし神殿の外に出ると、そこで待っていてくれているはずの傭兵たちの姿が何処にもなかった。

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