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神々を継ぐもの  作者: パウロ・ハタナカ
第四章 南部
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 傭兵たちに指示を出して周辺一帯の警備をまかせたあと、ルズィは泥濘(ぬかるみ)に横たわる死骸の(そば)にしゃがみ込んだ。人間ほどの背丈に筋肉質の身体(からだ)は、黒く(つや)のある(うろこ)に覆われている。一見すれば蜥蜴人のように見えるが、長い尾はなく、首元の(えら)や背中にある硬い鰭状(ひれじょう)の突起が目立っていた。


「こいつが〈黒の魚人〉の呪術師か」

 半身が吹き飛ばされた魚人の死骸からは、鼻に突く血と糞尿の臭いが漂ってきていたが、悪臭を放つ沼地から風が吹いていた所為(せい)で臭いは気にならなかった。とはいっても、ひどい臭いに変わりない。


 ルズィは顔をしかめながら、魚人が手にしていた杖を拾い上げる。それは湿地で見られる奇妙に()じれた樹木(じゅもく)の枝にも見えたが、時折、生きているかのように手のなかで震えることがあった。


「呪具で間違いないようだが、こいつの効果を知るためには鑑定をする必要があるな……」

 杖に呪素(じゅそ)を流し込んで反応を確認しようとしたが、邪神を(あが)める〈黒の魚人〉が所有していたモノだ。悪神によって祝福を受けた呪われた呪具である可能性が高い、そうであるなら、考えなしに使用するのは避けたほうがいいだろう。


 ルズィは(まぶた)を閉じる(まばた)きの動作だけで魚人の死体に火をつけてみせると、別の死骸を確認するため立ち上がる。身体(からだ)の内側から焼かれていく魚人から灼熱の炎が立ち昇るのが見えると、ラライアの背に乗っていた〈青の魚人〉は驚いて、思わず負傷していた仲間を胸に抱き寄せる。呪術の炎が恐ろしいのではなく、息をするように炎を操ってみせた守人に(おび)えていたのかもしれない。


 もう一体の魚人は頭部が潰されていて、(あた)りに気色悪い体液やら骨片が飛び散っているのが確認できた。その魚人は、〈青の魚人〉を除いた他の部族の魚人たちと同じように、衣類のようなモノは身につけていなかったが、他の魚人から()いだと思われる皮膚を身につけていた。


 たとえば、〈青の魚人〉の変色した乳房のついた皮を、まるで鎖帷子(くさりかたびら)のように身につけているかと思えば、両腕には複数の魚人から()いだ顔の皮膚が丁寧に繋ぎ合わされた手甲が使用されていた。そしてそれは身を守るための装備、というよりは、装身具のように身体(からだ)を飾り立てるものとして使われているようだった。


「いずれにしろ――」と、ルズィは杖を拾いながらつぶやいた。「気色悪い連中だ」

 魚人から回収した二本の杖は、収納の腕輪に保管して拠点に持ち帰ることになった。呪術に長けた豹人のノノとリリなら、〈鑑定〉を使って杖の詳細が分かるかもしれない。


 死骸に火をつけたあと、ルズィは負傷していたアリエルとザザの状態を確認しに行く。すでに持参していた〈治療の護符〉を使い、ふたりの治療は済ませていた。しかし戦闘による体力の消耗が激しかったのか、ふたりは倒木に腰掛けたまま湖をぼんやりと眺めていた。


「それで」と、ルズィは曇り空を見つめながら言う。「その〝網目の魚人〟とやらは、ふたりをいつでも殺せたのに、戦いを楽しむだけ楽しんで、さっさと沼地に引き揚げたのか?」

「ああ、そいつは――」


 アリエルの言葉を(さえぎ)るように、彼らの近くに立っていた〝赤ら顔のバヤル〟が笑う。

「森の最精鋭と噂される守人さまと、青の黄昏(たそがれ)の名で知られた昆虫種族の凄腕傭兵が、たかが魚一匹に翻弄(ほんろう)されるなんて、しょせん酒場のつまらない噂話だったってことか」


『網目の存在を疑っているのか?』

 ザザが大顎をカチカチ打ち鳴らすと、バヤルは皮肉めいた表情をみせる。

「いいや、疑ってはいないさ。この陰気(いんき)な湖に来てから俺も散々、あの魚どもを相手に戦ってきたからな……強敵がいても不思議じゃない」


『それなら、なにが言いたい?』

 ザザの質問にバヤルは怪訝な表情をみせた。

「さぁな」

『酒場に(たむろ)する似非(えせ)傭兵(ようへい)を侮辱するように、貴様は俺と守人の名誉を(けが)すつもりなのか?』


「だったらなんだって言うんだ」と、バヤルは感情を抑えきれずに言った。

 終わり見えない遠征に疲れ、苛立っていたのだろう。バヤルは(たかぶ)った感情にまかせ衝動的に言葉を口にする。それは臆病で卑怯なバヤルが、普段は絶対に見せないように心掛けていた態度だった。


「ここには俺の部下が大勢いるんだ」バヤルは戦狼(いくさおおかみ)を視線に入れないようにしながら言った。「そして連中は大将が侮辱されることに慣れていない。俺だったら、下手なことを口にして、連中の怒りを買うような真似はしない」


(から)を持たない小さき亜人が、俺を脅迫するのか?』

 昆虫種族の言葉にバヤルは唾を吐いた。

「脅迫なんてしていないさ、俺は事実を口にしただけだ」


「事実ね……」ルズィは落ち着いた声で言ったが、その言葉には他者を黙らせる鋭い響きが含まれていた。「それならお前の部下にも言って聞かせてくれ。今度俺の兄弟を笑いものにするような噂話をしたら、お前たちの大将だけじゃなく全員の首を()ねる。いいな、忘れずに伝えておいてくれ」


『これが本物の脅迫というモノか』

 笑っているのか、ザザは大顎をカチカチと打ち鳴らす。その音を聞きながら、バヤルの顔は怒りに赤黒く染まる。

「ここはもういい、周囲を偵察して来い」

 ルズィの言葉にバヤルは返事をしなかったが、素直に命令に従う。


「そろそろ限界だな……」

 バヤルがいなくなると、ルズィは思わず溜息をついた。すると彼らのやり取りを黙って聞いていたアリエルが考えを口にする。

「遠征に疲れているってこともあるけど、〝白冠の塔〟がいけなかったのかもしれない」

「安全地帯を手に入れて、緊張が緩んだか……」


 アリエルは肩をすくめたあと、治療が済んだ腕の感覚を確かめるため、手を握り締めたり開いたりを繰り返す。

「あれだけ快適で安全に過ごせる場所があるのに、野蛮な魚人が徘徊する湖の周囲を探索して命を危険にさらすようなことをしなければいけない。その落差が、彼らを苛立たせているのかもしれない」


「厄介な問題だな」

 ルズィはそう言うと、本当に困ったような表情を見せる。傭兵たちの助けがなければ、南部で生き残ることは難しいと彼自身がよく分かっているのだろう。


「そのうち、俺たちから塔を奪いにくるんじゃないのか」

 アリエルは冗談を口にするつもりだったが、言葉にしてみると、それが現実に起きるような気がして嫌な表情を浮かべる。


「バヤルはイザイアとの問題を抱えているし、注意しなくちゃいけない」ルズィは何度目かの溜息をついたあと、話題を変えた。「それより網目の魚人だ――」

『あれは始祖に連なるモノだ』

 ザザの言葉にルズィは眉をあげた。


「でも、呪術は使わなかったんだろ?」

『神々の血は身体機能(しんたいきのう)にも影響する。蜥蜴人のように呪術が苦手な種族でも、肉体的にも我々を(はる)かに凌駕(りょうが)する能力を持った者たちがいる』


「なおさら厄介な存在だな。あの青い魚人が連中のことを何か知っていればいいんだが、言葉が通じないからな……」

 ルズィはそう言うと、ラライアの背で大人しくしていた〈青の魚人〉を見つめる。


 念話を使えば、ある程度の感情は理解できるが、さすがに言葉を交わすことはできない。そもそも未開の地で暮らす亜人だ。共通語を知らなくても驚くようなことじゃない。しかし不便であることに変わりない。


「このまま〈青の魚人〉の遺跡に向かうのか?」

 アリエルの質問にルズィはうなずく。

「沼地からやってくる〈黒の魚人〉に俺たちの居場所は知られてしまったが、敵か味方かも分からない魚人を連れて拠点に帰るのも危険だからな」


『いまや進むも地獄、退くも地獄、進退両難(しんたいりょうなん)ここに極まれり……か』

 ザザはそう言うと、大きな複眼で湖を見つめた。

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