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神々を継ぐもの  作者: パウロ・ハタナカ
第四章 南部
106/502

06


 つめたい風が吹きすさぶ水辺に立って空を見上げる。そこには、今なお灰色の厚い雲が垂れこめていたが、稲光や雷鳴は聞こえてこなかった。〈赤の魚人〉を襲った不可思議な現象は、間違いなく呪術によるモノだった。しかし環境を利用した大規模な破壊を可能にする呪術師は限られていて、首長の(いくさ)に参加していたときでさえ、滅多に見られるものではなかった。


 それら強大な力は〈神々の血を継ぐもの〉として知られる〈始祖〉に与えられた能力であり、才能や鍛錬によって獲得できるモノではなかった。それなら、あの能力を使用した〈青の魚人〉は始祖に連なる者たちなのだろうか?


 アリエルは底知れない恐怖と嫌な予感に、思わず全身に鳥肌が立つのを感じた。この得体の知れない能力を使用する亜人に協力を求めることは、果たして正しい選択だといえるのだろうか……。しかし遠征隊の行き詰まった状態を切り開くためには、湖を知るものたちの力が必要だということも理解していた。たとえ異種族だとしても。


 青年は思考を打ち切ると、地面に座り込みながら肩で息をしていた魚人の(そば)に向かう。呪術の発動で相当に体力を消耗したのか、彼女の表情から力強さが失せていた。


「まずは治療だ」青年が近づくと彼女は牙を見せて威嚇するが、それを無視して彼女の(そば)にしゃがみ込む。「これから〈治療の護符〉を使う。どんな風に傷を癒すのか、さっき見せたばかりだから忘れていないと思うけど、間違っても俺を攻撃するようなことはしないでくれよ」


 やはり言葉を理解していないのか、魚人は舌を鳴らして奇妙な音を立てながら威嚇する。森の部族のなかには、口笛による(わず)かな音の違いだけで会話ができる者たちがいる。ひょっとしたら、この奇妙な音にも何かしらの意味があるのかもしれない。


『大丈夫なのか、若き守人よ』

 すぐ背後までやってきたザザに答えるように、青年は肩をすくめる。

「どうだろう。俺たちに敵意がないことは、彼女も理解しているし、すぐに仲間の治療をしなければいけないことも分かっている」


『その魚は言葉を理解したのか?』

「魚じゃない、彼女は俺たちと同じ亜人だよ。顔だって人間の女性に似て美人だろ」

『青い肌を持った人間がいるとは思えないが』


「ザザ」アリエルは溜息をついたあと、振り返ってザザを見上げる。「彼女が怯える。ここは俺に任せてくれないか」

『ふむ』彼はうなずいたあと、大顎をカチカチと打ち鳴らす。『了解した。しかし何をするにせよ、急いだほうがいいだろう。連中の怒りは相当なモノだった』

「わかってるよ、〈赤の魚人〉が戻ってくる前に対処する」


 ザザがいなくなると、アリエルは収納の腕輪から護符を取り出す。彼女が胸に抱えていた魚人は腹部を損傷していて、ひどく出血しているようだったが、護符を使えば問題なく治療することができるだろう。


 彼女の肌にそっと触れて傷の程度を確認する。皮膚の感触は人間のそれと変わらなかったが、脇腹から背中にかけて(うろこ)(おお)われているのが見えた。日の光を反射する群青色(ぐんじょういろ)(うろこ)は、硬くてツルリとした手触りだったが、彼女の呼吸に合わせてしなやかに動くのが確認できた。


 調子に乗ってベタベタ触っていたことが気に入らなかったのか、彼女を抱いていた魚人に威嚇されてしまう。


 気を取り直すと、呪術器として機能する水筒で生成される清潔な水と適当な布を使って傷を洗っていく。それが終わると、上質な紙で作製された護符を押し当てる。間もなく護符は熱を発しない青白い炎に(つつ)まれるようにして燃え上がると、(またた)く間に灰に変わり風に散っていく。護符の効果によって組織の再生が(うなが)され、傷口が塞がっていくのが見えた。


 護符に(しる)された呪文によって、大気中に存在する呪素(じゅそ)が反応して呪術として効果を発揮することは知っていたが、それでも奇跡のような現象には驚かされる。森の人々は当然のように呪素を利用しているが、それがなくなったとき、果たして人々は現在のように快適な生活を送ることができるだろうか。


 アリエルがぼんやりと物思いに(ふけ)っている間に治療は終わり、苦しそうにしていた魚人の息遣いが穏やかになるのが分かった。


「大丈夫みたいだな……」

 青年の言葉に、負傷した仲間を抱いていた魚人はぽかんとした顔でアリエルを見つめる。

「でも傷を治療しただけで、失った血はそのままだ。体力を回復させるため、どこか安全な場所で安静にする必要がある。分かるな、彼女を休ませないといけない」


 アリエルは〈念話〉での会話を(あきら)めていないのか、彼女に話しかけるときは気持ちを伝えられるように、あれこれと思考しながら話しかけていた。効果があったのかどうかは定かではないが、青年の言葉に彼女は小さくうなずいてみせた。


「よし」

 魚人の襲撃を警戒して周辺を偵察していたラライアと連絡を取ると、すぐに戻ってきてもらうことにした。


『どうするつもりだ、若き守人よ』

 魚人の死骸から武器を回収していたザザがやってくる。彼の四本の腕には〈赤の魚人〉が使用していた槍が握られていた。穂先に使用されている黒曜石めいた鉱物に興味があるのだろう。


「彼女たちを集落まで送っていくつもりだ」

 青年の言葉に昆虫種族は長い触覚を小刻みに揺らす。

『よもや(みずか)ら脅威が潜む魚の集落に飛び込むつもりはないのだろう?』

「彼女たちが脅威になるって、決めつけるのはまだ早いんじゃないか」


『あの禍々しい呪術を見ても、その魚は安全だと言えるのか』

「俺たちは〈青の魚人〉と敵対していない、それどころか彼女の仲間を救ったんだ。それに何度も言うけど、彼女は魚じゃない」


『我らの道理が通じる相手だと?』

「ああ、そう願うよ」

 アリエルの言葉について何か考えているのか、大柄の昆虫種族は黙ったまま青年を見つめる。


「でも――」と、アリエルは溜息をついてから言った。「納得していないのなら、ほかの方法を考えるよ」

『なんの方法だ』

「俺たちの目的を忘れたのか? 湖を渡るために〈青の魚人〉の力を借りる。そのために彼女たちと友好的な関係を築こうとしているんだ」


『そうだったな。では彼女たちを集落に送り届けよう。相手の信用を得るためには、まずこちらが信用していることを示さなければいけないからな』

「理解してくれて良かったよ」

 アリエルは溜息をつくと、やってきたラライアにも事情を話す。


「そう言うことだから、負傷した魚人を背に乗せてくれないか」

『べつにいいけど、急に攻撃してこないよね』

「そうならないように、彼女と話してみるよ」

 アリエルは念話を使ってどうにか魚人に考えを伝えようとするが、まったく理解してもらえていないのか、彼女も不安そうな表情を見せていた。


 青年は収納の腕輪から古い地図を取り出して、湖の位置と彼女の集落がある場所を指差(ゆびさ)しながら説明することにした。根気よく身振り手振りで説明を続けると、さすがに理解してもらえたのか、やっと彼女の反応を得ることができた。そこで地図を差し出すように見せると、彼女は水掻(みずか)きのある手を伸ばして、(いにしえ)の神々を(まつ)(ほこら)を指差した。


「遺跡か……」

 アリエルのつぶやきに答えるように、ザザが大顎を鳴らす。

『無計画に魚の集落に行くより、ずっといい場所ではないか。その小さな遺跡なら、我々だけでも襲撃に対処できるはずだ』


「まだ彼女たちのことを疑っているのか」

 ザザは槍の穂先だけを回収しながら返事をする。

『その魚は我々の敵ではないが味方でもない。疑うのは当然だ』

「それもそうだ……」


 アリエルは立ち上がると、極彩色の大きな翼を持つ鳥を使って遺跡を偵察することにした。その鳥が遺跡に接近するまでの時間を利用して、別の場所で〈青の魚人〉を探していたルズィと連絡を取ることにした。ザザは優れた戦士で頼りになるが、まともに頭を動かせる冷静な指揮官が必要だった。

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