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神々を継ぐもの  作者: パウロ・ハタナカ
第四章 南部
105/501

05


 どこからともなく風が吹くと、濃い霧が湖面を滑るように近づいてくるのが見えた。アリエルは深紅(しんく)に明滅する眸を細めると、その霧のなかに潜む不吉な予感に顔をしかめる。ちらりと〈青の魚人〉に視線を戻すと、青年の動きに警戒しているのか、肉食動物の牙を研いで作られた鋭い刃物が向けられているのが見えた。


 魚人は負傷している仲間を気遣っているようだったが、その気になれば容赦なく襲いかかってくるだろう。アリエルは彼女に近づきながら何度か〈念話〉による会話を(こころ)みたが、やはり異種族との意思疎通は難しく、彼女からの返事は得られなかった。


 ふと青年はルズィの言葉を思い出す。彼は〝つねに他人からどう思われたいのかを考えて行動しろ〟と言っていた。それは他人の評価を気にして生きろという意味ではなく、どのようにして自分の存在を認識してもらいたいのかを考えろ、ということだった。


 たとえば敵対する相手には、(おのれ)がいかに優秀な存在なのかを見せつけ、恐れを抱かせるように振舞う。たとえそれが演技や嘘によって作り出された虚構(きょこう)だとしても、それはある種の恐怖となって相手の思考を(むしば)む。いつしか相手は(みずか)ら作り出した虚像を恐れるようになる。逆もまた(しか)りだ。()い印象を与えることで、相手の警戒を緩めることもできる。


 それなら、この場面ではどのような人物を(えん)じることが正解なのだろうか。アリエルは〈青の魚人〉を観察しながら思考する。


 彼女たちは獣の皮と植物を加工した色鮮やかな腰巻をつけていたが、胸飾りのようなモノは身につけておらず、鳥の羽で飾られた紐編みの首飾りで、かろうじて(うろこ)のない乳房を隠していた。その()き出しの腹部には、〈赤の魚人〉が使用する槍による刺し傷が確認できた。どうやら、敵対する魚人を返り討ちにしたというラライアの予想は正しかったようだ。


 傷ついた仲間を(かば)うようにしてしゃがみ込んでいた〈青の魚人〉は、アリエルの接近に警戒して、空中に無数の〈氷槍〉を生成する。そのさい、やわらかな乳房が揺れて色素の薄い乳首が見えたが、それだけだった。彼女は牙を見せて威嚇するという何の変哲もない動作の間に、自身の周囲に無数の〈氷槍〉を出現させたのだ。やはり〈青の魚人〉は、呪術に関する卓越した技能を持ち合わせているのだろう。


「敵対する気はない」

 アリエルはそう言うと、彼女からの攻撃を誘発するためにワザと一歩踏み出した。次の瞬間、青年の予想通り、恐ろしい速度で〈氷槍〉が飛んでくるのが見えた。避けることもできたが、右腕で(はじ)くようにして軌道を()らした。


 冷たくて、それでいて刺すような熱を持ったゾッとする痛みに眩暈(めまい)を感じたかと思うと、黒衣が裂けて血液が噴き出すのが見えた。しかし青年は冷静であり続ける。


 それ以上の攻撃を受けないように一歩下がると、収納の腕輪から〈治療の護符〉を取り出す。魚人は虚空から出現した護符に驚いたような表情を見せた。アリエルは彼女が警戒しないように、ゆっくりとした動作で護符を血に濡れた右腕の前腕に押し当てる。


 鋭利な氷の塊によって皮膚がズタズタに裂かれ、肉が(えぐ)られて骨が見えるほどだったが、ノノとクラウディアが用意してくれた最上級の護符によって(またた)く間に傷が塞がっていくのが見えた。


 それは賭けでもあったが、もしものときのために取っておいた貴重な護符なだけあって効果は絶大だった。傷を治療できたことにホッと息をついたあと、別の護符を取り出して、彼女に見えるように指先でヒラヒラと揺らした。


「これを使えば、君の仲間を助けることができるかもしれない」

 わざわざ痛い思いをしてまで治療効果があることを証明してみせたのだ。彼女が理解してくれることに期待して、静かに反応を待つ。すると、彼女の周囲に浮かんでいた〈氷槍〉が砕けるようにしてパラパラと地面に落下していくのが見えた。どうやら敵意がないことを理解してもらえたようだ。


 安心して思わず息をついたあと、彼女たちに向かって歩いていく。〈氷槍〉による攻撃を受けたさいに、想定していたよりも多く血液を失くしていた所為(せい)で足元がふらついた。しかし悠長にしていられない。護符の効果を目の当たりにしたからといって、完全に警戒を解いたわけではない。その証拠に、彼女が手にした刃物の切っ先は青年の胸に真直ぐ向けられていた。


 つめたい風が吹いたかと思うと、周囲に立ち込めていた濃い霧がゆっくり流れていくのが見えた。と、そのときだった。湖面で何かが動くのを視界の端で捉えた。異変に気がついたのはアリエルだけではなかった。湖を背にしていた〈青の魚人〉も危険を察知したのか、仲間を抱き上げるようにして立ち上がる。


「……なにか来る」

 アリエルが誰にともなくつぶやいたときだった。霧の向こうから槍を手にした〈赤の魚人〉が突進してくるのが見えた。奇声を上げ形振(なりふ)(かま)わず突っ込んでくる姿は、怒りに我を忘れたような、そんな印象する抱かせるほど鬼気迫るモノがあった。〈青の魚人〉に仲間を殺されことに対する怒りなのかもしれない。


 アリエルが刀を抜き放つと、殺すためだけに鍛えられた(はがね)の鋭さに魚人たちは躊躇(ためら)う。が、すぐに気を取り直して突進してくる。青年はパッと横に飛び退()いて突きを避けると、軽やかな動作で刀を振り抜いた。空を斬る鋭い音のあと、魚人の首がドサリと転がる。しかし仲間の死を前にしても、魚人たちが攻撃の手を緩めることはなかった。


 青年は飛んできた槍を(かわ)し、重い打撃を受け流し、猛然と迫りくる魚人を叩き斬る。その間も、体内の呪素(じゅそ)を練り上げ、まとめて敵を(ほふ)れる機会をうかがう。


 ゆるやかに流れていた霧が薄れていくと、〈青の魚人〉に向かって駆けていく集団の姿が見えた。アリエルは地面に片膝をつけると、泥濘に手をおいて呪素を放出する。その瞬間、魚人たちの足元が粘着性のある沼に変化して動きが止まる。それでも魚人たちは手にした槍を投擲(とうてき)して攻撃しようとする。


 ここで〈青の魚人〉に死なれるわけにはいかない。アリエルは自身の足元の泥を硬質化させて(やじり)のように変化させたあと、〈射出〉の呪術で無数の鏃を発射した。呪術の沼で拘束されていた魚人は避けることもできず、次々に身体(からだ)を破壊されて絶命していく。〈青の魚人〉を救うことはできた。しかしアリエルが見せた一瞬の(すき)を突いて、魚人が攻撃を仕掛けてくる。


 敵の容赦のない攻撃にさらされ、身を守ることだけに気を取られてしまう。なんとかして〈青の魚人〉を助けにいかなければいけない、そう思ったときだった。霧の向こうから戦狼(いくさおおかみ)のラライアと昆虫種族のザザが飛び込んできて、アリエルにまとわりつく魚人を次々と打ち倒していく。


「助かった!」

 アリエルは目の前の魚人を蹴り飛ばすと、刀身で撫でるようにして腹を斬り裂いた。腹部から垂れ下がる内臓を抱えた魚人が膝をつくと、(えら)が目立つ首に刀身を突き入れる。


 加勢もあり、なんとか攻撃をしのぐことができていたが、霧の向こうから魚人が次から次に姿を見せていて切りがなかった。その状況を打開するため、アリエルが心を落ち着かせようとしていたときだった。突然、〈青の魚人〉の肌が淡い燐光(りんこう)を帯びて、目に見えるほどの膨大な呪素を(まと)いながら光り輝くのが見えた。


 雷鳴が聞こえ視線をあげると、稲光が空を裂くように(またた)くのが見えた。と、空に厚く垂れこめていた灰色の雲が、無数の触手を生やした巨人の頭部にゆっくりと変化していくのが見えた。〈青の魚人〉が何かしらの呪術を使用しているのだろう。


 次の瞬間、その異様な雲は雷鳴を(とどろ)かせながら凄まじい勢いで地上に落下して――まるで魚人の群れを飲み込むように、巨大な口を開きながら地面に衝突した。おそろしい衝撃波によって周辺一帯の霧は晴れ、雲の直撃を受けた魚人の群れは跡形もなく消え、地面は蜘蛛の巣状にひび割れ陥没した。


 アリエルは得体の知れない呪術に驚愕し、かろうじて生き延びることのできた魚人が逃げていくのを見届けることしかできなかった。

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