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神々を継ぐもの  作者: パウロ・ハタナカ
第四章 南部

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01 旅に行くみち


 その日は朝から曇り空で、冷たい風が吹いていて、足元の泥濘(ぬかるみ)からは腐臭が立ち昇っていた。南部では珍しくもない陰鬱(いんうつ)な天気だったが、そのなかに含まれる不吉な予感に居心地の悪さを感じていた。


〝魚人が徘徊する遺跡には近づくな〟

 あの気味の悪い吸血鬼じみた守人に何度も忠告されていたにも(かか)わらず、仲間たちは魚人の徘徊が確認された遺跡に侵入しようとしていた。


 寒風が吹きつけると若い傭兵は薄汚れた毛皮に(くる)まるが、羊毛と革鎧の間に寒気が忍び寄るのを感じた。この場所は人間にとって、あまりにも過酷で寒かった。しかしどうすることもできない、今さら仲間たちと離れて行動するには危険すぎる。


「クソったれ」

 傭兵は足元に唾を吐き出すと、枯れたツル植物が絡みつく石組みの壁を見つめる。


 何もかも遅すぎる。仲間の(さそ)いに乗らず、〈白冠の塔〉に残ってヤァカの世話をしていれば良かった。それなのに俺は仲間の言葉を信じて、冷たい風に骨の(ずい)まで(こご)えて、(みじ)めに身体(からだ)(ふる)わせながら、湖畔(こはん)近くにある魚人どもの遺跡までやって来ている。


 仲間たちは絶対に認めようとしないが、奴らは息をするように呪術を使う。もしも魚人の戦闘部隊に見つかったら、最悪の結果になるだろう。


 と、先行していた昆虫種族が立ち止まるのが見えた。二足歩行するトビバッタのような姿をした奇妙な大男だ。その大男がカチカチと大顎を打ち鳴らすと、部族訛(ぶぞくなま)りが強い共通語が念話を介して頭のなかで響く。どうやら魚人の尖兵(せんぺい)を見つけたようだ。連中は遺跡の周囲を巡回警備しているが、規則性はなく、思いもよらない場所で遭遇して戦闘になることがあった。


「だから引き返そうって言ったんだ」

 若い傭兵が口を開くと、青藍色(せいらんいろ)の外骨格を持つ昆虫種族は雑草を切り払うために持っていた(なた)を中脚に相当する腕で握り直してから、腰に吊るしていた手斧を両手に構える。


 大柄の昆虫種族に複眼を向けられ念話で注意されると、若い傭兵は尻込みしそうになるが、自分の命がかかっているのだ。

「今からでも遅くない。塔に引き返そう!」


「手ぶらで帰ることはできない」と、偵察部隊を指揮していた髭面(ひげづら)の男が言う。「バヤルの言うことを聞いていなかったのか、彼は魚人が集落に(たくわ)えている金貨を回収して来いって言ったんだ」


「本当に金貨があると思っているのか?」若い傭兵は続けた。「人を()うような野蛮な魚が、どうして金貨なんて欲しがる?」


「連中が行商人を襲って物資を奪い取っているのは有名な話だ」

「だからって、どうして金貨なんて持ち帰るんだ?」

「いいから黙れ!」顔の大部分を隠す髭の向こうから男は言った。「俺たちの仕事は考えることじゃない。バヤルに言われたことをやっていればいいんだ」


「なにが〝赤ら顔のバヤル〟だ。俺はあの臆病者の部下になった覚えはない!」

 若い傭兵が悪態をついたときだった。かれの喉元に深々と矢が突き刺さるのが見えた。傭兵たちが驚き息を呑むと、間を置かずに飛来してきた矢が青年の肩や胸部、それに太腿に突き刺さる。


 傭兵たちは突然の攻撃に混乱して、蜘蛛の子を散らすように形振(なりふ)(かま)わず廃墟の(かげ)に隠れる。しかしそれがいけなかった。彼らがひとりになるのを待っていた魚人が容赦なく襲いかかってくる。


 粗末な槍を持った魚人に組みつかれたとき、髭面の傭兵は足元から(ただよ)ってくる吐き気を(もよお)す腐臭の正体に気がついた。彼らは知らず知らずのうちに、魚人が支配する領域に侵入していたようだ。


「ふざけんじゃねぇぞ!」

 魚人から槍を奪い取ると、そのヌメリのある身体(からだ)を打ち倒して、泥に(まみ)れた胸に(またが)るようにして何度も槍を突き刺した。その間、魚人は奇妙な(うめ)き声をあげながら青黒い体液を吐き出しているだけだった。

雑魚(ざこ)が! 無駄に驚かせやがって!」


 そのときだった。髭面の傭兵は背中に燃えるような痛みを感じて胸に視線を落とす。背後から突き込まれた槍の()が革鎧を貫通していて、黒曜石にも似た鋭い穂先が赤黒い血液に染まっているのが見えた。彼は口と鼻から血液を流しながら意識を失うと、魚人の死体に(おお)い被さるようにして絶命した。


「腐った魚どもがぁ!」

 仲間が次々と殺されていくのを見ていた傭兵のひとりが、激昂(げきこう)して何事かを(わめ)き、唾を飛ばしながら駆けてくるのが見えた。


 すると魚人のひとりが舌打ちするように奇妙な音を鳴らしながら、近くにいた仲間に合図を送る。次の瞬間、太刀を手に突進していた傭兵の胸に氷の槍が突き刺さる。やはり呪術が使えるようだ。それも部族の呪術師が使用する〝より複雑で、高度な知識と技術を必要とする呪術〟が使えるようだ。


 空中に次々と生成されていく鋭い〈氷槍〉が見えると、昆虫種族は生き残った仲間が逃げる時間を稼ぐため、魚人たちの前に立つ。彼の四本の腕には、手斧や魚人から奪った槍が握られていた。彼は人間離れした脚力で呪術を使用していた魚人に接近すると、その頭部に斧を叩きつけた。


「グェっ」

 奇妙な鳴き声のあと、ギョロリとした大きな目玉が体液と一緒に飛び散る。昆虫種族は気色悪い脳漿(のうしょう)に汚れるのを気にせず、魚人の胸に槍を突き刺して仰向けに打ち倒す。と、横手から別の魚人が飛び掛かってくるのが見えた。彼は焦ることなく魚人が繰り出した鋭い突きを(かわ)すと、くるりと身体を回転させて回し蹴りを叩き込んだ。


 昆虫種族の恐るべき脚力が生み出す衝撃を受け、魚人の頭は破裂するように吹き飛ぶ。が、まだ安心することはできない。遺跡に潜んでいた魚人が次々と姿をあらわし、舌を鳴らすようにして互いに合図を送るのが見えた。


 誇り高い昆虫種族は、仲間が遺跡から無事に逃げ出すまでの間、そこで魚人を引き付けるつもりでいた。しかし自分自身が生き延びることは難しいだろうと考えていた。敵の数は多く、味方はひとりもいない。すでに念話を使い守人と連絡を取っていたが、彼らが間に合うのかも分からない。


 きわめて感覚の純度の高い恐怖が、這うように心のなかに忍び寄るのを感じた。

『昆虫族の女神〈ンヌゥウルキト〉よ、我に勇気を!』


 槍を手に四方から襲いかかってくる魚人の姿が、日の光に反射して複数の鏡像になって複眼に映し出される。彼は腰を落として攻撃の瞬間に備えた。が、そこに旋風のように白銀のオオカミが飛び込んでくる。


『オオカミが来てくれた!』

 彼は眼前に迫っていた魚人の(えら)に槍の穂先を突き入れると、身体(からだ)を痙攣させ体液を吐き出していた魚人を蹴り飛ばすようにして槍を引き抜く。そしてその勢いのまま、戦狼(いくさおおかみ)に向かって〈氷槍〉を射出しようとしていた魚人に手斧を投げつけた。


「ザザ! ここで魚人を殲滅するぞ!」

 オオカミの背に乗っていたアリエルは抜刀すると、攻撃のための呪素を練り上げていた魚人に飛び掛かり、その首をスパッと()ねてみせた。


〝青の黄昏(たそがれ)〟の異名で知られた昆虫種族のザザは、赤い眸の守人と戦狼の登場に興奮して、退化して短くなっていた背中の(はね)を小刻みに震わせる。


 しかしすぐに気を引き締める。〝守人は魚人の全滅を望んでいる〟ザザは襲いかかってくる魚人の攻撃を避けながら思考する。そしてその理由は明白だった。残酷なように見えるが、魚人を全滅させるという行為は、我々の情報を集落に持ち帰らせないために必要な処置だった。


 そうであるなら、いち早く駆けつけてくれた守人の期待に応えなければいけない。ザザは目に見えるほどの呪素を身に(まと)うと、一時的に身体能力を強化して、オオカミから逃げ出そうとする魚人に襲いかかる。


 守人と戦狼の登場によって、ザザは絶体絶命の状況から勝利を(つか)み取ることができた。しかしその戦闘で生き残ったのは彼だけだった。遺跡から逃げ出そうとした傭兵たちは魚人の待ち伏せに()い、容赦なく殺されていた。


 それでも彼は仲間を逃がそうとした(おのれ)の決断を後悔しなかった。南部では弱者から死んでいく。そして死は平等に与えられるものだと知っていた。

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