40
塔内部に存在する居住空間は完全に独立した幾つかの区画に分かれていて、塔にいる間は、戦士としての役割を持つ傭兵たちと、治癒士として遠征隊を支援していた女性たちは別々の区画で生活することになった。
照月來凪を護衛していた照月家の武者は、彼女の側にいられないことに対して不満を持っているようだったが、彼らも〈白冠の塔〉が持つ特異性を理解しているのだろう。そのことに関して騒ぎ立てるような行為はしなかった。
傭兵たちが転移させられた居住区画には、かつて塔を拠点にしていた守人が利用していた寝台や、日常生活において用いられる道具や家具が当時の状態で保管されていた。藁と羊毛が敷き詰められた寝台には、やわらかく肌触りのよい亜麻布が使われていて、どういうわけか、それらは清潔な状態が保たれていた。
守人が白冠の塔を使用して〈混沌の領域〉を探索していたころが、組織の最盛期だったことも関係していると思われたが、寝台の数が足りないというようなこともなかった。天井付近に浮かぶ無数の照明によって明るく照らされた空間には、誰もが快適に過ごせるように調度品が用意されていて、息苦しさを感じることはなかった。
もっとも、その居住区画に窓のようなモノはなかったので、塔の外がどうなっているのか確認することはできなかった。しかし閉鎖的な空間であるにも拘わらず、その環境に対して不満を口にする者はいなかった。
それは彼らが安全な場所にいると感じていたからなのかもしれない。少なくとも塔の中では、湿地に潜む危険な生物に襲われる心配をする必要はなかったし、一晩中見張りに立つ必要もない。
慣れない環境に戸惑っていた傭兵たちに居住区画の安全性を説明したあと、ルズィは数人の傭兵をつれて、入り口として機能する転移門が設置されていた区画に戻った。かれらにはヤァカの世話と、物資の管理を任せるつもりだった。しかし塔内部を自由に移動できる権限を持つ人物は限られているため、畜舎と倉庫がある区画に移動できる許可を与える必要があった。
そのためには、まず塔に彼らの存在を認識してもらうことから始めなければいけない。
人の意識を理解しているかのように振舞う塔に、管理機構のようなモノが果たして存在するのかは誰にも分からない。けれど便宜的に管理者がいると仮定する。それはルズィの思考を読み取り、傭兵たちに畜舎と倉庫がある区画に移動する限定的な権限を与える。
管理者に権限を与えられた傭兵は、居住区画に設置された〈転移の円環〉を使い、畜舎と倉庫の間を自由に移動することができるようになった。しかしそれは、彼らが特別だからというわけではなく、塔にいるすべての人に適用される規則のようなモノでもあった。
塔の許可がなければ、誰も自由に移動することはできない。傭兵たちが転移することができたのは、居住区画と食堂の間だけで、好き勝手に許可なく女性たちが生活する居住区画に侵入することはできなかった。これは塔が定めた規則であり、どのような手段を用いても破ることはできない。
しかし塔によって例外的な権限を与えられた者は存在する。ルズィを始め守人たちには特別な権限が与えられていて、塔内部に存在する居住区画や訓練所、それに武器庫に自由に立ち入ることができた。塔の管理者が古の守人と交わした何らかの協定が関係しているのかもしれないが、ハッキリとした理由は分からない。
謎といえば、塔がウアセル・フォレリに特別な空間を用意した理由も判明していない。彼は護衛の〈黒の戦士〉と一緒に、傭兵たちとは異なる居住区画に転移されていた。しかし塔では――たとえば、女性だからという理由で区別されることはなかった。クラウディアたちの護衛を任されていたメアリーの部隊も、傭兵たちと一緒の空間に転移されていたからだ。
では、どうしてウアセル・フォレリだけが、塔から特別な扱いを受けることができたのだろうか?
あるいは彼がルズィのように、遠征隊を指揮する役割を持っていたからなのかもしれない。彼のために用意されていた部屋には、護衛のための寝台や調度品の他に、全身を映す姿見のようなモノが設置されていた。
ソレを〝姿見のようなモノ〟と呼称するのは、ソレがただの鏡ではなかったからだ。その姿見には、まるで肉眼で見ているかのように、居住区画や食堂をはじめ、あちら側の世界に開いていた転移門の様子を立体的で詳細な映像で見ることができた。
ウアセル・フォレリは使い慣れた呪術器のように姿見の前に立つだけでいい。その時に彼が必要とする情報が鏡に映し出される仕組みになっていた。しかし監督官としての役割を与えられたというわけでもないのだろう。その証拠に、姿見を使っても見ることのできない区画が存在した。
龍の幼生を世話するために用意された部屋を監視することはできたが、それ以外の――たとえば、照月來凪やクラウディアたちが寝室として利用する部屋は覗き見ることができないようになっていた。もちろん水浴びのために用意された浴室や厠を盗み見ることはできない。それらの権限を持っているのは塔の管理者だけなのだろう。
ちなみに塔内部で使用される水は、大気中の水分を集めることのできる呪術器が各区画に設置されていて、いつでも清潔な飲料水を手に入れることができた。それは辺境で生きてきた部族の戦士たちにとって驚異的な技術だった。呪術器を作動させるための呪素を心配する必要がないというだけでも驚きなのに、安定的に清潔な水が手に入れられる。彼らにとってそれは衝撃的だった。
話は戻るが、ウアセル・フォレリ以外にも特別な権限と居住区画を与えられた者がいる。それはアリエルと豹人の姉妹だった。
ノノとリリのために用意された区画には、戦闘時に使用される呪符や護符を作製するための専用の作業台や、水薬の材料になる薬草や墨の原料として使用される希少な野草を育てる環境が用意されていた。塔内部に庭園にも似た環境が用意されていることも驚きだったが、ノノが護符を作製することを見抜いた塔にも驚かされた。
アリエルには、〝クヌム〟の空を眺めることができる展望室の他に、各種装備を保管するための倉庫を備えた部屋に自由に出入りできる許可が与えられていた。〈境界の砦〉にいるときにも、兄弟と離れて廃墟にしか見えない草臥れた塔で生活していたので、管理者の判断に驚くようなことはしなかった。
青年は傭兵たちから吸血鬼と呼ばれ、気味悪がられていたことは知っていた。だから遠征隊の意向をくみ取った塔が、自分のことを隔離したのだろうとアリエルは考えていた。しかしどうやら別の事情があるようだ。それに今回は、なぜかラライアも青年と同じ部屋に転移されていた。
混沌の脅威に対して協力関係にある戦狼が、古の盟約によって守人と魂の契りを交わす、という風習があることを知っているからなのかもしれない。でもどうして塔の管理者が、アリエルとラライアの関係を知っているのかは謎だった。
アルヴァとヴィルマが傭兵たちと同じ区画に転移されていたことを考えると、ラライアが特別扱いされていることに、何かしらの意味があると考えていいのかもしれない。
塔によってそれぞれの場所に転移させられていた遠征隊の仲間は、ルズィの呼び掛けで塔の入り口に集まり、今後のことについて話し合うことになった。彼らは白冠の塔を拠点にして探索領域を広げていくことになるが、湿地に潜む脅威だけでなく、魚人にも対処しなければいけない。そのため、これからはより慎重に行動することが求められた。