8. 仮入部 閑話(視点変更)
◆修徳高校サッカー部2年 川瀬 稔
「……葉隠、お前、それ、えっ?」
先程見た光景が信じられず思わず口をついて出た言葉は自分の思考そのものそのままだった。ただ認識が理解に追いついておらず、まるで脳がその理解の為の言語変換を拒んでいるような奇妙な感覚だった。
僕自身、何度もビデオでフォームチェックをしていたから気付いた。少し離れた所からパスを出して来た人物の体の使い方とボールタッチはまるっきり「僕」だった。気持ち悪いなんてものではない、目の前にもう1人自分が居るという光景は。これが夢ならば早く覚めて欲しいが、足下にあるボールから返ってくる感触がこれは現実だと痛烈に訴えかけてくる。
暫く思考停止して漸くドッペルゲンガーに見えたのが仮入部員の葉隠だと認識できた。そして同時に葉隠はサッカー初心者だったことも思い出した。ただ正直なところ、最初のボールタッチからその次の殺人シュート、そして先ほどのパスを見て、僕の中で葉隠は実は経験者だった疑惑と、仮にも初心者が持って良い筈のない才能に対する羨望の念が深まっていった。
それからもしばらくパス練習を続ける内に葉隠は段々と「僕」になる頻度が増えた。インサイドキックのみならずトラップやパスを受ける前動作にまで僕の仕草を真似て取り込み、いつしか僕は自分と1対1で練習をしているような気分になった。相変わらずその物真似の精度には気味の悪いものや嫉妬心もあったが、それも葉隠が僕の動作を全部真似できたと向こうが判断してからは徐々に葉隠自身の能力に合わせた動きに変化していった。
しかし目の前で進化し続ける葉隠を見るのは、サッカー歴10年にもなって未だにチームで3軍選手にしかなれない僕には眩しすぎて、純粋な気持ちで応援はできなかった。かといって誰かに嫌われても良いと思えるほどの勇気はなく、若干取りにくいパスや少し強いパスなどを混ぜた地味な嫌がらせをするに留まった。だがその難しいパスでさえも余裕綽々で捌いて急成長していく葉隠を見ると、何やってるんだろうとふと我に返った。そして練習を中断させてアドバイスを兼ねた雑談でもしようと葉隠の方に近寄った。
「どう、なにか掴めたかな?」
「……なにがっすか?」
「いや、練習中ずっと僕の動きを真似したり新しい動きに変化させたり忙しなかったからさ。一応僕も上手くいけばと思って若干取りにくいパスも出してみたんだけど。……その様子じゃあんまり役に立たなかったっぽいね。ごめんね。」
思わずといった様子で目を見開いた葉隠、だが実際は忙しなくなんてなかったし敢えて難しいパスを出したのだって嫉妬心だ。だが言わない。こんな僕でも一応先輩だからね、意地の一つや二つぐらい張るものだ。もう遅いかもしれないけど。
「……やっぱり真似してるって分かるもんなんすか?」
「あ、そっち?……うん、まあそれはね。やっぱり自分の積み重ねてきたものだから目の前で見たらそりゃ僕でも分かるさ。」
思わず漏れ出た苦笑はすぐに引っ込める。
「……すんません、あんまり気分良くないっすよね、真似されるの。」
「ははっ、なんというか随分素直になったね。……うん、まあ僕も最初は動作やら仕草やらあそこまで完璧に真似されて気味悪いとは思ったけどね。やっぱりサッカーでも何でも始まりは物真似からスタートするんだから、今はその始めの一人に選んでもらって光栄かなって気持ちだよ。だから葉隠は気にしないでいいよ。」
「……あざっす。」
「いいよいいよ、それで凄まじい才能を秘めた葉隠がサッカー部に入部してくれるなら安いもんさ。あっはっは!」
「……。」
我が事ながらよくもまあこんなにも考えてもいなかったことをペラペラと喋れるもんだ。もしかして俺の前世は詐欺師だったりするのだろうか。いや、前世なんてそんな妄想の産物はあるわけないのは分かっているのだけれども。
「うん、まあいいや。で、何か聞きたいこととかない?仮入部だからって全然遠慮する必要とかないよ。」
「なら…………。」
葉隠に僕の持っているサッカー知識の限りではあるが、キックの方法、トラップの仕方、ドリブルの時に使えるちょっとした小技なんかを教えた。言葉で説明しただけでは伝わらないと思ったので実際にやって見せたりもした。葉隠はその教えをどんどん吸収していくと同時にどうやら僕を頼れる先輩認定したようで、葉隠の夢や現在お金に困っていること、あんまり友達が居ないことなど色々聞いた。ぶっちゃけそこまでオープンにされても聞かされている方は困惑するし、今まであまり人とコミュニケーションを取ってこなかった弊害なのだろうかと少し心配になるほどだった。
そんなこんなで仮入部期間恒例のミニ試合の時間がきた。陣営は言わずもがな俺たち3軍選手VS仮入部員の1年生だ。試合は20分制で10分ごとに選手交代をする。葉隠と別れて自分のチームへ向かおうと思ったところ、背後から葉隠に声を掛けられた。
「あの……!最後に一つ、聞いてもいいっすか?」
「うん、どうしたの?」
「いっぱい勝てるチームと絶対負けないチームの2択なら、どっちのチームの選手の方がプロになれますか?」
「えっ……?……うーん、僕なら絶対負けないチームを選ぶかなあ。」
僕自身はいっぱい勝つチームの方が好きだけどね。でもプロになるなら絶対負けないチームの方が良いと思うのは本当だ。根拠はないけど。
「あざっす!」
「こんな回答で良かったの?」
「っす!」
「なら良かった。じゃあね。君も早く向こうのチームに合流しなよ。」
「……っす。あの、本入部するかはまだ決めきれてないっすけど、もっとちゃんと考えてきます。色々ありがとうございました!」
「うん、まあいつでも待ってるよ。じゃあね。」
葉隠が頭を下げっぱなしにしているので、僕はさっさと自分のチームの方に向かった。