第58話 魔元素免疫不全症候群『MIDS』
異世界にはない大病のひとつに魔元素免疫不全症候群、通称『MIDS』という難病がある。
この病気は体内外に関与する魔元素のコントロールに対し、体内の免疫細胞がうまく働かず暴走し、本来なら魔元素の体内にかかる負荷や毒性を低減、中和、解毒するべき免疫が、逆に身体の至るところを破壊してしまうという恐ろしい病気だ。
この病気は先天性である場合と後天性である場合の両者があるが、最も多い症例としては前者の遺伝による影響が甚だ大きい。
しかし現在においても何をきっかけにその病気が発症し始めるかは未だに定かではない。
まず『MIDS』が発症した多くの患者は、魔法を扱う事を禁止されている。
何故なら魔法を扱うのは魔元素をコントロールし、免疫細胞に負荷をかける。その為に『MIDS』の進行を早めてしまうからだ。
また専門の治癒師のもとで適切な治療を施さない場合、発症が見られてからたったの半年から1年近くで絶命に至る。
発症の初期段階。いわゆるステージ1と呼ばれる状態は、まず異様な魔力の流れ方から始まる。
体内の魔力が免疫に正常制御されず、異様に膨れ上がる。結果として魔法の暴走や意図しない魔法の発現などが起こる。
次の段階、ステージ2に進むと精神面に異常が出始める。
この時、罹患者は物事の判断が正常にできなくなっているので、突然人が変わってしまったようになる。
ステージ3にまでなると、ステージ1と2の状態が一日の間により頻繁に、そしてより強く現れる。この段階まで来ると、通常であれば然るべき施設へと監禁させられる。
何故なら、激しい記憶の損傷と欠落が起きてしまうがゆえに、善悪の判断基準がまともではなくなってしまい、他者を突然攻撃するようになるからだ。
だが、まだこの段階までなら高名な治癒師のもとで長い年月をかけて適切な治療を行なえば、その後も存命する確率はそれなりにあり、回復が見込める。
それでも罹患者の基礎免疫次第で病気は次のステージへと進行してしまう事も少なくはない。
ステージ3の状態が見られて適切な対応処置を行わない場合、僅か数日ほどでステージ4へと確実に移行する。
ステージ4になると、一時的に人格が落ち着きをみせる。だが、すでに体内の魔元素を抑制する免疫は壊滅状態であり、まるで傷口から血が流れ出るように、あちこちに攻撃的な魔法を撃ち放つようになり、もはや回復の見込みは望めなくなる。
また、それが瞳の色に現れ始め、どんな者であっても必ず瞳の色が紫がかってくる。
このステージ4からを末期症状と言う。
この落ち着いた状態の時、この国では『MIDS』罹患者を殺処分する事が定められている。
しかし、何かのトラブルなどによってステージ4罹患者を殺処分出来なかった者が、数日間放置されてしまうと最終ステージに移行する。
最終ステージであるステージ5になると非常に危険な状態であり、この国では重犯罪者と同等の対応としてギルドや兵士たちに緊急性の高さを訴えたのち、見つけ次第殺処分せよと通達される。また、ギルドだと最高難易度クエストと認定される。
それというのも、ステージ5罹患者はもはや人としてまともな思考を行なう事が不可能であるとされるだけでなく、異様な魔力のコントロールを行なった末にそれを躊躇なく扱う為、大規模な災害に繋がってしまう事すらあるからだ。
この国では属性適正値が高い者は代々貴族として繁栄し、魔法の扱いが不得手な者は一般人と言われている。
一般人でも多少の魔法を扱う事は可能だが、どんなに努力をしても適正値が低い彼らはせいぜい手の平から小さな火の玉や少量の水などを出すのが良いところで、とても戦闘や狩りなどで扱えるシロモノではない。
しかしそんな一般人程度の魔力であっても『MIDS』のステージ5に移行している場合、とてつもない威力の魔法を扱う。
過去に数回の事例があり、ただの一般人だった『MIDS』ステージ5罹患者が、ひとつの都市を壊滅状態に追い込んだという伝説すらあるのだという。
だが、仮にステージ5罹患者をもし止められなくとも、およそ一日足らずで死には至るので、最悪の場合は人々は避難して逃げ回るという手段もある。
「私が……その『MIDS』のステージ4だと仰るんですの……?」
ウィルスレインから説明を受けた私が、確認するように尋ねる。
「……おそらく」
ウィルスレインは気まずそうに答える。
「さ、さっきのはただのマナバーストですわ! 別にマナバーストくらい、どんな人にでも起こりうる事でしょう!?」
「……うむ。さっきのはただのマナバーストだ。だが、マナバーストが起きた原因や前後の記憶、そしてメイリアくんの今のその瞳の色。それらから鑑みると『MIDS』を発症していると見てまず間違いはないだろう」
「で、でも私がマナバーストを起こしたのはアレが初めて……」
私の言い訳に隣にいる魔王が首を横に振った。
「違うんだメイリアちゃん。キミはこれまでに何度か『MIDS』と思われる症状を引き起こしている。ただ僕にも確証がなかったし、僕の膨大な魔力の影響下だったせいでキミの魔力が暴走気味なのかどうなのか判断がつかなかった」
「だって、それは本当にサタナイルの影響で私の魔力は底上げされたからでッ!」
「そうかもしれない。けれど、今のメイリアちゃんの瞳の色が全てを物語ってしまっているんだ」
「こ、こんなの……ッ!」
こんなの、こんなの、こんなの!
ただの、疲労にすぎない!
私がそんな大病なはずがないッ!!
だいたいフォルクハイム家の屋敷に入った後から何もかもがおかしくなり始めた。唐突に!
グウェインという男には陵辱されかけ、ウィルスレインを殺せと命じても魔王は素直に言う事を聞かないし、それでもなんとか私がウィルスレインを殺したと思ったら魔王がそれを邪魔して助けてしまうしッ!!
何もかもが狂ってる!
おかしくなってしまっているの!
この世界は何があっても私を殺しにくる!
私の味方なんてやっぱりいないんだ!
……いえ、やっぱりおかしい。冷静に考えればコレがおかしい事など明白ではないか。
そうだ。だって私は16歳の日に死ぬさだめ。
もしこのウィルスレインという男が言う『MIDS』なんて大病の末期だとしたら、私はとてもじゃないが16歳まで生きる事すら不可能。
という事はつまり、彼は嘘をついているという事。
やはり狡猾な男なのだ。
魔王はそれに騙されてしまっている。
そうだ。
ここは私が冷静に判断しなくてはいけない。
こんな男に騙されている場合ではないのだ。




