第54話 タスケテ
アルノー家では代々、様々な『暗黒』属性の魔法に関する『魔学』を学ぶ。
基本的にはアルノー家に仕える古老の執事が、それを私やヴァネッサに教育してくれていた。
教育の中でひとつ、注意しろと口を酸っぱくして言われ続けていたのが『暗黒』属性魔法は、心を闇に落としやすいという事についてだ。
ヴィアマンテお父様や執事が言うには、私たちアルノー家の血筋は『暗黒』属性への適正値が非常に高い。
それゆえに心を闇に落とす事もままあるのだと言う。
なので理性を保ち安定して魔法が扱えるようになる為の儀式が、16歳の日に行われる成人の儀である。
それまでは『暗黒』魔法を扱うのは充分に注意が必要だと口うるさく言われていた。
注意点はそれだけではない。
精神面でも不安定に陥ると体内の魔元素が暴走しやすいとも言っていた。
だから私やヴァネッサは、常日頃から健やかな精神を保てるよう、清く正しい生活を送ってきていた。
しかしヴァネッサだけは元々身体が弱いせいか、その心も落ち込みやすい性格だった。
そんなヴァネッサが『暗黒』に飲まれないようにする為に、ヴィアマンテは特別な訓練、『レッスン』をヴァネッサにしていた、という事を何故か今、不意に思い出していたのだった――。
●○●○●
「……ぅ、……ぐ……エ、エクス……ヒール」
――大量の血を流しながら、瀕死の状態で倒れ伏したウィルスレインが、自身の穴が空いた腹部に必死で回復魔法をかけている。
さすがは『聖光』属性最高適正値を持つフォルクハイム家だ。『エクスヒール』なんて最高難度の魔法を若干16の若者が使えるのだから。
ただそれでも助かる見込みは半々といったところか。私は無意識とはいえ、彼の腹部、正確には胃の付近にある肝臓辺りを貫いている為、出血量が尋常ではない。
よくもまぁこの出血量でショックを起こして気を失わないものだ、と少し感心した。
「メイリアちゃんッ!!」
などと私が自分でも気持ち悪いくらい冷静にウィルスレインを見下していると、いつの間にか私の隣に降りてきていた魔王が、私の肩を掴んで名を呼んでいる。
「メイリアちゃん!! どうしたんだよ!?」
魔王が必死に名を呼んでいる。
ああ、そうか。
私が返事をしないからか。
「……なんですのサタナイル。騒がしいですわよ?」
「なっ……なんですのじゃないよ! 一体どうしたの!?」
「どうもこうも……うふふ。ほら、見てくださらない? 私、やりましたの」
私は満面の笑みで真っ赤に血塗られた右手を誇らしそうに魔王へと見せつけた。
私はあのウィルスレインを倒したのだ。殺したのだ。
三魔貴族でさえ赤子同然にあしらわれた父親よりも、更に優れたあの聖戦士と名高いウィルスレインを。
もし魔王が本気ならきっと彼でも倒せただろうけど、魔王は殺生が苦手だから多分できない。
だから私がやってあげたの。
きっと魔王は褒めてくれる。
いつも私に優しい啓介くんなら褒めてくれる。
嬉しい。
啓介くんに褒めてもらえるのは凄く嬉しい。
褒めて啓介くん。
私を褒めて?
「何を……何をやってるんだよ!? ウィルスレインに敵意はなかった! 話し合いをしようって言ってたじゃないか! 彼ならきっとメイリアちゃんに協力してくれたかもしれないのにッ!」
ア……レ……?
ワタクシはドウシテ、おこラレているのカシら。
「……でも私はちゃんとやりましたの。ウィルスレインをちゃんと殺しましたの。お母様と同じようにお腹を貫いて差し上げたんですの。私と同じ目にあってもらったんですの。私がやったんですのよ。私が私が私が」
「メ、メイリアちゃん……ッ」
魔王が誉めてくれない。
啓介くんが誉めてくれない。
それどころか凄く苦しそうな声で私の名を呼んでいる。
「メイリアちゃん! しっかりしてよ! メイリアちゃん!」
魔王が私の肩を持って激しく私を揺さぶる。
しっかりって何?
私はしっかりしてる。
しっかりしていないのは魔王の方。
主従契約の身でありながら、私に盾突くような意見ばっかり。まともに殺生もできない。そのうえ日和見主義。
しっかりするべきなのは魔王の方。
ねえ、魔王。
しっかりシテ?
「うわッ!?」
ねえ、魔王。
しっかりシテヨ。
「メ、メイリアちゃん……」
気づけば魔王は私から少し離れた位置に下がっていた。
いや、回避したのだ。
私の右手から。
ああ、間違えた。
つい、魔王の事も刺し殺そうとしてた。
魔王は殺しちゃダメ。主従契約のせいで、彼を殺せば私も死んでしまうのだから。
「……ゴメンなさいサタナイル。コレはちょっと間違っちゃいましたわ」
私は笑顔で謝った。
誰にでも間違いはあるよ、っていつもの魔王や啓介くんならそう言ってくれる。
「……メイ……リアちゃん……」
フルフェイスの鉄仮面のせいで彼の顔は見えないけれど、魔王の声が涙で震えているように聞こえる。
「僕が……」
魔王は私の方へ一歩、踏み出して、
「僕が、必ずメイリアちゃんを助けてあげるからッ!」
そう叫んだ。
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助けてほしいといつも願っていた。
声にも出していた。
でも、どんなに願おうと、声に出そうと、私を本当に助け出してくれる人なんていなかった。
だから私はいつも死ぬ。16歳のバースデイに。
死ぬのは苦しい。
とても辛いの。
安らかな死なんてものは、ただの一度すらなかった。
もう、私は死にたくない。死にたくないの。辛いの。
そして生きるのも。
だからお願い。
私をタスケテ?
もう、私を殺さないで。
もう、私を生かさないで。
私が全ての悲劇の始まりなのだから。




