8.冷やし中華始めました
「なに俗なことやってんだよ。この間は『うちはラーメン一本だ』なんて言ってたくせに」
店の中に張り出されている「冷やし中華始めました」と書かれている広告を見ながら、常連の男は店主に対してそんな文句を言った。
「俺、気付いちゃったのよ。スープも勿論だけど、この店の売りは実は麺だってことにね」
対して店主が厨房の中できゅうりを刻みながら、常連の男に答える。
「麺を美味しく食べさせる方法はなにかって考えてたらさ、行き着いちまったのよ。冷やし中華と言う存在に」
「そうは言うがな、ダンジョンの奥だぞここ。感じてみろよこの肌寒さを。ひんやりしていて冷やし中華なんて売れるわけがないだろ」
ロストフォレスト洞窟の最奥は地底湖があり、地上よりも遥かに気温が低い。
加えてフロストウルフなどの冷気系の魔物もうろついており、涼をとるための商品が売れるとは思えなかった。
「くくく、そんなこと言っていいのか? 見てろよ、一ヶ月後には主力商品になってるからなぁ? ウチの冷やし中華はよぉ」
「言いやがったな? 楽しみにしてるから、吠え面かくなよ?」
二人の男がカウンター越しに不敵な笑みを浮かべ合う。
かくして、店主と常連の男との冷やし中華大決戦の幕が開いたのであった。
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「で、結局冷やし中華の今月の売り上げはどうなったんだ?」
あれから一ヶ月後のことである。
常連の男がいつものとおりラーメンを食べながら、店主に聞いた。
「ふふふ、聞いて驚くなよ。主力商品であるラーメンと拮抗している。こりゃあもう立派な主力商品よ」
「ほう? そりゃあ大したもんだな、俺が見誤ってた。で、どれだけ売れたんだ?」
「なんと冷やし中華が5皿、ラーメンが6杯だ」
店主のその言葉に、常連の男が少し間を置く。
「……月に、出た量だよな?」
「ああ」
この一か月の間、常連の男は七日に一度はここにやって来てラーメンを食べているので、都合4杯は食べている計算になる。
と言うことは、冷やし中華を抜きにすると単純計算で自分と他2杯しかラーメンが食べられていないと言うことであった。
「なんでそんなに出てる量が少ないんだ?」
「今月は冒険者パーティが誰も来なかった」
「そうか……」
常連の男は何とも脱力しながら、飄々と仕込みを続ける店主の言葉に答える。
「その、大丈夫なのか? 店は」
「まあ多少貯金を切り崩しちゃいるが、一か月客が入らなかったくらいなら何とかなるだろ」
いや、一か月どころか自分以外に客が入っているところなんて滅多に見たことがないぞ……などと常連の男が思ったところで、ラーメン屋の扉が開いた。
「なんだ、今日は先客がいたのか。珍しいな」
可愛らしい声とともに店に入ってきたのは、頭に角を生やし豪奢なローブを着たダンジョンマスターである。
ダンジョンマスターは優雅な仕草と共に扉を閉めると髪をかき上げ、指定席である奥のテーブル席へと座った。
「まあいい、いつもの」
「はいよ。冷やし中華と煮卵ね」
そんな短い会話と共に店主が冷やし中華の準備を始める。
その様子を見て常連の男はふと疑問に思い、ダンジョンマスターへと話しかけた。
「なあお嬢ちゃん、この店が冷やし中華を始めてから、一体今までどれくらい食べてる?」
「お嬢ちゃん言うな、おまえ達よりも余程年上だと言うのに。そうだな……沢山食べたぞ? 始まってから5回は食べた。ラーメンよりもカロリーを気にしなくていいしさっぱりしていて良い」
「5回」
「うむ、5回」
いや、完全に太客一人に支えられてるだけじゃねえか……。
常連の男は店主に向かってそんな台詞を口に出そうとしたが「よくよく考えたら主力のラーメンも今月は俺が支えているだけだな」と思い直し、勘定を支払って出て行った。