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永久に紡ぐひととせ

 季節が巡る。

 黒く冷たく静かな冬を堪え、新芽の彩りが野山を覆う頃、ようやく私は元の生活に戻ってきたのだと実感した。

 元の生活というには、少々、場違いな御方もいるけれど。


「歳神様、今日も精が出ますね」

「姫君。もう歳神だなんて呼ばないでください。今の私はただの農夫なのですから。ぜひ蚩尤(しゆう)と呼んでください」


 鍬を片手に畑の真ん中で困ったように笑う大男に、私は声を立てて笑った。


 大柄で、どっしりとした存在感。それなのに表情や物腰は常に柔らかくて、大きな身体に見合わないまぁるい目はつぶらで可愛らしい。


 冬の始まりに私を抱いてこの村に現れたこの青年は、私が一年共に過ごした牛だという。


 この村に来たばかりの頃は私も衰弱していて、ただただ歳神様が私の側にいるってことだけを理解していて、何がどうしてこうなっているのかよく分かっていなかった。そんな前後不覚だった私の代わりに、先に村へと戻ってきていたらしい養父が、元歳神様から色々と聞き出してくれていたらしい。


 曰く、私を連れてきた大男は、私の願いを叶えるため主神が歳神様に与えた姿であること。

 曰く、牛の歳神様はこれを機に人としての生を迎えるということ。

 曰く、私の暦姫としての褒美は元牛の大男と真に契る――つまりは婚姻することで、成就されるということ。

 尚、ご褒美の返品は不可らしい。


 ようやく体の調子が良くなった私が、養父からそれらのことを聞いて頭を抱えてしまったのは言うまでもない。


 それでもありがたいことに、気持ちの整理のつかない私を元牛な歳神様は無理やり組み敷くことはせず、のんびり農夫の真似事をして村に溶け込みながら、私がこの状況を受け入れるのを待ってくれている。


 私はつい彼の優しさに甘えてしまったまま、この村で四つの季節を過ごしてしまった。


 春は新たな実りを得るために共に畑を耕した。

 夏には川で水を浴び、魚捕りをしてみたりもした。

 秋がくれば春とは違う色に染まる山々に秋の恵みを探しに出かける。

 そして冬は暖めた部屋で寄り添って過ごした。


 幸せだった。


 認めるしかなかった。この居心地のよさは間違いなく、私が暦姫の時に得て、手離すことを恐れていたものであると。


 そして季節が巡り、二度目の春を迎えた今、すっかり歳神様はこの村に馴染んで、その人の良さからも村人たちに慕われていた。


 ――今だって。


「シユウ様~。こちらに来て休憩しませんか~! 一緒にお茶しましょうよ~!」


 シユウというのは、歳神様の人としての名前。


 大柄ではあるものの、整った顔立ちでたくましい体を持ち、誰にでも優しく誠実そうな雰囲気の若者は、年頃の村娘たちの憧れの的だ。当然のように声をかけてくる子が多い。


 正直に言えば、村には私より可愛い子は沢山いる。


 別に元牛な歳神様と婚姻を結んで、子を産み、国の繁栄に導くというお役目は私じゃなくて果たせる。


 この一年見ていれば、歳神様だって私より可愛い子も、私より働き者の子も、私より賢い子も沢山いることに気づいたと思う。


 私だってそんな村娘の一人として生きてきた。けれど実の親がいないと思ってきた上に、実際のあの親の下衆っぷりを見てしまえば、あんな奴の血が流れているだけで綺麗に笑う皆よりも一段と劣っているようにしか思えなかった。


 私はそそくさとその場から立ち去ろうとしたけれど、ぬっと頭上が影ったのに驚いて後ろを振り返った。


「誘ってくれてありがとう。でも大丈夫です。一段落したから家に戻るところなので。さぁ飛燕、帰りましょうか」

「え、わぁっ」


 鋤に桶を引っかけて持つほうとは違う腕で、元牛な歳神様は私を抱き上げた。

 驚ろいて大男の形の良い頭に抱きついた私は、白けた顔をして私を一瞥した村娘に気づいてしまって、居心地が悪くなる。


「……抱き上げなくても良かったのに」

「そうでもしないと、貴女は私から逃げるように去っていってしまうではありませんか」

「だって、堪えられないんです。あなたを好きな女の子なんていっぱいいるのに、私は邪魔でしょう」

「貴女が邪魔だなんて。そんな戯けたことを言うのは誰です」

「誰って……誰かが言った訳ではないの。強いて言うなら、私の中の罪悪感。申し訳ないの。私のせいであなたが人の身に落とされて、その上、これからの人生を私に縛り付けてしまうなんて」


 この一年、村人と交流をしながら人の生活に馴染んでいく歳神様の姿を見てきて、ずっと思っていたことを私はようやく伝えた。


 そう、これはきっと罪悪感。この元牛な歳神様からしてみれば、私の褒美のために無理やり結婚を強いられていると言えるんじゃないだろうかという不安が胸の奥で黒くとぐろを巻いている。


 だから人と関わるなかで、喜怒哀楽を見せてころころと表情を変えていくこの若者を見るたびに、私の胸の内にもやもやとしたものが溜まっていってしまう。


 この消化されないもやもやをもて余している私が心の内を明かすと、歳神様は足を止めた。


 そしてその場に農具を置くと、両腕で私を抱え直し、こつんと私の額と自分の額を合わせてくる。


「私の暦姫。貴女が罪悪感を持つことはありません。貴女が私を縛り付けたのではなく、むしろ私が貴女を縛り付けているのです。私のこの姿は私の願いの具現であり、私が貴女と共にいたいと望んだからこそ、主神はそれを許してくださったのですよ」


 歳神様の不思議な言い回しに、私は戸惑った。


「それは、どういう……?」

「鈍い人ですね。ですがそれも含めて貴女の愛しいところです」


 そう言うと歳神様は、普段の柔らかな表情から熱を孕む雄々しい表情へと一変させる。

 そのつぶらな瞳に浮かぶ感情の違いに気づくよりも早く、歳神様の厚い唇が私を唇を食べてしまうように覆った。

 突然の口づけに息を止めてしまった私が、唇が離されても呼吸を忘れて呆然としていると、歳神様がやんわりと微笑んだ。


「私の暦姫。あの一年の箱庭の中で、毎日精一杯生きようとする貴女の姿を見てきました。時折、先の見えぬ未来に不安を抱いていたことも知っています。それでも貴女は獣の姿である私を恐れることなく、見下すことなく、変に媚びることもなく、常に自然体でありました。お役目に真摯であったそんな貴女を、私が愛おしく思うのは当然と言えましょう」


 私は首を振る。

 私は特別なことなんて何もしていない。


「そんなの、普通です。誰でも、暦姫なら誰でもきっとできます」

「それができていなかったのが、今までの暦姫なのです。私は十二の御使いの内、下から数えたほうが早いくらいには姿が醜い自覚があります。その上この性格故に厳しくもなれず、暦姫の奉仕が十分でなくとも、豊穣の加護だけは与えてしまうような駄目な御使いだったのです。そのせいか主神には叱られ、他の御使いには唯一代替わりをしていない、のろまな御使いだと揶揄されていたくらいです」


 歳神様の独白に、私は気になる言葉を見つけた。


「代替わり? 歳神様、代替わりをするんですか?」

「そうですよ。度々、暦姫が人の世に戻らないということがあったと思いますが、それは皆、その時の御使いの花嫁として天界に連れていかれているからです。そして生まれた子は次の御使いとなります」


 歳神様は私の言葉に頷くと、ゆったりとした口調で話を続ける。


「御使いの力は無尽蔵にあるわけではなく、豊穣の加護を注ぐたびに力は衰えていくのです。暦姫からのもてなしによって回復はしますが、今までの私には十分なもてなしが得られませんでした。私の力はとっくに衰えていて、豊穣の加護も微々たるものだったのです。本来だったらとっくに代替わりしていてもおかしくなかったのです」


 それが、と歳神様は続けた。

 蜜のようにとろりと瞳がとろけて、囁くように私に教えてくれた。


「貴女のもてなしが、私に再び力を与えてくれたのです。貴女の真心と誠意が私の力となる瞬間は、全身が悦びに満ちました。そして貴女以上の暦姫とは二度と巡り合えないと思ったからこそ、私は主神に申し出たのです。貴女を花嫁として迎え入れたいということを」


 そう言った歳神様は、私と鼻の頭を合わせると戯れるようにお互いの鼻先を触れあわせる。


「主神も残酷ではありません。暦姫が嫌がるのであれば私の申し出は破棄されます。ですがこうして人の身を手に入れ、あまつさえ褒美という大義を与えてくれたのです。ここまでお膳立てされて、私が舞い上がっていることなんて、貴女は知らないのでしょうけれど」


 くっついていた鼻が離れていく間際、ぺろりと温かいものが私の唇を濡らしていった。

 目の前の男の人に舐められたのだと気づいて、顔に熱が集中する。

 そして歳神様の言った言葉を一つ一つ反芻しながら理解していって、ようやく私は腑に落ちた。


「えぇっと、つまり、あなたがここにいるのは、私が望んだことには違いなくて……でもそれはあなたも望んでいたこと……?」

「そうですよ。神は平等です。願いを叶える時、その願いのせいで誰かが不幸になるような願いは叶えてくださらないのです」

「じゃあ私……あなたと本当の夫婦になっても良いの? あんな醜い人間の血を引いている私なのに」

「彼らにはそれ相応の神罰がくだされましたよ。彼らのことなんて気にしている暇があるのなら、早く私への想いに自覚を持ってください」


 歳神様への想いの自覚。

 そこまで言われて気がつかないほど、私も鈍くはない。

 私は信じられない思いでいっぱいになりつつも、震える声で、確かめた。


「本当に? 本当に良いの? こんな私で」

「貴女だから良いのです、私の暦姫」

「私なんかがあなたの側にいて迷惑じゃない?」

「むしろ私があなたの側にいたいのです。今日という日のためにとっておいた、千年分の私の愛情をどうか受け取ってください」


 そうまで言われてしまえば、感極まってしまって、私は声にならない声と共にぎゅうっと歳神様を抱きしめた。

 そして万感の想いを込めて、そのつむじに口づけると、私の胸の内からくぐもった笑いが聞こえてきた。

 私の体をそぅっと離した歳神様は、それはそれは魅惑的な笑みを浮かべるのだ。


「せっかくなら、貴女の愛情は私の唇に。私の暦姫」


 乞われた私は、彼の望むままに口づけを贈った。



 ◇



 昔々のお話です。


 ある年のこと、暦姫と牛の姿の歳神様が、恋をしました。


 穏やかな一年を過ごした二人でしたが、暦姫がお役目を降りる時、偽物の暦姫が現れます。


 偽物の暦姫によってとても寂しい牢に閉じ込められてしまった暦姫ですが、歳神様が愛の力で見つけ出し、偽物にはこわいこわい祟りをかけたのです。


 歳神様は牛の姿を捨て、人の体を望みました。


 そうして二度と暦姫が悲しい思いをしないよう、暦姫の隣でいついつまでも寄り添い、幸せを育んだのです。


 歳神様が暦姫と睦みあった村はやがて、都にも劣らない繁栄を極めました。


 その地には暦姫と牛の姿をした歳神様への信仰が、今でも根強く残っているそうです――




【暦姫と歳神様の偽りからはじまるひととせ 完】



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