11-1 エリンでのつかの間の休暇
前章のあらすじ
皇帝より賜ったエリンの地をアトミナとドゥリンに任せて、アシュレイは帝都の兄ゲオルグを頼った。
代わりの執政官を探さなければならなかったからだ。
しかし叔父のモラクの息がかかっていない役人となると、そうそう見つかるものではなかった。
ところがそこにプィスという褐色肌の青年がやってきた。
プィスは帝立学問所の学生。ゲオルグより家庭教師の仕事を請け負った彼は、厳しくアシュレイに法律を仕込む。
そんな中、異界の本という共通の趣味が彼らを結び付けた。
アシュレイは己の家庭教師として彼を認め、聡明なプィスを領地の執政官にしたいとまで考えた。だがそれは古い因縁が許さない。
その翌日、アシュレイはエリンに戻ってドゥリンの錬金術の力を頼る。
帝国の絆スキルの効果もあって、ドゥリンは難しい調合を成功させて、エリンの地に土壌改良剤を生み出した。
しかしその晩、アシュレイは酒場からの帰り道で襲撃を受けた。
そこでハキと名乗るヤクザの親玉を成敗するも、姉とドゥリンが滞在する領館が襲撃を受ける。
領館は燃えていた。暴虐を働く悪党を成敗して、大切なドゥリンを抱えたままアシュレイは姉アトミナを追う。
その後、アトミナを抱えた騎馬兵を追いつめると、叔父のモラクがそこに現れた。
そしてモラクはふてぶてしくも、口封じに誘拐犯である騎馬兵を殺そうとした。それをアシュレイが庇った。
強大な権力を持つモラクを、アトミナ皇女誘拐の首謀者として糾弾することは事実上不可能。
モラクはアシュレイの力を認め、エリンから手を引くと宣言して立ち去っていた。
が、アシュレイはそこで引き下がらなかった。
翌日、モラクの孫娘を誘拐して帝都観光としゃれ込む。
結果、孫をさらわれたことで叔父のモラクは青ざめ、ゲオルグ皇子の勘気を恐れてか、アシュレイの提示した新たな示談条件を飲んだ。
それはプィスの卒業までの単位と、焼かれた領館の修繕費用だった。
こうしてアシュレイはプィスを説き伏せて、執政官としてエリンの地に連れ帰った。
その頃にはドゥリンの土壌改良剤の実験も進んで、痩せた土地と、塩害でやられた南部を救うめどが立つ。
一方、執政官プィスはエリンの地にて、イチャイチャとするアトミナとドゥリンの愛らしい姿を目にして、その無限大の妄想力を爆発させるのだった。
ドゥリンのお母さんになりたい。彼は確かにそう言っていた。
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杭の迷宮都市ラタトスク編
新米冒険者カチュアを育てろと奇書が言う
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11-1 エリンでのつかの間の休暇
それは休暇のはずだった。
しかし俺は失念していたのだ。
プィスが執政官であると同時に、俺の家庭教師でもあったことに……。
「プィス、アンタ仕事に戻ったらどうだ……」
「はて、仕事ならちょうど今やっておりますが……?」
朝食を済ませるなり、プィスは軽い政務と欺いて俺を書斎へと押し込めれた。
書斎机の上には分厚い司法書が一冊と、山のような積み重なった紙束が置かれている。
「頼む、領地を優先してくれ……。もう頭が痛くなってきた……」
「フッ……この程度で頭痛ですか? ゲオルグ様に笑われますよ」
「俺は休暇中だ! なのになぜ、こんな馬鹿げた物を写本しなくてはならない!」
「暗記の最短距離だからです。それにアシュレイ様が作った写本となれば、マニアも鼻血モノのコレクターアイテムになりますからね」
プィスは背中ごしに法律の意味を解説しながら、俺が文字を書き写してゆくのを監視していた。
おかしい。俺の休暇はどこに消えたのだ……。
教鞭を執っている時のプィスは立派なサディストで、兄上に次いで恐ろしいので逆らう気なれない……。
それに俺のわがままで、まだ若いプィスに領地運営を押し付けるのだ。機嫌を損ねたくなかった。
疲労を堪えて授業に再び集中した。
それからしばらくの時が経つと、屋敷の外から馬の高いいななきが聞こえてきた。
馬はいいな、走るのが仕事で……。
ところが何か気になったのか、プィスの解説が止まった。
助かった。もう手を止めて休んでいいということだろうか……。
「どうした、プィス」
「いえ、誰か来たようです。車輪の音が聞こえませんでしたから、ご婦人ではなさそうです」
ならば他にいない。俺はプィスの言葉に立ち上がった。
いや、立ち上がろうとしたところで、鬼家庭教師に肩をつかまれてまた着席させられた……。
「それは勧めません」
「なぜだ。単騎でここを訪ねる者など他にいないはずだぞ」
「だからこそです。さ、続けますよ」
「……わかった」
エントランスの扉が鳴った。
ペンを滑らせながら、しばらく聞き耳を立てていると、足音がこちらに近付いてくる。
「この歩幅、間違いありません。あの方です」
「あ、ああ……」
足音だけでわかるのか……。
良かったなゲオルグ兄上、アンタは相当に好かれているようだぞ。
それからすぐに書斎の扉がノックされた。兄と弟という仲なのに、律儀な兄上らしい。
「ゲオルグ様ですね、どうぞお入り下さい」
「なぜわかるのだ……」
扉の向こう側から兄上の独り言が聞こえた。困惑しているようだ。
彼の手により書斎の扉が開かれると、そこに美しいブロンドの皇子が現れていた。
「おお、真面目にやっているようだな。そうか、良かった……」
「ええ、朝からミッチリと。これをご覧下さい」
その紙束は、俺の休暇をぶち壊しにして生まれた成果物だ。
何やら嬉しそうに兄上がそれを受け取って、また上機嫌に笑った。
「こんなに書き写したのか。がんばったではないか。お前もやっとわかってくれたのだな……」
「ええ、文句は人一倍多いですが、ゲオルグ様の弟はとても有能です。それはもうひたむきに努力して下さいましたよ」
プィスは要領がいいな。
あそこで俺たちが兄上の歓迎にエントランスへと下りていたら、こうはならなかっただろう。今の兄上は上機嫌だ。
「おかげで休暇が台無しだがな……」
「よし、なら続きは俺が受け持とう。プィスは政務に戻れ」
ところがだ。ゲオルグ兄上がおかしなことを言い出した。
「兄上、そっちこそ仕事はどうした?」
「三日取った。無理を押し通すことになったがな」
「本当か!? それは――ここに滞在するという意味か!?」
「当たり前のことを言うな。しかし焼かれたと聞いた割に無事なようだな……」
「火は場を混乱させるためで、賊はアトミナ様の誘拐が目的だった。自分たちが焼け死んでは意味がない。そうアシュレイ様が先日おっしゃっていました」
姉上と兄上と休暇を過ごせる。俺はこの降って下りてきた幸運に感謝した。
その感動を抱いたのは俺だけではなかったようだ。
アトミナ姉上も兄上の来訪に気づいたようで、廊下を大きく踏み鳴らしてこの書斎に駆けてきた。
「来たのねゲオルグ! もうっ、返事の手紙くらい送りなさいよっ!」
「手紙より馬の方が早い。むしろお前のわがままのために、三日も休暇を取った自分を誉めてやりたいくらいだ」
ゲオルグの馬ならここまで片道一時間弱ほどだろうか。
個人で速い馬を持っている者からすると、手紙など確かにまどろっこしいかもしれんな。
「三日も!? やるじゃないゲオルグ! あ、そうだわ、すぐにお茶にしましょ! ドゥリンちゃんっ、ドゥリンちゃーんっ!」
「騒がしい姉ですまんな、プィス……。アシュレイ、お前は写本と司法書を忘れずにな」
「そういうたちの悪い冗談は止めてくれ兄上」
いや、ところがそれは冗談ではなかったようだ。
プィスがてきぱきと勉強道具を抱えて、兄上と一緒に姉上の背中を追う。
「嘘だろう……」
その後、ドゥリンも交えて世間話や思い出話を交わしながら、司法書を解説されながら丸写しにするという、集中力が散って発狂しそうな苦行が俺を待っていたという……。
『苦行? ぬかせ。我はそなたの中から、そなたの幸せを感じたぞ。そなたは本当に、この兄と姉を愛しているのだな』
脳裏に傍観者ジラントの声が響いたが、聞こえないふりをすることにした。




