10-6 復活が近付いたと奇書が言う - 切実なる願い -
俺たちがエリンに戻ると、土壌改良剤の実験もそれだけ進んでいた。
結論だけ言えば成功だ。エリンの小姓たちが驚くほどの生育速度で、土壌改良剤が撒かれた畑の苗が育っていったそうだ。
といっても俺は農業に詳しくない。
ただの遊び人にはどれだけ凄いことなのやら、まるでよくわからなかった。
まあとにかくだ。後は領主の命令で、各地の農家に土壌改良剤を提供しろと、エリンの役人たちに命じるだけだ。
特に南部の塩害を受けている土地を改善すれば、耕作地が大幅に増えることになる。
ただし問題が一つだけあった。
「やっぱりアシュレイ様が隣にいないと、失敗がとっても多いでしゅ。アシュレイ様、ずっとドゥリンの隣にいてほしいでしゅ」
それは俺を口説いているのか?
そうからかってやりたい気持ちを抑えて、エリンに戻った俺はドゥリンの塩害対策薬の調合を見守った。
ちなみにプィスは町に置いてきた。
やはりあれは有能だ。
彼は自発的にやるべきことを見つけて、まずは役人たちと顔合わせをすると言っていた。
「あらそれはいいわ。アシュレイったらずっと動きっぱなしで、本当にもう落ち着きがないんだもの。少しくらいここでゆっくりしていきなさいね?」
「アトミナお姉様もこう言ってましゅ! 少し休むでしゅよ!」
タイムリミットが迫っている。
爺がろくすっぽ戻ってこない事実がその証拠だ。休んでいる暇などない。
「わかった。あんなことがあった後だ、しばらく休むか」
けれど姉上とゆっくりする機会など、この先もうないかもしれない。
ならば誘いに乗るのも悪くない。後悔だけはしたくなかった。
ドゥリンという共通の友人を交えて、俺たちは錬金術の不思議な奇跡を見つめながら、少し焦げ臭い領館でゆっくりと過ごした。
それからしばらく時が経つと、町で別れたプィスがエントランスにやってきた。
搬入の都合からして、ここが錬金術の作業場に丁度いいのだ。
「お姉さま、ドゥリンに付き合って、ずっと立ってることないでしゅ。座ってほしいでしゅ……」
「嫌よ。それじゃドゥリンちゃんと一緒に休憩できないじゃない」
「でもぉ、お姉さまは、ドゥリンのご主人さまでしゅよ……?」
「いいえ、ドゥリンちゃんはもう私の妹のようなものよっ、そうでしょドゥリンちゃんっ♪」
「お……お姉さま……♪ なんだが、嬉しいけど、は、恥ずかしいでしゅぅ……」
プィスは何やら立ち尽くしていたな。
いやそれも当然か。ドゥリンとアトミナ姉上は少しばかし、友人としても、主人と小姓としても、行き過ぎていた。
「ぁぁ……良いですね……」
「プィス? なんの話だ?」
「これですよ、これ。これは実にいいものですよ、アシュレイ様……。あの二人、なんて仲睦まじい……。ああ、とても良い……尊い……」
「まさか、またこの前の発作か……?」
プィスは有能だが、一つだけ難点がある。
人と人との関係を勝手に妄想して、それに浸り込む癖がある。
うっとりとアトミナ姉上とドゥリンを遠目に見つめる彼の姿は、恍惚という言葉がよく似合った。
「あら、そちらの方はどなた?」
「ああ、こいつはプィス。新しい執政官殿だ。俺の代わりに天領をよろしくやってくれる」
二人の興味が自分に向けられると、さすがのプィスも我に返って折り目正しく背筋を整え直した。
熱心に姉上とドゥリンを見つめるのは、変わらなかったが……。
「あらそうなのっ! 良かった、アシュレイには領主なんて向いてないもの。どうかお願いね、プィスさん♪」
「は、初めましてでしゅ……! ドゥリンは、ドゥリン・アンドヴァラナウトと申しますでしゅ!」
領主なんて向いていないと、姉上に笑顔で言い切られてしまったぞ……。
誰をも魅了する姉上の笑顔がプィスに向けられると、さすがのプィスも言葉を失いかけたようだった。
「よろしくお願いいたします。アトミナ皇女様、ドゥリン様……。ところでお二人は、とても、仲がよろしいのですね……」
「ええそうよ。ドゥリンは私の大切なお友達なのよ。ね、そうでしょ、ドゥリンちゃん♪」
さらにそこへ追い打ちをかけるように、姉上がドゥリンをふんわりと抱き締めた。ちなみに調合中だ。
「ひゃぅっ?! は、はひっ!? お、お姉さま、そういうの、人前は……は、恥ずかしいでしゅぅ……」
見るからに仕事の邪魔でしかない。
しかしドゥリンは恥じらいと共に、口元をだらしなく変えて、なかなか器用にも錬金術の制御とアトミナ皇女の両方を受け止めていた。
「ドゥリンちゃん、好き好きっ♪」
「あああああアトミナお姉さまっ、プィスさんが、見てましゅぅぅ……っ。は、はじかしい、でゅぅ……」
もう見慣れた光景だ。
こちらに愛が延焼しない限りは微笑ましいものだった。
「アシュレイ様……」
「なんだ?」
「この仕事、最高です……」
「そうか。その妄想に浸り切っただらしない顔、外ではするなよ」
まともなのは俺だけか?
もしそう口にしたら総ツッコミを受けるのだろうか。
しかし妄想に生きる人生というのは、これはこれで楽しそうだな……。
「アシュレイ様……ドゥリンさんのお母さんになるには、どうしたらいいのでしょうね……」
「……すまん、言っている意味が半分もわからん。が、それは無理だと断言しておこう」
ゲオルグ、アンタが紹介してくれた家庭教師、だいぶ変だぞ……。
まあ……まあとにかくそういうわけだ。
その後、ドゥリンと執政官プィスの活躍でエリンの開拓が進んでいった。
特に塩害を受けている地域はまともに手を出せなかったからな。
そこに畑を作って、街道を使って民が作物を帝都やその郊外で売るようになれば、間違いなくエリンの地が潤うことになる。
ドゥリン・アンドヴァラナウトは、今日まで皆が頭を悩ませてきた問題を錬金術の奇跡で解決してくれた。
一見は普通の女の子にしか見えないが、全く大したやつだ。
「凄い凄いっ、また成功したのねドゥリンちゃんっ♪」
「てへへ……アトミナお姉さまがお手伝いしてくれるおかげでしゅぅ……♪」
「ぁ、ぁぁ……っ。ぁぁっ、尊い……頭がクラクラしてきました……」
こいつら、この奇妙なやり取りを日が沈むまで続けそうで怖いな……。
分割の問題で次回は短めになります。
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