10-5 穏やかな報復 (挿絵あり
この状況で叔父上や、結託するヒャマール商会の倉庫荒らしをすれば、俺が全ての事件の犯人だと宣伝しているようなものだ。
そこで俺は別の方法で報復することにした。
モラク叔父上には孫がいる。そのまだ9歳の少女アクタヴィアを、俺は叔父上の領地からさらった。
地下トンネルを築き、屋敷に侵入して、箱入り娘を外の世界に連れ出してやったのだ。
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まさか叔父上も領地から消えた孫が、帝都で忌み子とケバブサンドを食っているとは思うまい。
「あのー……アシュレイ皇子様、わたくし、誘拐されたんですのよね?」
「ああ、一応な」
「でも、観光なんてしてて、いいのでしょうか……」
手荒にしたら叔父上と同レベルまで堕ちることになる。
というより、罪もない子供にそんなことできるわけがなかった。
「帝都は嫌いか? 嫌ならナグルファルの方を紹介するぞ。あそこは魚介が美味い。それと海外の果実や珍味も売っているぞ。他にはそうだな、珍しい民芸品を取りそろえた店も見たな」
「わぁ、凄いですの、行ってみたいです……。ああでも、アトミナ様にも、ご挨拶したいですわ。今はエリンにいらっしゃるんですのよね……?」
アクタヴィアはあの男の血筋とは思えんほどに良い子だった。
かなりの世間知らずだったが、おかげでのんきに誘拐生活を楽しんでくれていた。
「それはいいな、姉上も喜ぶ。……だがじきに叔父上に追い付かれる。一番やりたいことから絞っていった方がいいぞ」
「では、アトミナ様には、別の機会でも会えますし……。その、劇場を見に行きたいですわっ。わたくし、帝都の劇場に行くのが憧れで……」
9歳にしてはませた趣味をしている。
彼女は皇帝家らしいそのブロンドを揺らして、誘拐犯に向けて無垢に笑った。
「演劇か……」
「あ、男性の方は、あまり好かれませんよね……。なら、別の……」
「いや構わん。こちらの世界の娯楽にももう少し触れるのもいいだろう」
「こちらの世界、ですの……?」
「そうだ。俺は異界の本が好きでな。あの本はこの世界の娯楽よりも、刺激的で、かつ円熟していると思っている。これが時間を忘れるほど面白いのだ」
「わぁ……それはすごいですの。アシュレイ様って、お話がとてもお上手ですね、ふふふ……」
今頃叔父上は全身から血の気が失せて、己の行いを後悔しているだろう。
地位にうぬぼれたあの男が、まさか甥ごときに反撃されるとは、思ってなどいなかったはずだ。
「そうだ、劇場に着くまでその話をしてやろう。眠れる森の美女と、ベオウルフ、どっちがいい?」
「では、両方お願いしますの、アシュレイ皇子様♪」
話しながら劇場に向かった。
ベオウルフの方は今一つだったが、眠れる森の美女の方は目を輝かせて聞いてくれた。
その後の演劇の方も悪くなかった。
シンプルなストーリーラインだったが、歌と踊りが織り交ぜられていて、女性たちが悲哀の恋物語に夢中になる気持ちがよくわかった。
それからゆっくりと時間が流れてゆき、ようやくモラク叔父上が俺たちの前に現れてくれた。
劇がクライマックスを迎えるその直前だ。
アクタヴィアは空気を読まぬ邪魔者に、らしくもなく露骨に嫌そうな目線を向けていた。
「叔父上も演劇を見に来たのか? これは奇遇だな」
ヤツは顔面を蒼白にしていた。さぞ自分の孫が大切なのだろう。
すぐにその白い顔が真っ赤な怒りの形相に染まった。
「孫に手を出したな貴様ッ! 孫を返せ、この外道がッッ!!」
「お爺さま、劇の邪魔だから黙ってっ! もうっ、こんなの恥ずかしいですわ!」
「な……お、お爺ちゃんが、必死で探しにきたのに……そんな言いぐさは……。貴様ッアシュレイッッ、私の孫を返せド外道ッッ!!」
「ああ、好きにするといい。演劇も見てみるとなかなかバカにならん」
モラク叔父上に席を譲った。
私兵を5名ほど連れていたがな。モラク叔父上も孫の前で殺し合いをするほど愚かではない。
「あらアシュレイ様、いってしまうんですの……? とってもいいところですのに……」
「続きはお爺ちゃんと見るといい。家族の大切さが身にしみるはずだ」
叔父上が固まったまま動かない。
混乱しているのだろう。まんまとしてやられて、言葉すら失っていた。
そんな叔父上の醜態を後目に、俺は劇場を去ることにした。
「これで本当の痛み分けだ。俺の仲間に手を出せば、次はどうなるかわからんぞ。……ああそれと、一つだけアンタに頼みがあった。やさしいお爺ちゃんなら聞いてくれるな?」
「この、この、怪ぶ……く、くぅぅっ……。わかった、言ってみろ……。それで今度こそ手打ちだ……」
ある方面の話がついた。
俺は劇場を立ち去り、帝立学問所に向けて歩き出した。
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到着するなり、モラク叔父上の書状を持ってプィスを呼び出した。
思わぬ来客に彼は驚いていた。けれど嬉しそうにこちらを歓迎してくれた。
「ああっ、本当にアシュレイ様です! わざわざ来てくれるなんて光栄です! あ、いえしかし……今回は、一体どういう用件で……」
「今年卒業だそうだな。なら俺のところにこないか? アンタをエリンの執政官にしたい」
通されたのはソファのある応接間だ。
言葉に彼がかしこまって、その顔色を親愛の情から、鋭く真剣なものに変えた。
「ですが、俺は皇帝陛下に嫌われることになると思います。あなたの立場が悪くなりますよ……?」
「父上なら問題ない。確かに俺の親と、アンタの祖父は対立していたかもしれんが……それは俺たちが生まれてもいない、大昔の話だ。年寄りの都合に、いつまでも付き合ってられるかバカらしい」
言いたいことをそのまま伝えると、プィスが微笑んだ。
賛成半分、反対半分といったところか。だが好意的な目だった。
「あなたは不思議な人ですね……。確かにその通りなのですけど、世の中そう簡単でもありませんよ。現実はとても厳しい」
「そうだな。だがそれより助けてくれプィス。アンタがいないと、俺はエリンに縛られてしまう。確かに俺は天領エリンを受け取ったが、それは腐敗と暴力からエリンの民を守るためだ。俺が領主となって、代官の首を変えれば、まだマシになるだろうと思った」
正直に言おう。焼かれた領館の復旧やら、雑務に時間を奪われたくない。
あの焼き討ちの被害は最小限で済んだが、しばらくは焦げ臭くて住めたもんじゃないそうだ。
ちなみに復旧費用は、やさしい叔父上の援助でどうにかなることに決まった。ついさっきな。
「だから前の代官を首にしたと。はぁ、つくづくとんでもない方だ……。短絡的ですが、その決断力は大したものですよ」
「俺にはやりたいことがある。エリンにばかり目を向けていられない。とある事情で、俺は近いうちに帝国を去らなければならない。それまでにやるべきことを、可能な限りやっておきたいのだ。頼む、俺を手伝ってくれ、プィス」
「はい、わかりました。ではこうしましょう。ゲオルグ様との私生活を、これからは赤裸々に、全て余すことなく私へ語ってく下さい」
「ゲオルグ兄上との生活か……? わからんな、それは一体なぜだ?」
なぜそこで兄上が出てくるのか。
さらにわからんことに、プィスが褐色の頬を血色良くさせていた。
どこかに興奮する要素があるらしい。さっきから眩しそうに俺を見ていた。
それを見つめ返すと、うっとりと恍惚を始めたのだから、わからん。
これはなんなのだ……?
「いいですよね、ゲオルグ様。超堅物の軍人にして美貌の貴公子。その本当の素顔は、弟を溺愛する理想の兄……」
「溺愛……? さすがにそれは、兄上を美化し過ぎではないか……?」
プィスがゲオルグ兄上を心より信奉しているのは知っていたが、ここまでとは思わなかった。
「対するアシュレイ様!」
「な、次は俺なのか……!?」
「長らく日の目を浴びることのなかった不遇の皇子! ただその信念は、ゲオルグ様に負けずとも劣らず、彼は兄の愛を受けながらも不器用に反発する!! ああっ、なんと、なんと尊い……。美しすぎて目が潰れそうだ……」
うむ。わからん……。俺はただの放蕩皇子で、そんな大それた者ではない。
プィスは俺たちの知らない、別の幻想に生きていた……。
「そうか。だが、だからなんなのだ……?」
「二人は十中八九、愛し合ってると見て、間違いありません!!」
「それは間違いだっ!! アンタッ、何を勘違いしているんだ!?」
「そう。どちらも自分の感情に素直になれないだけ……だがその胸の奥底では、兄と弟は狂おしいほどに求め合っている! ああっ、なんと美しい皇帝家の愛だ!! それを、これからはお側で、生で見られるのですね……。俺は、俺は幸せ者だ…………」
知らなかった。俺と兄上はホモだったのか。
いや、そんなわけがあるか……。
と言っても今の状態では、弁明一つも聞いてくれそうもないな……。
「わからん……わからんが、とにかく執政官をやってくれるということで、いいのだな……?」
「はい。もちろんです!」
「では任せた。モラク叔父上には、アンタに単位を出すように依頼――いや、ささやかな恫喝をしておいた。叔父上と俺の関係がこれ以上こじれん限り、卒業もできるはずだ」
「おや……モラク様に何をしたのですか……?」
そこからはいつものクールなプィスに戻った。
涼しい顔して俺に問いかける。
「ちょっとした誘拐だ」
「そうですか、誘拐ですか。まさかゲオルグ様を監禁されたのですか……?」
どうも感想が少しズレていたがな……。
反面、この前以上の好意も感じた。隠していた素を出したということは、彼に好かれているということだろう。
「それは無理だな。兄上を牢屋に入れても、牢屋が先に壊れる」
「フフフ……確かに。では了解しました。私も喜んでエリンの執政官になりましょう。ですが約束の方も、ゆめゆめ忘れないで下さいね……?」
「アンタの想像しているようなことは何もないぞ……?」
「いえお構いなく。妄想でカバーできますので」
「そうか……。わからんが、なら好きにするといい……」
「はい……アシュレイ様♪」
「うっ……。では、最初の命令だ。猫なで声は止めてくれ……」
こうして俺は天領エリンに執政官プィスを連れ帰った。
叔父上に反撃らしい動きはなく、というよりも、今さら己のやった凶行を理解したのか、ゲオルグ兄上の怒りを恐れる素振りを見せた。
元老員副議長にして、皇帝家一番の金持ちだとしても、ゲオルグ将軍だけは恐ろしいらしい。
その武勇と指揮官としての優秀さゆえに、ゲオルグという男はこの先も陰謀に巻き込まれてゆくだろう。
兄上と姉上を守りたい。その願いは俺の自由と引き替えに存在していた。
ホモォォ……