10-4 炎の館 皇子を従わせる最低の方法 - 虚栄と自己保身 -
「皇族を襲撃した時点で国家反逆罪だ。アンタはこの場で俺に処刑される。逃げても追われ続ける。だが俺が黙っていれば話は別だ。姉上を離せ、それがアンタの活路だ」
「……くっ、わ、わかった、解放する。だから約束してくれ、俺を逃がしてくれ。できれば、無罪放免に……」
騎馬兵の手から剣がだらしなく下がった。
鞘に戻さないということは、まだためらいがあるということだ。
「ああ、最初はぶっ殺したいと思ったが、姉上の命にはかえられない。約束しよう。俺をアビスの怪物と言い放ったあの言葉を、撤回するならな……」
「アシュレイ様、根に持ってたんでしゅね……」
「当然だ。俺は父上の子で、姉上の弟だ。それこそが俺の誇りだ。俺はアビスの怪物ではない。この国の皇子だ。この点はもう曲げる気はない」
「そうか、すまなかった、失言だった……。アシュレイ様、どうか、俺に寛大な処置をくれ……」
長剣が鞘に戻り、彼はアトミナ姉上をこちらに渡してくれた。
騙し討ちをするチャンスでもあったが、どうやらその気すら失われていたようだ。
姉上を保護して、駆け寄るドゥリンと一緒に眠れる皇女を抱き支えた。
「感謝する……。約束通りアンタのことは黙っておく、さあ行ってくれ」
「アシュレイ皇子、あなたのことは忘れない。俺のような悪党を――」
ところが妙なタイミングでそこに馬車が通りがかって、目前で止まった。
青鹿毛の馬たちによる、やたらと金のかかった黒塗りの馬車だ。俺はその馬車を知っていた。
「おや、そこにいるのは、アトミナ皇女と、薄汚い忌み子ではないか」
「モ、モラク様……!? なぜこちらに……!?」
これは驚いたな。てっきりさっきの――ハッちゃんが直接の雇い主だと思っていたが、彼らには面識があったようだった。
「誰だ、貴様は……。おお、なんということだ。この薄汚いクズめ、我らのアトミナ皇女を誘拐するとは、ふてぶてしいクズもいたものだな……」
「ぇ……。あ……あなたの命令だったではないですか……! これに成功したら、俺を、軍に戻してくれると言ったではないか!!」
「貴様みたいな薄汚い下民の顔など、このモラクが覚えてなどいられるか。……おい、やれ」
「ふざけるな貴様ッッ!!」
モラクが下がって、護衛の私兵が剣を抜いた。
どうやらこの男――計画が失敗したので、実行犯を切り捨てに入ったようだな。
ああ、つくづく気に入らん……。
「モラク様、ですがその、彼はどうすれば……」
「――!? あ、あんた……何を、どうして俺を……」
モラク叔父上は俺に目も向けなかった。
そこはまあ昔からそうだ。俺という忌み子を眼中に入れるのも嫌がった。
彼にとって俺は不吉な存在なのだ。
「兄の忌み子よ、何をしている?」
「後味の悪い結末など見たくない。この男は俺が捕らえた。俺の獲物だ」
「ぁ……アシュレイ、様……」
やつはそのまま馬車に戻ろうとしていたが、振り返って嫌そうに俺をようやく見た。
後ろから糸を引いて今回の事件を起こしておいて、ヤツは実行犯を口封じに殺して逃げると言うのだ。
見過ごせるわけがないだろう。
「だから殺せと言ったのだ……。必ず皇帝家を憎むようになると、俺は言ったのだ……。だというのにアイツは……怪物を、こんなになるまで、育てよって……!」
「父上の話か? ならアンタの方がよっぽど怪物だ」
「そ、そうでしゅ! アシュレイ様、やさしくて、いい人でしゅ! わ、悪いおじさんとは、違うでしゅ!」
ドゥリンの言葉が勇気をくれた。
俺が異形に生まれた事実ばかりはどうにもならない。
だからこそ後押しされると、深い安堵を感じた。
「ふんっ……呪われた忌み子よ、お前に対する評価を改めよう……。お前は一目置ける男のようだ。ゲオルグに勝ったというのも、まぐれではなさそうだ」
「だからなんだ。この男は殺らせんぞ」
「……なら好きにしろ。ソイツとエリンは、お前の好きにすればいい」
驚いたことにそれは譲歩だった。
下手を打った叔父上は、ここエリンの地から手を引くと言い出した。
だがな、それはいささか都合のいい話だろう。
「アンタは姉上をさらって、俺たちを服従させるつもりだったのだろう。よくも白々しいことを言えたものだ」
姉上をドゥリンに任せて、俺は叔父上に近付いた。
叔父の私兵に前をふさがれてしまったがな。
「ふん……どうとでも言え。私には力が要るのだ。この先の時代を生き延びるには、力が要る。勝ち馬に乗れなければ失脚し、最悪は暗殺の憂き目に遭う」
「そうだな。だから俺は父上の崩御と同時に、帝国を捨てるつもりだ。アンタもそうしたらいい」
「バカを言えッッ、忌み子の貴様と一緒にするな!! 辺境で暗殺者に怯えながら、慎ましい生活などできるか!! 俺は皇帝になったかもしれない男だぞ!! 俺が……次こそは、この俺が……ッッ」
「権力争いで死ぬよりはずっとマシだと思うがな……」
これが叔父上の本音に聞こえた。
これから激しい権力争いが始まることに怯えながらも、かつて手が届かなかった皇帝の座を夢見ている。
あの赤竜宮で孤独に生きる生活に、夢などないというのにだ。
多くの者が皇帝という地位に幻想を抱いていた。
「お前ごときとこれ以上争っても利益はない。停戦しよう。さっきも言ったが、エリンから手を引いてやる。だから今回の件はこれで終わりだ、いいな?」
「これだけ好き放題してよく言えるな……」
「ならば私と戦うのか? どうやって勝つ? 私は元老院の副議長、財力も皇帝家随一、議会には友人が山ほどいる。対するお前はなんだ、アシュレイ……」
「ただのエリンの領主だな。他にこれといった権力は持っていない。別に欲しくもないが……」
叔父上がニタリと笑う。それから馬車に上がって座席に腰掛けた。
「そういうことだ。継承権が高まろうとも雑魚は雑魚、引っ込んでいろ」
「それはアンタ次第だ」
馬車の扉が閉まり、私兵が御者席に上り、あるいは己の馬に乗った。
続いて黒い馬がいななき、最低の悪党がエリンの街から去っていった。
「ぁ……アシュ、レイ……?」
「あっ、お姉さま!」
「ぁぁ……よかった、ドゥリンちゃん……よかった……」
「それはドゥリンの言葉でしゅ! お姉さま、よかった! よかったでしゅぅぅっ!!」
姉上の意識が戻ったので、俺も隣に駆け寄った。
俺が助けた軍人崩れの方は、どうしたらいいのかすらわからず、そこに呆然と立ち尽くしている。
「ごめんなさい、途中から聞こえていたわ……。ぁぁ……これから私たち、帝国はどうなってしまうのかしら……」
姉上は安堵の次に不安にかられることになった。
事実、今回の事件は衝撃的だった。
領館の消火の方もどうにかなっているといいのだが……。
「まさか直接、私を狙ってくるなんて、思いもしなかった……。同じ親戚同士で、こんなの、悪夢よ……」
「なら姉上、父上が崩御したら俺と一緒に――」
「それは……ダメ。私は行けないわ。私は皇女、みんなより恵まれた暮らしをしたからには、国を見守る責任があるの。都合の良いときばかり逃げるなんて無理だわ」
拒まれるのは知っていたが、ショックだ……。
ジラントの言葉が正しかった。アトミナ姉上とゲオルグ兄上は、国のために命を捧げる。
俺とはまるで違う生き方を望む彼らが、俺の言葉なんかではどうやっても動かないことを知ってしまって、ただ悔しかった。
「このことはゲオルグ兄上には秘密にしよう。兄上は――」
「そうね……もしゲオルグが知ったら、あの子何をするかわからないわ……」
ゲオルグはアトミナを何よりも大切にする。
下手をしたら身の破滅を招きかねない。よって今はそうするべきだと思った。
しかしこれだけの姉上への暴挙。やはり許し難い。
モラク叔父上はこの陰謀をうやむやにして逃げたが、そうはさせない。
兄上に代わって、しっかりと代償を支払わせてやる。
感想、誤字報告ありがとうございます。
感想返し遅れてしまっていて申し訳ないです。
超天才錬金術師2巻の改稿で、時間を取られてしまっています。
ちゃんと読んでいます。楽しんでくださってありがとうございます。




