10-3 エリンを開拓しろと奇書が言う - マルドゥーク -
「おいアレ見ろよ、ありゃ新領主様だぜ。優秀なお代官様を首にした無能が、ミルクなんか飲んでるぜ、ハハハ!!」
「おお知ってる知ってる! おやさしい代官様を追い出すなんて、アイツは悪い奴に決まってるよ! 次は誰の仕事を奪い取るんだろな!」
気づけばそのまま寝ていたようだ。
夜遅くまで兄上とプィスと一緒に司法書を囲んでいたせいだろう。
はやし声に目を覚ませば、もう外がとっぷりと暗くなっていた。
このカウンターから見て後ろ側の席で、ヤクザにしか見えない粗野な男たちが俺に注目している。
向こうがご機嫌だが、こっちは寝不足もあって気だるい気分だ。もう帰って寝たい。
……そんな気持ちを抑え込んで、俺はやつらがどう動くか様子を見た。
ちなみにこの前ギルドで受付と酒を飲んだときに、ヤクザと冒険者を見分ける方法を教わった。
剣だ。剣を脅しや犯罪にしか使わないやつは短剣しか持たない。
でかい剣を腰につるしてもただ重いだけだからな。
「アイツ、帝都じゃ汚職ばっかして追い出されてきたらしいぜ」
「そうそう! あと俺はよぉ、姉と恋仲で、幼い子供まではべらせてるって聞いたぜ! なんてふしだらなやつなんだろなぁー!」
「マジかよそれ、アイツ変態だなぁ!」
「おい、黙ってないで、なんか言えよ新領主! こっち向けって! ビビッてんじゃねーぞザコが!!」
無視をして、ぬるくなったミルクの残りを飲み干して、俺は寝ぼけた頭で考えた。
ただのチンピラにしてはやり口が妙に計画的というか、バレバレの作為的だ。
エリンの領主ではいられないように、悪い噂を立てようとしている者がいると見るべきだろう。
きっとそれはモラク叔父上なのだろうな。
己の息のかかった代官を首にした、甥に対する洗礼と見るのがやはり妥当なところだ。
「お客さん……いやご領主様、今は逃げた方がいい……。あいつら、前の代官とつるんでいたやつらだ……。逃げて下さい……あなたはエリンの希望だ……」
「光栄な言葉だ。いや、むしろ店に迷惑かけてすまんな。また来る」
小声でマスターとやり取りして、俺は席から立ち上がった。
ここで感情任せに反論しても、要らぬ反感を買うだけだ。行動で示すしかない。
「やつらはこの街の人間か……?」
「いえ、最近は頻繁に見ますが、知りません。よそ者だと思います……」
ミルクの代金にチップを上乗せして酒場を出た。
やはりモラク叔父上の手の者だろうか。
それと外は思っていた以上に真っ暗だった。
「おい、余計なことすんじゃねぞ?」
「変なことしたらよー、酒場ごとテメェらを解体してやるからな!」
酒場の方ではさっきの連中が立ち上がって、さも当然のように代金を踏み倒していた。
俺の後を付けるつもりのようだ。足早に店を出てこようとしている。
しかし俺なんて尾行してどうするつもりだ。
夜歩きをする領主を脅して、立場をわからせてやろうとでも考えているのだろうか。
だが生憎、夜は俺の縄張りだ。
せっかくホタルの尻に食らいついてくれたのだから、この展開を逆手に取ってやるとしよう。
やつらに新領主アシュレイを襲撃させよう。
そこでわざと暗く人の少ない道を選び、そこからさらに屋敷までの林道に脱線すると、やつらが見せかけの好機につられて動き出した。
「領主様、止まって下さいよ。ここは通行止めですぜ?」
「ボス、予定と違いますけど、いいんですかい……」
「うるせぇっ、これはチャンスだ! やれる時にやるしかねぇ!」
その数、なんと30名弱もいた。
若造一人にかける戦力ではないな。ゲオルグに勝ったという噂を、叔父上も耳にしたのだろうか。
「散歩の邪魔をしないでくれ。俺はもう帰って寝たいのだ」
「のんきな皇子様だ……。俺の名前はハキ。マルドゥークの星のハキだ、小僧」
ハキ。どこかで聞いたような名前だった。
最近ではないな。だいぶ前だったような気がするが、思い出せん。どうでもいい名だったのかもしれん。
ところでそのハキという男は、潰れた鼻と刃を受けた唇を持つ、いかにも叩き上げの中年ヤクザだった。
周りの連中はそのハキを心底恐れているようだ。ヤツには萎縮し、俺には勝利を疑わぬ悪意を向けていた。
「そのマル星のハッちゃんがなんの用だ?」
「略すな!!」
短気だ。ちょっとした挨拶だったのにハキは怒り狂った。
唇が縦に避けている顔ですごまれると、恐怖心は感じないが客観的に見て怖い。
「俺はそのマルドゥークの星のボス、ハキだって言ってんだ!」
「そう言ってくれなきゃわからん。で、ヤクザのボスがなんの用だ?」
「はっ、さる御方があなたに立場を分からせろとおっしゃってたのよ。……痛い目にあってもらいますよ、アシュレイお坊ちゃん」
「ならば叔父上にはあきれ果てたと伝えてくれ。ここは俺の領地だ。俺の領地で好き勝手は許さん」
「お伝えしましょう。モラク様への謝罪と一緒にねぇ! てめぇらやっちめぇ!!」
「コテコテだな……」
異界の物語では、そのセリフを吐いた時点でゲームオーバーだ。
チンピラどもが好戦的に俺を取り囲んだ。続いて、第一陣が飛びかかってくる。武器無しの素手でだ。
それはスコップを一閃して返り討ちにした。
「お、親分っ、こいつ、なんかつぇぇよ!?」
「そんなこたぁわかってる!! おい、少しはやるようだな。だがよ、これならどうだ! やれてめぇら、囲んじまえ!」
「それもコテコテだ……」
今度はショートソードを持ったチンピラが俺を襲った。
しかしこいつらは数こそ多いが練度がイマイチだ。
トリッキーなスコップ使いに、敵は遊ばれるように翻弄されていった。
「なんだこいつ、ウガッッ?!!」
「うっ、ぺっぺっ……目潰しなんて汚ねぇぞお前っ!」
足下を掘ったり、土塊を顔に投げつけるのは序の口だ。数任せの連中を一人一人殴り付けて動けなくする。
敵が連携を始めると、土を真上に飛ばして一瞬のカーテンを作り、敵の視界から姿を消す。
そこから木陰に隠れて目のレンズを外した。
赤い竜の目が、月の届かぬ暗闇の世界を明るく描き出す。
暗闇の森の中を暗躍する準備がこうして整った。
「ボスッ、ヤツが見えません!」
「バカ野郎、カンテラを掲げろ! こっちの方が数は多いんだ、負けるわけがねぇだろ!」
「ヒィッ、ボスッボスッ、あそこに怪物が……アッ、アァァァッッ?!」
夜。しかも森の中という条件下では、そもそも戦いにすらならなかった。
カンテラの明かりの及ばないエリアを選んで、一人一人片付けてゆくと、まもなくして趨勢が決した。
「そ……それが噂の、モラク様が言っていた、の、呪われた竜の眼……。怪物、この怪物め……。てめぇなんかが、皇帝の子のはずが――ウガァァァァッッ?!!」
ハキをのぞく全てを戦闘不能にした。
ここで全員始末すれば反社会組織の力を大きく奪えるが、今回こいつらはモラク叔父上の命令で動いている。
下手に消すと真っ先に殺害疑惑をかけられるだろう。
「ハキ。アンタにも痛い目に遭ってもらわんとな」
「い、いい気になるなよこの化け物がっ! お、俺の組織は、こんなもんじゃねぇぞ! 全部の構成員を集めれば、てめぇなんぞ――アガッッ?!!」
スコップを薙いで、ハキの片目を潰した。
残酷な行いだと? こいつらが苦しめた弱者の代わりに俺が罰を与えただけだ。
「俺は帝国最強の男、ゲオルグの弟だ。俺を倒したければ、次は軍隊を連れてこい」
「クッ、クククッ……クカカッ、ハハハハハハハハハッッ!!」
だがハキのやつがいきなり笑い出した。
狂ったかと思ったが何かおかしい。やつは冷静で、こんな状況だというのにまだ勝利を確信していた。
「さっき、全構成員って言っただろがよ……?」
「お、親分、待ってくれ、それは……」
「どうせ間に合わねぇよ。おい小僧、イキがるんじゃねぇぞ? 今頃よぉ、別働隊がよぉ……てめぇの館を襲撃してるぜ……? 俺たちを解放しろ。でなければ、皇女殿下の安全の保障は、できねぇなぁぁぁ……? ハハハハハハハッ!!」
そこから先は無意識だ。俺はハキをスコップの刃で殴り付けて、何も疑わず、何も考えずに領館に向かって走り出した。
これが逃げるための狂言だったとしたらそれは幸運だ。しかしそうでなかったら、展開は最悪を極める。
こいつらの身柄なんて、姉上とドゥリンの無事の前にはどうだってよかった。
持ちうるAGIとVITの全てをかけて俺は走った。
俺の姉上だ。俺の姉上に害をなす者に、もう容赦などしない。




