10-3 エリンを開拓しろと奇書が言う - ドゥリンの錬金術 -
そんなこんなでな、そこから先は昼食を腹に詰めて、ついに錬金術師ドゥリンの見せ場がやってきた。
愛用の錬金釜ではなく、生活用水の貯水に使う大きな水瓶の前にドゥリンが立つと、姉上がそのお手伝いとして隣に寄り添った。
場所は室内ではなく庭だ。外の方が物資の搬入がそれだけ楽だからな。
「あのぉ……アトミナお姉さま……」
「どうしたのドゥリンちゃん? おしっこかしら?」
「ち、違うでしゅよっ!? あの……ドゥリンは、お姉さまのお側付きでしゅから、お手伝いされるわけには、いかない、ような……」
「細かいことは気にするな。姉上はエリンの民のためにやっているのだ。そうだろう姉上?」
「あらアシュレイ、何言ってるのよ? かわいいドゥリンちゃんのために、決まってるじゃないっ♪」
「は、はうぅぅ……っっ!? きょ、恐縮なのでしゅ……」
俺がせっかく出した助け船を踏み抜くな姉上……。
ドゥリンは人間に見つかってしまったリスみたいに、釜の前で縮こまってしまった。つくづく小心者だなこの子は……。
「まあ、どうにでもなるだろう。とにかくがんばれ」
「い、いきなり投げっぱなしにされたでしゅ……」
何せ俺が隣にいれば成功率+50%だからな。
手さえ動かしてくれたらどうとでもなるだろう。
「それでどうすればいいの、ドゥリンちゃん?」
「だからお姉さま……。お姉さまがドゥリンのお手伝いしたら、あべこべでしゅよ……」
「別にいいじゃない。主従以前に私たちはお友達でしょ。ほら、どうすればいいの?」
「じゃ、じゃあ……ドゥリンがかき回してましゅから、石灰を、ここに……」
こうしてドゥリンの錬金術が始まった。
釜の中に満たされた液体に錬金術の薬が加えられると、じんわりと燐光が始まる。
そこに姉上がドゥリンの持ち込んだ石灰を投入した。
ただそれだけでは少ないからな、屋敷の使用人に金を渡して琥珀と一緒に街で取り寄せてもらっている。
品質も大事だが、開拓においては物量こそ正義だ。
「恐縮でしゅけど、楽しいでゅ……♪ お姉さまと一緒に錬金術、癖になりそうでしゅ……♪」
「私もよ、ドゥリンちゃん!」
「お姉、さまっ!」
「ドゥリンちゃん!」
隙あらばどこでもイチャつくな、この二人は……。
そこに琥珀が投入されると、錬金釜もとい水瓶は蜂蜜色に強く輝いていった。
しかしそこから先はかなり難しい作業のようだ。
ドゥリンの顔付きが真剣な物になって、錬金釜との格闘を始めた。
知ってはいたが知らなかったな。ドゥリン・アンドヴァラナウトはプロだ。
「がんばって、ドゥリンちゃんがんばって!」
「は、はいでしゅ……!」
「姉上、あまりプレッシャーをかけるな……」
「だけどアシュレイ、ドゥリンちゃんががんばってるのに私、何もできてないわ……」
「おとなしくしているのが何よりもの応援だ。おっ……」
仕上がったようだ。蒸気と軽い破裂音が上がって、釜の底に土壌改良剤が完成した。
作らせておいてなんだがな。どういう物なのか全く聞いていなかったな。
それは琥珀によく似た黄色い石粒で、大きさは小麦の実のように小さい。それが釜の中にビッシリと詰まっていた。
「せ……成功しちゃったでしゅ!! ずっと、失敗ばっかりだったのに、できちゃったでしゅ!!」
「やったわドゥリンちゃん! ドゥリンちゃんは天才よっ、ちゅ~っ♪」
「ひゃっ、ひゃうわぁぁぁーっっ?!!」
いきなり頬にキスされてドゥリンが飛び上がっていた。
ん……? 頬に、キス……?
最近身近で、これと同じようなことがあったような気がするが、どうしてか思い出せん。
ただの記憶違いだろうか……。
「これが完成品か? 今さらだが具体的にどういう物なのだ?」
「あっ、それはでしゅね、てへへ……。これは、畑の属性を変えるお薬でしゅ。栽培に全然向いてない畑を、栽培しやすい属性に変えて、元気にするでしゅよ」
説明してもらっても俺にはチンプンカンプンだ。
畑に属性なんてものがあったのだな。初耳だ。
「そうか。凄いということだけわかった。これを畑に撒けばいいんだな?」
「そうでしゅけど……ちゃんとわかってましゅか……?」
「いや、わからんがそういう物ということで納得した。撒こう」
「わかってないでしゅよそれーっ!!」
「ごめんね、ドゥリンちゃん。アシュレイってこういう子だから……」
「大事なのは原理より結果だ。それより、どうやら俺が側にいると、術が成功しやすくなるようだな」
俺が離れたら成功率が50%も下がることになる。
後でそのことに落胆されても困るので、自意識過剰と言われるのを覚悟でそう言い切っておいた。
「はへ……?」
「あら……急に何言ってるのかしらこの子……。ドゥリンちゃんは成長してるって言ったでしょ。これはドゥリンちゃんの努力の結果よ!」
「あ、でも……それ、ホントかもでしゅ。こんなに難しい調合なのに、なんでか成功しちゃったでしゅ。ホントに、本当にそうなのかもしれないでしゅ。えへへ……アシュレイ様、見ていてくれて、ありがとうでしゅ! 恩返し、やっとできそうで、ドゥリンとっても嬉しいでしゅ♪」
「ドゥリンちゃんっ、いい子! なんていい子なのっ!」
「あっ、お姉さま……!」
「ドゥリンちゃん!」
ドゥリンと姉上は飽きもせずまた抱き合っていた。
「姉上、それは何回やれば気が済むんだ……」
「ふふふ……ならアシュレイもギュッとしてあげるわ♪」
うっかり余計なことを言ったらこっちに愛情が飛び火した。
姉上の温かい包容が弟を不意打ちで包み込んで、どうしたものやらとこちらを困らせてくれた。
そこから先は少し割愛しよう。使用人に頼んだ石灰と琥珀が届いた。
それを使って土壌属性改良剤が材料切れするまで、量産されてゆくのを成功率+50%補正の男は見届けた。
「さて、俺はそろそろ行こう」
「あらアシュレイ、私たちを置いてどこへ行くつもり?」
「街の酒場だ。色々と調べたいことがあってな」
「あ……それなら止めた方がいいわ……」
「なぜだ?」
「だって……一部でアシュレイの排斥運動が起きてるもの……。荒っぽいところに近づいちゃダメよ」
それは初耳だ。姉上の心配の目がこちらに向けられて、俺も少し考える。
ずいぶんと展開が早くないだろうか。
執政官を首にしたのは一昨日だ。あまりに動きが反射的だ。
「俺はまだこれといって何もしていないぞ」
「何言ってるのよ。やっぱり、執政官をいきなり首にしたからじゃないかしら……」
「アレか。アレの他にないかもしれんが、それにしたって動きが大げさだぞ。悪代官を首にしてやったのだから、むしろ感謝されると思っていたのだがな」
「アシュレイ、あなたわかっててわざと言ってるでしょう……」
「さてな。では行ってくる」
「ちょっと、お姉ちゃんが止めたのになんで危ないところに行くのよっ!?」
その不自然な動きをつかむためだ。
腹の立つ展開だがな、逆に言えば敵の尻尾をつかむチャンスでもある。火中の栗を拾いに行くとしよう。
「土壌改良剤を作った後は、実験か。悪いがそっちと姉上は任せたぞ、錬金術師ドゥリン・アンドヴァラナウト」
「あ、危ないでしゅよアシュレイ様ッ!?」
「アシュレイッ、あなた無鉄砲な弟を持つ姉の気持ちを考えたことあるっ!?」
「さあどうだろうな、酒場でゆっくり考えてみよう。とにかく行ってくる」
俺は栗を拾いに領館を出た。
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◇
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◇
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一番栄えている酒場に入ると、カウンター席に腰掛けてミルクを注文した。
聞き返されたから、もう一度ミルクをと答えると、酒場の親父は首を傾げてから素直に注文をカウンターに置いてくれた。
「変わってるねお客さん。酒の方はいいのかい?」
「今日は止めておく。五感が鈍るからな」
「そうかい。じゃあごゆっくり」
そこから先はいつもと同じやり口だ。
己自身を餌にして、悪党が俺の尻に食らいつくのを待った。
俺の悪評をわざわざ広めている連中がいる。
そいつらの前に俺が現れたら、何かしらの行動に出るだろう。
濃厚で脂肪質な牛乳を飲みながら、スコップを持った変な男はその時を待った。




