10-2 悪代官を追放したが代わりなどいない - 新しい執政官候補 -
戻るとゲオルグが怒り心頭で俺たちを待ちかまえていた。
「どこへ行っていた、アシュレイ! プィス、お前に裏切られるとは思わなかったぞ!」
「すみませんゲオルグ様……。よ、欲望に負けて、つい……」
プィスは俺の友人だ。当然ながら俺は間に身体を潜り込ませてかばった。
「プィスなら家庭教師にしてもいい。彼の授業を受ける」
「何……?」
「プィスは俺の首を縦に振らせるという、他の誰にもできないことをやってのけたのだ。凄まじいとは思えないか? 俺は憲法を覚えたぞ。一条から順番に答えてもいい」
「本当に覚えてくれたのか……!? アシュレイ、お前が、ついに……」
兄上が興奮に声をうわずらせた。
弟がちょっと真面目に勉強しただけでこの態度だ。
プィスのスパルタ教育を受けた反動か、兄上がかわいくすら見えてくる。
そうか、これがチョロインと呼ばれる定義か……。
「必ずやり遂げてみせます! 私はアシュレイ様が気に入りました! やらせて下さい!」
「そうか。そこまで言うなら……前進したというだけでも奇跡か……。わかった、引き続きアシュレイを頼む!」
「お任せ下さい!」
兄上もアトミナ姉上とそう変わらないのかもしれん。
親ばかならぬ、弟バカだった。
「しかしアシュレイ。新しい代官探しだが、やはり難航している……。叔父の影響を受けていない人間となるとな。異国から招くでもしない限り、どうにもならない気がしてきたぞ」
「ああ、それならプィスを使うというのはどうだ? 卒業していないということは、しがらみに縛られていないということだ」
「いや、それは……」
「そこは色々とあるのですよ、アシュレイ様。席を少し外しますね」
何かを察してか、プィス先生がゲオルグの部屋から退席してしまった。
ゲオルグはそんな彼の後ろ姿を、申し訳なさそうに見つめていた。
「なぜだ兄上」
「確かにプィスは有望な若者だ。だからこそしっかりと教育を受けさせたい」
「それだけとは思えん。それだけなら俺に見せたあのバインダーの中に、プィスがいてしかるべきだ。有能で、叔父上の影響を受けていないとなると、最有力候補だ」
勉強を教わっただけでわかった。あの男は優秀だ。
人の何倍も頭が良く、凡人には到底及ばない要領の良さを持っていると感じた。
「はぁ……。聞け、プィスの祖父を失脚に追い込んだのは、俺たちの父親だ。現皇帝が今の地位に就くまでに、泥沼の政治闘争があったんだ。抜擢すれば、昔の因縁を掘り返すことにもなりかねん」
何かと思えばそんな下らない理由だった。
彼が俺たちを逆恨みしているようには見えない。むしろ兄上に心酔している。それに俺たちもプィスも、新しい世代だ。
「それがおぞましい権力争いでな……。ありとあらゆる汚い手で、皇帝の子たちとそれに組みした貴族に官僚は皇帝の後釜を奪い合った。それゆえに老人たちは、自分たちの悪行をばらされるのを恐れ、歴史の闇に全てを葬ったのだ。無理に掘り返せば、とんでもないことになるぞ……」
だからこそ、プィスの出世は絶望的だということらしかった。
だがそのプィスに援助している時点で、兄上も兄上だ。説得力が全くない。
「バカらしい話だ。当事者が全て棺桶に入るまで待てと? それこそ下らん」
「なら覚えておけ、権力を持った年寄りは怖いのだ。……まあ確かに、プィスにエリンを任せれば、つつがなくやってくれるだろうな。ついでにお前の監視もできるか……」
「それを俺の前で言ってどうするんだ兄上」
「それもそうだな。そもそも彼を執政官にしたら、モラク叔父上の怒りを買う。彼の卒業は絶望的だ。やはり巻き込めん……」
俺たちの世界にはつまらんしがらみと対立が山ほどあった。
確かに一理はある。プィスのキャリアを犠牲にしてまでして、彼をエリンの執政官に抜擢するのは、乱暴で無責任でわがままだった。
「結局、モラク叔父上が全て悪いのではないか……?」
「お前は物事をシンプルに見たがるところがあるな……」
「本質を重視すると言ってくれ」
しかし惜しい。たった半日で俺に憲法を仕込むような男だ。
彼にエリンを任せることができたら、こんなに楽な話はなかった。
「それはそうとアシュレイ。その怪我をどこで負ったかのかとは聞かん。だがそれをアトミナには見せるなよ。それと爺にもだ」
「……ああ。バレているとは思わなかったな。そうだな、姉上がもしこれを見たら……ベッドに張り付けにされそうだ」
「フッ……間違いない」
俺と兄上は笑い合った。兄弟同士で同じ姉に対してあれこれと共感するのは、不思議と気分のいいことだった。
「薬を塗ってやる。終わったらプィスを戻して、俺も勉強に付き合おう」
「兄上、俺は……しみる薬は嫌いだ」
「17にもなって子供みたいなことを言うな……」
「必要性の問題だ。治る傷に薬を塗って、わざわざ痛い思いをする必要などないだろう」
「屁理屈を言っていないで傷を見せろ。化膿したら最悪死ぬぞ」
その後、拳銃による奇妙な患部を見て、兄上が心配と疑いの目線を向けてきたのは言うまでもない。