10-2 悪代官を追放したが代わりなどいない - 異界の書 -
皇子の部屋があまりに質素なので、プィス先生は最初意外そうに室内に目を向けた。
しかし本棚を見つけると別だ。子供みたいな足取りで飛び込んでいった。
「素晴らしい、本当にこんなに! どこでこんなに手に入れたのですか!?」
「買ったのではない。自分で掘ったのだ」
ところがそれだけでは意味が通じなかった。
目に付いた本を彼が開き、こちらの世界ではあり得ない鮮やかな表紙に目を奪われていた。
その気持ちはとてもよくわかる。
この世界の技術ではとてもできない色合いだ。芸術品としても極めてレベルが高い。
これと比べればこちらの世界の絵は、落書き――というのはさすがに言い過ぎか。
「美しい……。あ、ですが掘るというのは、どういう……」
「今はやってないが、これでも発掘が趣味でな。これは全部遺跡から発掘した」
「なんですって!? そんな、ならもっと掘り出すべきですよっ!」
「それなら良い考えがある。これから俺と一緒に発掘にいかないか?」
「え。あ、いや、でもそれは……」
勝利を確信した。プィス先生は迷いながらも誘いに心を引かれていた。
後はただ強く押すだけだ。同好の士であり先生である人を遊びに誘った。
「遅れは後からでも取り返せる。一緒に行こう。俺もこれで多忙でな、このチャンスを逃すとこの先はなかなかないぞ」
「それは大変ですね……。わかりました、お付き合いさせて下さい!」
しかしここでゲオルグにバレると面倒だ。
そこで脱走に慣れていた俺は、少し特殊なルートを使って宮殿を抜け出し、あの日ジラントと出会った遺跡に向かった。
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発掘を始めた。今や鉄すら断つスコップの力もあって、発掘作業が流れるようにサクサクと進んでいった。土に重さを全く感じなかった。
「不思議です……。これだけの物が眠っているのに、どうして誰もここを掘ろうとしなかったのでしょうか」
「誰も異界に興味なんてないのかもな」
「いえそうとばかり言えませんよ。異界の物品は闇では高値でやり取りされています。例えば、銃と呼ばれる物ですね。その反面、私たちみたいに芸術品に目を向ける者は少ないですが……」
銃か。あれは痛かったな……。
まだ治っていない患部に触れた。貫通はしなかったが、その際に銃弾の熱が傷口を焼いたようで、まだヒリヒリズキズキと痛む。
それでも痛みは半分だ。ジラントに再び感謝した。
「それより入り口に通じたぞ。さあ入ろう」
「はい? いえさすがに、早くないですか……?」
「そういうものだ。さあ早く!」
建物を一軒掘り当てた。
その窓を蹴り破って、プィス先生の手を引いて中へと導いた。
「おお、凄い……こんなところ初めて見ます!」
「この建物は当たりかもしれない。いかにも本を好みそうな家主だ」
カンテラの明かりで奥を照らすと、ベッドサイドに小さな本棚が置かれていた。
すぐに俺たちはお宝の前に飛び付いて、そこに収蔵されている数々の本を漁った。
「これは素晴らしい。これなんて表紙が色鮮やかで、まるで直接本に絵を描いているかのようだ!」
「同感だ。しかしこれは直接描き込んだものではないらしい。寸分違わず全く同じ表紙絵を持った本が無数に存在する。この本が書かれた異界は、とんでもない場所だぞ。これは全て印刷物なのだ」
良さそうな本が見つかった。そのページを開き文字を追う。
カンテラをベッドサイドに置いて、俺たちは本を地上に持ち帰るという発想すら忘れて、手の中の本に没頭していった。
「あの、貴方は全て読めるのですか……?」
「ああ、だいたい読める」
「なんですって!? 複雑な、この文字たちもですか!?」
「読めるぞ。必要なら今度は俺がアンタの先生になってもいい」
「おぉぉ……ぜひ教えて下さい、アシュレイ先生!」
異界の言葉は難しい。俺も最初は表紙目当てでこれを集めた。
異界の言葉は複雑で、同じような意味の言葉が20も30もあったりする。
言葉選びだけでそれだけ高度な表現ができるということでもあるが、逆に言うと、読む者の教養が無限にも等しいほどに必要となる。
「なら交互にやろう。アンタは法律、俺はこの異界語だ」
「そう来ましたか。しかしそれでは、ゲオルグ様に申し開きが……」
「だがどちらにしろ、あんな授業俺は一日としてもたんぞ。しかしアンタと本の話ができるなら、まあ悪くない。先生の授業を受けてもいい」
「……わかりました。そこはゲオルグ様と相談してみましょう」
ゲオルグ兄上の説得は可能だ。
俺が少しでも意欲を見せれば、その時点で偉大な進歩だからだな。
「話を戻そう。この本が作られた世界は教育水準がおかしいのだ。あちらには義務教育というシステムがあってな」
ついでに本から学んだ向こうの世界をプィスに語った。
義務教育の仕組みと、それがこの世界では不可能であることもだ。
「王や領主は平民が知恵を付けるのを嫌がる。教育を受けているからこそ、王であり貴族であり官僚でいられる。皆が知恵を付けてしまっては、自分の立場が危うくなる。この世界では誰もやりたがらないし、金のムダだと言って賛成もしないだろう」
その典型が奴隷荘園だ。民は畑さえ耕せばいい。知恵は特権階級が独占する。そういった思想があの法律の背後にあると俺は思う。
長い平和が貴族の力を奪い、平民に力をもたらすことになった。
荘園拡大法は、それを覆すという魂胆もあるのではないか。そのことを彼にも語った。
それから本に目を落として、字数の少ない覚えやすい漢字から彼に教えていった。
こうして生徒と教師の立場が一時的に逆転した。
真摯で聡明なプィスに文字を教えるのはなかなかバカにならない楽しみで、飛ぶように時が流れていった。
それからふと気づけば、もう夜だ。
「さて、今日は久々の大収穫だった。こんなこと稀にしかないのだが――特別だ。手に入れた本の半分をアンタにやろう」
「アシュレイ様! あなたはなんて立派な方なんでしょうか! ゲオルグ様が惚れ込むのも……あ、外がもう真っ暗になっていたんですね」
「ああ、これ以上は掘れんな。帰るか」
「また来ましょう」
「ぜひそうしよう。アンタなら大歓迎だ、プィス先生」
その後は半分ずつ本を抱えて宮殿に戻った。




