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10-2 悪代官を追放したが代わりなどいない - 領主と家庭教師 -

 俺は天領エリンの屋敷で一泊した。

 つい昨日までは、俺が首にした悪徳執政官が我が物顔で居座っていた屋敷だ。


 過ごしやすく気に入ったが、まるで貴族の屋敷のようにあれこれとムダな金がかかっていた。


「姉上、今回ばかりは甘えさせてくれ。しばらくエリンを頼む」

「ふふふ……あなた最近ゲオルグに少し似てきたかしら。昔みたいに素直に甘えてくれていいのよ」


 ゲオルグ兄上は尊敬しているが、似てきたと言われると複雑な気持ちだ。

 頑固で堅物だと言われているようなものだからな。


「子供の頃の話はよしてくれ……」

「あら、けどドゥリンも聞きたいわよね?」

「え……あ、あのあのっ……でも、アシュレイ様がとても嫌そうに、ドゥリンを暗い目で見てましゅよ……?」


 朝食はドゥリンと姉上が手配してくれた。

 エリンで穫れた卵とジャガイモ、それにパンを組み合わせた簡単な朝食だ。最後に残ったソーセージを腹に収めると、一足先に俺はテーブルを立った。


「止めてもムダなのはわかっている。せめてそれは、俺がいないときに頼む」

「わかったわ。引っ込み思案のアシュレイが、甘えん坊のお姉ちゃんっ子になってゆく姿を、ドゥリンに事細かに伝えておくわ! 行ってらっしゃい、アシュレイ。がんばってくるのよ?」


 ドゥリンも内心強い興味を覚えたようで、姉上に期待の目線を向けていた。

 女というのは、どうして二人集まるとこうなるのだろうな……。


「姉上とドゥリンをここに縛り付けるわけにもいかん。がんばるしかないさ。ではな、姉上を頼んだぞドゥリン」

「はいでしゅ! アシュレイ様には悪いでしゅけど……アトミナ様の昔話、凄く楽しみでしゅ♪」


 姉上に何を掘り返されてしまうやら。

 ドゥリンの俺に対する評価が変わったりしたら困るな……。


「あっ、ハンカチは持ったかしら? お財布は? それと帝都まで2、3時間もかかるのだから、ちゃんと食べ物も――」

「姉上、俺はもう子供じゃない。ハンカチがなくても袖で手を拭く。それが庶民だ」


「少し待ってて、私すぐに取ってくるわ!」

「あっ、お姉さまっ、ドゥリンも手伝うでしゅ!」


 まだ20代でこれだ。このまま中年になったら、姉上はどれだけ話を聞かないオバちゃんになるのだろうな……。

 こんなにやさしい姉上が世継ぎ争いに巻き込まれて非業の死を迎えぬように、今できることをしようと心に決めた。



 ◆

 ◇

 ◆

 ◇

 ◆



 乗り合い馬車の待ち時間を含めて3時間半かけて帝都に戻ると、もう時刻は昼前だ。

 軍駐屯地に立ち寄ってゲオルグ兄上の居所を聞けば、今日は宮殿にこもっていると聞かされた。


 宮殿に上った。ゲオルグ兄上の居室を訪れると、俺が来ると予想していたらしい。ブロンドの皇子様が、落ち着き払った様子で黒檀の書斎から顔を上げた。


「来ると思っていた。エリンの代官を首にしたそうだな……」

「ああそうだ」


 兄上は俺にあきれてなどいなかった。

 落ち着き払った様子で弟を見て、それから少し困ったような複雑な表情を浮かべた。


「ならば代わりが必要だな。アトミナがこちらにいないと静かでいいが……。静かになり過ぎるのも、困りものか」

「素直に姉上が恋しいと言えばいいだろう……」


「口が裂けても言えん。舞い上がってやかましくなるのが見えているからな」

「だがそれは俺たちがひねくれているだけで、姉上の感性が正しいのかもしれんぞ。いや、今朝な、兄上に似てきたと言われて、少しな……」


 兄上は微かな笑顔を浮かべて弟の言葉を喜んだ。

 それからいかにもアトミナ姉上が言いそうな言葉だと、また笑った。


「俺たちは兄と弟だ。似ていて当然だと言ってやれ。……さて、これを見ろ」


 ゲオルグからバインダーを渡された。

 何かと思えばそれは人の経歴をまとめたお堅いリストだ。


「簡単に見繕っておいた。その中に気になる人物はいるか?」


 即答を選ばすページをめくった。

 兄上は全部で20名弱もリストアップしてくれていた。


「全て王立学問所の所属だな……。ん、わざわざまとめてくれて悪いが、これといってピンとくる人間はいないようだ。たかが書類だがな」

「仕方なかろう。モラク叔父上の役職は元老院副議長。教育・官僚庁長官。王立学問所校長。つまり官僚と学者の全てが、モラク叔父上の影響を強く受けている」


「そうなのか? それは困ったな。なら無計画に首にするんじゃなかったか……」

「ああ。もしモラク叔父上の影響力を領地から排除したいなら、王立学問所以外から抜擢しなければならない。探すのは容易ではないぞ。下手を打ったな」


 叔父上の権力は俺が知るよりずっと大きかった。

 兄上の話によると、叔父上は王立学問所校長としての地位を使って、卒業生に役職を斡旋する見返りに、自分の派閥に抱き込んでいるそうだ。


「兄上の力でどうにかならないのか……?」

「無理だ。俺は軍人に顔は利いても、文官となるとどうにもならん」


 バインダーの中をもう一度読み返して、それをゲオルグの書斎に戻した。

 俺の代わりに領地を運営してくれる人間を必要としているのだ。


 俺の目の届かないところで、叔父上と政商ヒャマールのセコい商売に荷担するかもわからない者を、執政官になどできん。

 こうなればどうにか、別の方法で探すしかなさそうだ。


 ところがその時、部屋にノックが鳴り響いた。


「ゲオルグ様、プィスです」

「おお、よく来てくれた! 弟ならちょうどここ来ている、さあ入ってくれ!」


 兄上の歓迎を受けて部屋にやってきたのは、いやにやせ細った青年だった。

 帝国では珍しい浅黒い肌の男で、俺より2つか3つ年上にも見えた。


「お仕事中、失礼します。アシュレイ様ですね、驚かれるかもしれませんが、私の方は貴方をよく存じております。お会いできて光栄です」

「ああ……よろしく」


 年上のお兄さんに積極的な好意を向けられて、俺の方は少し困った。

 兄上の知り合いにしては細い。どう見たって軍人ではなさそうだった。


「プィス、今すぐ頼めるか?」

「はい、そのつもりで参りました。責任持ってお預かりします」


「そうかっ。では手が焼けるとは思うが、俺の弟を頼む」

「なんの話だ。おい兄上、人を置いてどこに行く……っ!?」


 話が見えん。俺はこのプィスに何をされるのだ。

 兄上がプィスの肩を叩き、入り口の扉に手をかけた。


「彼はプィス・ダヴィド。お前の家庭教師だ。プィス、任せたぞ」

「はい、お任せを。いってらっしゃいませ、ゲオルグ様」


 鮮やかなバトンタッチに抗議の言葉すら忘れた。

 我に返った頃には入り口に鍵がかけられて、痩身褐色肌のプィスが俺の前にやってきていた。


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