10-1 インターミッションだと邪竜が言う
前章のあらすじ
アシュレイが父親との和解を果たしたその翌日、彼はVIT+100の恩恵を求めて、広大な帝都を再び歩き出した。
ところが彼はひょんなことから、白狼の獣人のヤツフサ・シュリアを悪漢から守ることになった。
彼女は奴隷組織から逃げてきたという。
そこでアシュレイは彼女を宿に隠して、より詳しい話を聞いた。
人身売買組織の名は「昨日の風」。帝国の恥でしかないこの組織をアシュレイは潰すことに決める。
黒角のシグルーンに協力を仰ぎ、獣人ヤシュと共に力を遭わせて囮作戦を行う。
これにより組織のボスの居場所と、さらわれた獣人たちの監禁場所を特定した。
アシュレイは次に獣人の国カーハの大使に渡りを付けた。
大使ベガルが信用できる男であると判別すると、アシュレイは奴隷組織から奴隷を奪い返すと計画を伝える。獣人たちの故郷までの護送を彼に任せた。
やがて作戦決行の時がきた。アシュレイの作った地下トンネルから、オークション会場の下に隠された獣人たちをシグルーンとヤシュが救出する。
無事脱出に成功すると、シグルーンは気まぐれにも獣人の護送に加わって、遥か南方へと旅立っていった。
一方のアシュレイは「昨日の風」のボスの首と、帳簿、組織の金を狙う。
宝物庫から莫大な金を盗むと、組織のボスを襲撃した。
帳簿を手にする際に銃撃を受けることになったが、ついに金、ボスの首、帳簿、商品の全てを奪うことで、組織壊滅の条件を整えた。
ところが帳簿には皇太子である長兄フェンリートの名があった。
弟アシュレイは心より失望し、帝国の未来が深い闇に包まれていたことを知った。
それから天領エリンの地にて、アシュレイは領主として式典に参加した。
その式典の際、新領主アシュレイは悪徳商人ヒャマールと結託するエリンの執政官を首にする。
式典の席には、母国に旅立ったはずの白狼のヤシュの姿があった。
ヤシュは大使見習いとして、同じような目に遭う仲間のために帝国に残る決断をした。
その愛らしい姿ゆえに、アトミナ皇女の力強い包容を受けてグッタリもした。
こうしてエリンの地に、新領主アシュレイ・グノース・ウルゴスが生まれた。
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エリン動乱
放蕩皇子の家庭教師と皇帝家の避けられない宿命
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10-1 インターミッションだと邪竜が言う
南国の赤い花が紺碧の空を背にそよいでいた。
そこはあの楽園だ。大輪の花の向こう側で、白い積乱雲が風に流されてゆく。
ゆっくりと、まるで本当は世界の時間が止まっているかのように、ジラントの世界にいつまでも漂っていた。
「またここか……。ここは、つくづく現実感のある夢だな……」
夢なら夢という感覚があるはずだった。夢見る者は知っているのだ。それが夢であることを、精神の奥深くでな。それがどうもないから困っている……。
それと今日の楽園は少し暑い。蒸れるのでグローブを外して、己の白い腕を見つめた。
俺もそうだが、ジラントには謎と秘密が多すぎると思った。
しかしそうしていると、ふいにそのジラントの姿が恋しくなったのか、俺は辺りを無意識に見回していた。
この世界には彼女と俺しかいない。いや、俺が現実で悪戦苦闘している間、ジラントは誰もいない世界からこちらを覗いているのだろうか……。
想像力を働かせるとあの少し幼さの残る外見もあって、微かに胸が痛んだ。いや、アレはそんなたまではないと思うがな……。
「目覚めたか。さ、ここに座れ」
「あの派手な円卓は使わんのか? あれを使わずそこに座るというのは、アベコベなのではないか?」
いつもの場所を探して楽園を進むと、ジラントが白砂の湖畔に足を投げ出して座り込んでいた。
その隣に座れと彼女が言うのだ。正体があの巨大な竜でなければ、男に対して無防備というか、危なっかしい印象を覚えたかもしれん。
「アレはもう座りすぎて飽きたわ。それにそなたと話すならば、こちらの方がずっとよい」
「そこは素直に同意しよう。仰々しいのは俺には合わん」
砂浜に腰を落とした。それは湖だからな、波も磯の匂いもない。
弱い風が水面を波打たせるくらいで、ナグルファル港を知る俺からすればずいぶん静かに感じられた。
「獣人を救ったな」
「ああ。まさか帝国であんなことが行われていたなんて、この国には心底失望した」
「だがそなたは救ったではないか。危険を承知で悪党の根城に忍び込み、ボスの首を取った」
「そうするべきだと思ったからだ。うっ……!?」
「こうして傷を負ってしまったがな。オートマチック式の拳銃か。よくもこの世界まで、無事に流れてきたものだ」
「わかってるなら触るな……。ああ、ところで俺が受けていた弾は、あれは欠陥品だったのか?」
己の胸を見れば、銃弾が胸にめり込んだ際の負傷がある。
これが夢なら意地悪な夢だ。傷と痛みくらい忘れさせてくれてもいいだろうに。
「本物だ。そなたが好きな異界の物語のように、当たれば身体の内部に入り込まれ、内臓と筋肉をズタズタにされて死ぬ」
「そうか。うっ……お、おいっ!?」
ところが誰も予想しない展開になった。
ジラントが俺の服をまくり上げて、何を考えているのかわからんが唇を近づけたのだ。
「暴れるな」
「アンタ何を考えて――」
ひんやりとした何かが傷口に吹きかけられた。
すると不思議だ。あの夜からずっと俺を悩ませていた苦痛が魔法のように薄れていった。
「少しの間だけ、苦痛の半分を我が肩代わりしてやった。これは痛いな。痛かったな、アシュレイ」
「な……なんて女だ……。前々から言おうと思っていたが、アンタのどこが邪竜だ。アンタは、俺の心をかき乱すのがあまりに上手過ぎるぞ。全く、してやられた……」
ジラントの気まぐれなやさしさに俺は絆されかけた。
人の痛みの半分を肩代わりしようだなんて、アンタは聖女か。邪竜の行いではないぞ。強い尊敬すら覚えてしまったではないか……。
「ククク……全て嘘かもしれんぞ? そなたに付け入るためのな」
「ならムダなことをしたな、もう付け入られている。……ありがとうジラント。ここまでされると、己の身体を大切にしようという気にもなる」
己を妖艶だと思いこんでいる少女が妖しく微笑むと、彼女は湖水に目を向けた。
「獣人は優れた種族だ。自然や他者との調和という理想を実現した種だ。全ての者が獣人に生まれていたら、穏やかで平和な世界となっただろう。……よくぞ、誇りを忘れずに彼らを助けてくれたな。偉いぞアシュレイ」
「ただアレが恥ずべき行いだと思っただけだ」
「うむ。その調子で天領エリンの開拓に勤しむがよいぞ」
「その話か。それは断る」
「断る……? あそこは既にそなたの領地だぞ。動乱が起きた際に、最も早く都に入れる特別な地だぞ」
「だからなんだ。俺の本分は為政者じゃない、道楽家だ。それに頭を使うのは苦手だ。領主なんて向いていない」
父上がなぜあの地を俺に与えようとしたのか、いまだに真意が読めない。
再び繰り返すが、やはり病床にある父上の発想とは思えなかった。
「そうだな、まあそれもいいだろう。誰にでも、得手不得手があるのだからな」
「皇帝になれと繰り返すくせによく言う」
「おかしくなどないぞ。皇帝とは国の器だ。自らが政治を行う必要はない。言わば皇帝に必要なのは政治能力ではなく、人々をまとめる力だ。それがそなたにはあるのだ、アシュレイよ」
「そうか。俺には難しい話はわからん」
言っている意味はわかるが、小難しい話は好きではないので突っぱねた。
水面下で対立する諸侯や有力者を取りまとめ、秩序をもたらすのが皇帝の仕事だと言うならば、皇帝になんて好んでなるもんじゃない。
「そなたはいつもそうだ。そうやって都合が悪くなると無学なふりをする」
「実際無学だ」
「フ……まだまだお子様だな。おおそうだ、執政官を首にしたな。あれも面白い寸劇だったが……だが、代わりはどうするつもりだ?」
「そっちは兄上を頼ろうと思う。それまでは悪いが、姉上にここを任せる」
姉上は公爵婦人だ。ジェイクリーザス義兄さんの隣で領地運営を補佐していた。
姉上に甘えるようで情けないが、緊急措置としてはベターな配役だった。
「良いと思うぞ。皇女様にも公務以外の仕事が必要だからな。やらせておけば気も晴れよう」
「そうやって人の心を見透かしてばかりいると、嫌われるぞ」
「そなたが我を嫌わん限り、全てどうでもいい」
「なら教えてやろう。そういうのを愛が重いと言うのだ。……さて、では決まりだ。これから新しい執政官を探し、これによりエリンから悪徳ヒャマール商会とモラク叔父上の影響力を排除する」
痛みを半分肩代わりしてもらったせいか、再び眠気が俺の思考力を奪いつつあった。
現実感で満ち満ちていた楽園の高い青空と、ギラギラとする雲がまるで幻めいて見える。
「なんだ、もう行ってしまうか……うむ、では楽しみにしているぞ。いつでも我はそなたを見ている。迷うな、己の信念を貫け」
「わかった。アンタにそそのかされるがままに動くとしよう」
「それでよい。それと……褒美を与えていなかったな。目を閉じろ」
「言われなくとも、もう眠い……」
逆らう理由もない。目を閉じて睡魔に身をゆだねた。
邪竜ジラントは神聖な存在なのかもしれない。痛みが半分やわらいだ俺はなんとなくそう思った。
「偉いぞ、アシュレイ。よくぞヤシュたちを救った。よくぞ悪に天罰を下した。皆そなたに感謝している。偉いぞ。偉いぞアシュレイ。良い子だ、良い子だ。お前は偉い」
あやすように何かが俺を包み込み、やわらかくみずみずしい感触が頬に触れた。
もはや形にもならない意識は、最後にただこう思った。
ジラントに選ばれて良かった。
半分になった痛みが、俺とやさしい邪竜を結びつけていた。
半分になった痛みが、喜びとなって俺を苛めた。
別の作品に誤投稿していました。
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