2-4 バカでかい帝都を5周回れと奇書が無茶振りする - 姉上と尿瓶 -
「うっ……?!」
2日目。ベッドから起き上がろうとしたところ、身体が錆び付いたブリキのように起床を拒んだ。
特に膝から下をほんのわずかでも動かそうとすると、ついうめき声を漏らしてしまうほどの鈍重な痛みが走った。
朝日と呼ぶには日射しがずいぶんと高い。
壁紙も貼られていない石造りの居室に暖色の日光が降り注いでいた。
元々ここは下士官用の部屋だったそうだ。ベッドに机とイス、簡素な本棚を2つ置けばもう室内はいっぱいだ。
しかし俺はこの質素さが気に入っている。他の皇族がどう思うかは知らんがな、広くて華美なら良いというわけではない。
「ぐっ……ぅっ、うぐぁっ……?!」
さてまずは身を起こして、どうにかそこから床に立ち上がろうとした。
しかし結果はこの通りだ。足腰の踏ん張りがまるで利かず、俺は冷たくてでこぼこの石床に情けなくも倒れ込んでいた。
それからしばらく立ち上がるのにも難儀した。
ところがそうしていると、いきなりアトミナ姉上が俺の部屋に押し入ってきた。
「アシュレイ……? ちょっとっ大丈夫アシュレイッ、どうしたのどこか痛いのっ、ねぇっ!?」
うめき声を聞かれたのかもしれん。美しい姉上を見上げれば心配のあまりか涙目になっている。
小さな罪悪感を覚えた、姉上はいつだってやさし過ぎるのだ。
「いきなり泣かないでくれ姉上。見ての通りただの筋肉痛だ」
「まさかまたゲオルグなのッ!? もうっあの子ったらっ、昔はお姉ちゃんの言うことなら何でも聞いたのに……っ」
「違う。それにあまりゲオルグ兄上を悪く言わんでくれ」
「だけどぉ……こんなの、厳しすぎるわ……」
姉上の介護を受けて俺はベッドに腰掛けた。
ままならないのは膝から下で、他は元気だ。アトミナ姉上が隣に座る。
「今日という今日はゲオルグに厳しく言っておくわ!」
「姉上、それは誤解だ。爺から聞かなかったか? また俺が帝都に抜け出したと。って待て姉上ッ、何をする気だッッ!?!」
既婚者だ、姉上は症状と原因をすぐに見抜いてベッドから石床に座り直した。
桃色の美しいドレスに砂埃が付くことなどまるでいとわず、俺の右ふとももを抱える。
「ドレスが汚れて――うっ……」
「アシュレイ……ヤダ、こんなになってるわ」
「あ、ああ……帝都を3/4周したからな。うっうぐ……っ、姉上……ッ」
「そんな嘘でしょ……そんなのゲオルグだって真似できないわ」
どうだろうな、あの人なら平然とやってのけそうなところがある。
姉上の指先がいたわるように筋肉を揉みほぐしてゆくと、少しずつだが足が楽になっていった。
「それがやってみると楽しいのだ。普段見ることのない城壁の内側を回ると、色々と別の光景が見れてな。それに屋台料理も美味かった」
「あっ! アシュレイッ爺やから聞いたわ、昨日夕ご飯食べないで寝ちゃったそうじゃない!」
何でそんなことまで知ってるんだ、と突っ込むのは止めておいた。
姉上に限ってはいつものことだ。本当に血が繋がってるかすら疑わしい俺を、弟として大事にしてくれている。
「ああ、そもそも自分で部屋に戻った記憶が無い」
「もうっ本当にしょうがない子……。待っててね、今お姉ちゃんが作ってきてあげるからねっ!」
「いや気持ちは嬉しいが、姉上にだって公務が――」
「そんなの関係ないわっ、だって家族の一大事だもの! 待ってねアシュレイ!」
するとアトミナ姉上がウサギのように飛び上がる。
もう片方の足もバランス良くほぐしてもらいたかったんだがな、そう言おうかと思った頃にはもう部屋からいなくなっていた。
◆
◇
◆
今日はどうにもならん。諦めて俺はベッドに寝そべり姉上を待った。ところでふと気になって例の書に目を通してみる。
――――――――――――――
- 探索 -
【帝都を5周しろ】(残り4+1/4周)
・達成報酬 VIT+50
・『姉であり人妻であることを忘れるなよ、弟殿』
――――――――――――――
クソ、さっきのも見られてたのか……。
のぞき見好きの邪竜の書を枕元の簡易本棚に戻した。いっそ見るに堪えないものを本当に見せてやるべきなのか……。
「ただいまアシュレイッ、お姉ちゃんのご飯よっ!」
「姉上、本当にすまないな。俺がこんな身体じゃなかったら」
異界のお約束ではこの後に『それは言わない約束よ、おとっつぁん』と返しが続くそうだ。
この手のお約束というものは翻訳者泣かせだ。
「いいのよ、アシュレイのお世話ができるだけで、お姉ちゃん幸せよ。はい起きて……あーんっ♪」
「ダメだ姉上、旦那さんに見られたら誤解される……」
「いいからあーんして!」
姉上もゲオルグ兄上も方向性が違うだけで同じ頑固者だ。
肉団子とキャベツ、タマネギのスープを開かれた弟の口にやさしく入れてくれた。
「ところで姉上、妙な具材が浮いている……」
「何も聞かずに食べなさい。はい、あーんっ♪」
「いや、それは抵抗が……んっんむぐっ……?!」
銀のスプーンが得体の知れない肉を俺の口に押し込んだ。
肉団子ではない。丸くコリコリとした食感で、お世辞にも美味いとは思えん部位だった。
「姉上、今俺は何を食わされたのだ……」
「元気になれる特別な珍味よ。はい、あーんして、あーん♪」
スープにはスライスしていないニンニクの塊が4つも入っていた。
こんなに食わされたら胃がおかしくなるのではないか……。
「上半身は普通に動く。だからこういう介護は――」
「あーんしなさい、アシュレイ」
「だが……」
「これはお姉ちゃんの命令よ! あーんっ♪」
しかしやさしい姉上の笑顔を見てしまうと、とても断れそうもなかった。
それから一人で食うよりスローな昼食が進んだ。
俺がもう食えないとギブアップすると、姉上は当然のようにマッサージの方を再開してくれた。
いや、そこまでは良かったんだがな……。
「姉上……それは、それはダメだ、頼む止めてくれ……」
「姉弟だから平気よ。はい、どうぞズボンを下ろしてね?」
「いいやっ、こんな現場ゲオルグ兄上に見られたら俺は殺されるっ!!」
「いいからズボン下ろしてここにしなさい。お姉ちゃんの命令よ!」
献身的なマッサージに膝から下がようやく動くようになると、あろうことか今度は尿瓶を持ってきた……。
陶器製の特徴的なその入り口に、いたせとアトミナ皇女はおっしゃる。そればかりは無理だ。
「もう勘弁してくれ姉上!」
「ダメよ! 姉弟なのに変な壁作らないで!」
「男と女の間に壁があるのは自然なことだ!」
「そんなっ、弟の看病をしたいお姉ちゃんの気持ちっ、どうして理解してくれないのよぉっ!」
ジラントよ……見てて面白いか?
笑ってるのか、呆れてるのか、それとも思わぬ勘違いに発展しないかと期待しているのか?
しかし残念だったな、そのとき部屋の扉が丁寧にノックされていた。
「いらっしゃいますなアシュレイ様、入りますぞ」
「ああ早く入ってくれ爺!」
「もうっ……もうちょっとだったのにぃ……」
姉上、それはどういう意味なのだ……。
爺が現れる前に彼女が尿瓶を隠し、元の麗しい皇女様に戻っていた。
「おやアトミナ様、アシュレイ様に昼食を?」
「ええ、大事な弟のためですもの」
「おぉぉぉ……おやさしやおやさしや、アトミナ様……っ。これからもアシュレイ様をどうか見守ってやって下さいませ。爺はもう、不憫で、不憫で……うっ、ううっ……」
「任せて爺や、アシュレイは姉の私が守るわ」
「止めてくれ辛気くさい……。ところで爺、それは?」
当然かもしれんが過保護な爺と姉上は気が合った。
そこで妙な話題になる前に、爺が抱えたバスケットを指さす。
ちなみに山芋の差し入れは大成功だったようだ、目に見えて今日の爺は明るく笑顔が多かった。
「こ、これでございますか……。その、ただの差し入れでございます」
アトミナ姉上がバスケットを受け取り、かけられた布をどける。
すると中には干し肉と貼り薬がギッシリ詰め込まれていた。臭いの強い薬と、食品を一緒に入れるところからして無頓着な印象がする。
「あら気が利くわね爺や!」
「え、いや、まあアシュレイ様のためでございますから、はい……」
老小姓はどこか挙動不審だった。しかし姉上は貼り薬を喜んで取り出して、俺をベッドに寝そべらせる。
それから爺と一緒に脚部を中心に処置をしてくれた。
「助かりましたぞアトミナ様、こういうのは腰にきましてなぁ」
「あら、なら少し余ったことだし、爺やの背中にも貼りましょうか」
「い、いえそういうわけには! ああっそれよりアシュレイ様、帝都で何をされているのですかな!? 昨日は山芋に騙されましたが、こんな状態になるまで何をされているのですか!」
「歩いてるのだ」
「はぁぁっ?! それでは答えになっておりませんぞっ!?」
「いやそれが答えだ。ただ帝都を歩くのが今回の目的なんだ」
ジラントの書に操られるだけでは不本意だ。
本を介して見つけた楽しみを、ただ満喫しているだけだと俺は爺に弁解した。
簡単でも全然いいのでそろそろ感想が欲しいです
本日は後でもう1話更新します