9-8 蛍と女豪傑は白狼で風を釣るそうだ - 揚げ物と狼 -
太陽が斜陽を迎えて空が黄金から紫へと姿を変え始めた頃、目覚めたホタルさんは床より身を起こして、目前のベッドに横たわる白狼と女豪傑を叩き起こすことにした。
ちなみにこれは至極どうでもいいことなのだが、そのベッドの上にあったあられもない情景に、つい俺は眉をしかめることになっていた。
シグルーンの今にも服からこぼれ落ちそうなアレがだな……。ヤシュの顔面にムッチリとやわらかに押し付けられていたのだ。
おまけにどちらも競うように大きな寝息を立てて、それはもう無防備な素顔をさらしてくれていた。
こうして眠っている限りでは、その神秘的な黒い角もあってなのか、シグルーンがまるで女神のように見える瞬間もあった。
だがそんなものは幻想だ。豪傑の引き締まった尻を足で揺すって、このままでは深夜まで熟睡しかねない連中をどうにかして起こした。
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◇
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宿を出る時だけヤシュにフードローブをかぶせた。
囮作戦を行うにしても、わざわざ隠れ家を敵にバラす理由などないからな。
「~~♪ わふふ、わふーん♪」
「うむっ、良き夕暮れよ! これより始まる炎の宴に拙者はワクワクが止まらん! 高ぶるぞ!」
そこから冒険者の街を出て、赤の大通りに入る直前に今度はローブを脱がせた。
つまりだ。スコップ男と、乳のでかい女冒険者が、白狼の獣人を引き連れて日暮れ前の往来を闊歩したのだ。
「余計なことを言うな。こう人が多いと誰に聞かれてるかもわからんぞ」
「わははっ細かいことを気にするやつよっ。おっ、ヤシュよ、あそこで焼き鳥を売っているぞ、拙者が奢ってやる!」
「う……いや、その、ネギ系だけはちょっと……」
「狼の獣人にネギ付きの肉を勧めるやつがいるかっ!!」
わざと大きな声でツッコミを入れて、ここに脱走者ヤシュがいることをアピールしてみた。
ヤシュは言わば釣り餌だ。ヤシュを餌にして追っ手の人さらいどもを誘い出し、獣人たちの監禁先などを吐かせる。
「なんだ焼き鳥はダメかぁ。ならフライドチキンにしようっ、少しそこで待っていろ!」
「ワフゥッ、フライドチキンかキャンッ♪ 待ちますっ、私いくらでも待ちますキャン!!」
「アンタ、目的を忘れては――おい、シグルーンッ!」
肝心の目的が早くも、食い歩きにすり替わっていやしないだろうか……。
こちらが忠告する間もない恐るべきフットワークで、シグルーンがチキン屋へと飛び込んでいった。
「チキン好きだキャン。チッキンッ、チッキンッ、今とっても幸せだキャーン♪」
ヤシュまで目的を忘れているように見えた。
しかし緊張されたり、不自然な行動を取られるよりはいいだろうか。けして油断せずに、油断した振りを――しているのだと思うことにしよう……。
「よし待たせたなっ、さあ食いながら行こう! ワンコはドラムとサイどっちがいい!?」
「サイでお願いしますキャン。骨なんて獣人の敵じゃないですキャン。はむっ……うっ、うあっ、これ、完璧です、美味すぎですキャン♪♪」
店に入ったかと思えばもう出てきたぞ……。
いくらなんでも早すぎる。奪ってきたのではないかと疑いたくなるほどだ……。
「なんだその目は、さあ食え! 今回は拙者の奢りだ!」
「タヌキに化かされているような気分だ……」
「タヌキ、化かす? なんだそれは?」
「異界の言葉だ。その世界ではタヌキやキツネが魔法の力を持っていると、まことしやかに信じられているようだ」
「タヌキは臭くて美味くないぞ」
「シグルーン様、脂を取り除けばいいのキャン。そしたら美味しいんだキャン」
「おおっ、詳しいな! ならば今度また捕まえてみるとしよう」
「なぜ肉の話になるんだ……」
タヌキの肉より人さらいだ。シグルーンから食いやすいドラム肉を受け取って、俺は我先に往来を進む。
目立つ、という目的においてはこの上なく順調であった。
いささか目立ちすぎのような気もするがな……。釣り竿に獲物がかからんよりはまあ、ずっとマシだろう。
「待てシンザ……」
「――! 現れたのか……?」
「いや、まだ骨に肉が付いているぞ。それを捨てるなどとんでもないことだ……」
「全くですキャン! いただきますですキャン♪」
シグルーンの抱える紙袋に、食べ終わったドラムを戻そうとしたらこれだ。
身に覚えのない文句を言われて、さらにヤシュに骨をふんだくられた。
往来のまっただ中で、白狼の獣人がだらしない顔してとろけてゆく……。
長い舌で食い残しの骨を舐め回して、関節部分にかじり付いて外し、ごくわずかに残っていた肉や衣を綺麗に平らげていった。
「自分でもあまり上品な方ではないと思っていたのだが――頼む止めてくれ。人前で、なんて恥ずかしいことをするのだ……」
「だってもったいないキャン! こんなに食べれるところ残ってるのに、捨てるなんて信じられないキャン!」
「ハハハッ、シンザは変なところがお上品だからなぁ~! ほれほれ~、これも苦手だろぅ~♪」
指先の脂を拭おうとしたところで、突然シグルーンがくっついてきた。
具体的には俺の二の腕にまたあの乳を押し付けて、どうやら俺の青年らしい反応を楽しんでいるようだった。
「シグルーン……恥ずかしいから、止めてくれ……いや、止めろ。こういうのは人前ですることではない」
「赤くなってるキャン! ガツガツ……ぱぁぁぁっ♪ チキン美味しいですキャ~ン……♪」
振りほどきたくなる気持ちを堪えて、シグルーンの悪ノリに冷たく抗議した。
確かに目立つのが作戦の第一段階だ。だが、人に恥をさらす必要がどこにある……。
「うむ、やはりどことなく育ちの良さを感じさせるな。金持ちの息子か、貴族のせがれか。そんなやつが冒険者家業をやりたがるとはな、ハハハッ、酔狂なやつめ」
「そ……そうだったのかキャンッ!?」
「いいや、俺は何者でもない。俺はただの――ただの遊び人のシンザだ」
お上品と言われては強引に振りほどく他にない。
俺はそれでもへばりつくおっぱいお化けを引きはがして、再び彼女たちの前を歩いた。
「む。おい……」
「今度はなんだ……」
「あそこの路地がいいな、あそこを曲がれ。どうやら餌に喰いついたようだぞ……」
「ヒ、ヒャゥ……ッ」
これだけ大騒ぎすればそうだろうとも。
白狼の獣人ともなれば、どれだけの大金で取引されたのやら考えたくもない。敵は血眼になってヤシュを追っていたはずだ。
「数は……?」
「ガタイの良いのが混じっているが、それも訓練されていない雑魚だな」
「答えになっていない」
「路地に入ったらお前たちはそのまま歩け。拙者はやつらの後ろに回る」
「ヒャン……早く戻ってきて下さいですヒャン、シグルーン様……」
足音でごった返す大通りから外れて、俺たちは店も家もない裏路地に入った。
するとシグルーンが音もなく走り出し、少し先にある別の路地に身を隠していた。
「安心しろヤシュ。俺はともかく、シグルーンは本物だ」
「わぅ……お、お任せしますキャン……」
これも仲間を助けるため、とでも覚悟を決めたのだろう。
怯えていたヤシュが気丈にも落ち着きを取り戻した。獣人の秀でた身体能力があれば、チンピラなど恐れる必要もないと思うのだがな……。
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また、皆様のおかげで最近ファンタジー日間にお邪魔できています。本当にありがとうございます。
超天才錬金術の改稿が一段落したので、感想返し等、滞っていた活動を再開いたします。