9-5 昨日の風 - 獣の枷 -
「無理だヒャン……我々はゆるいヒャン……」
「そうなのか。しかし獣人とは面白い種族だな。それで、帝都に連れて来られた後はどうなった?」
組織について知りたいが、そこから直接入ると不必要に警戒されるだろう。
たまたま出会った相手が悪党を地に屠って回る怪物だとは、誰だって知りたくもないだろうからな。
「どれー、オークション? に出るはずだったキャン。でも、私だけその前に売り手が決まったヒャン……仲間たちとは、それっきりだヒャン……」
「そうか、それは心配だな……」
「なんで私だけ、こうなったヒャン……」
「それは俺にもわかる。アンタは綺麗だ」
「ゲフッッ!? ケホッケホッ、ァゥゥー……。いきなりとんでもないことっ、言うなヒャン! 殺す気かヒャン!」
「そうか? その白い毛並みは、美しいとしか言いようがない。それに狼は俺たち人間にとって特別な存在だからな、白狼であるアンタに惹かれるのは当然だ。……おい、なぜテーブルの下に隠れる」
また余計なことを言っていたのだろうか。
何が悪かったのやら、白狼のヤシュはテーブルの下でモジモジと丸くなってしまった。
「シンザは、もしかして獣人が大好きな、特殊なヒューマンだヒャン……?」
「俺はアンタの姿形を誉めただけだ。そしてこの帝国で、アンタみたいなのが迫害されているのを目にして、どうにかしたくなっただけだ」
「ど、どうにかされちゃうのかヒャン……キャウゥゥン、そんなの恥ずかしいヒャン……」
「なぜ恥じらう……。とにかく組織の詳細を――組織の名はわかるか?」
なんとなく、口を割らせる鍵は飯だと思い、フォークに突き刺した厚切りハムを彼女に差し出した。
正解かもしれんな。それをヤシュは大喜びで一気食いした。
「んぐんぐ……昨日の風。そう言ってた気がするキャン、ああっお肉美味しいキャン!」
テーブルの下に隠れているより、飯を食っていた方が良いと気付いたようで、ヤシュは席に戻ってくれた。
「本当にすまなかった。そいつらは帝国の恥だ」
「そんなことないキャン! シンザは変だけど、超いいヤツだキャン! その気になりかけたくらいだヒャン……♪」
「お、どうやら追加が来たようだ」
「まだあるのかキャン!? シンザは神だキャンッ!!」
「いいからフードを着ろ、でなきゃ女将さんが入れん。……女将さん、すまんが少し待ってくれ」
ところがこれが獣人の身体能力か。
跳ねるボールのようにヤシュは部屋を飛び回り、またたく間にフードローブを着込んでいた。
「どうぞお待たせしましたヒャン! ご飯ご飯!」
「あっはっはっ、あら元気だね! ほーらっ、本日のメインディッシュ――って、ずいぶん平らげたねあんたたち……」
女将さんが丸鳥のグリルをテーブルに並べてくれた。
まあ要するに丸焼きだな。肉の塊にヤシュの目の色が変わっていた。
「大丈夫だ、デザートにいい感じだ」
「まだまだ入るキャン! はぁぁ……こんなの二人占めとか、背徳感すらあるヒャン……」
「しかし早いな……」
「そりゃ注文される前から焼いてたからね。それじゃごゆっくり」
昼前から羽振りのいい客がきてくれて嬉しいと、女将さんがご機嫌で去っていった。
使った分の金はまた稼げばいい。シグルーンがスッカラカンになるまで人に奢る気持ちが今ではよくわかる。
「はぐはぐ、幸せキャン♪」
「食っているところ悪いが話の続きがしたい。アンタどの辺りに閉じ込められていたのかわかるか?」
「ごめん、それは全然わからないキャン。帝都は広すぎて、どこがどこだか、田舎者にはわからないヒャン……あっ、シンザもこれ食べるキャン!」
「まあここで生まれた俺でも迷うくらいだからな。悪いな、いただこう」
いつの間に身から取り外したのか、シュリアに大きな手羽元を貰ってしまった。
ソイツにかじり付きながら俺は話を進める。
おお、これは美味い。あの女将さん、宮殿の料理人にだってなれるのではないだろうか。
「オークションが3日後ということは、その期日までは、同じ場所にさらわれた者が監禁されているということだ。売られて散り散りになる前に助けたい」
「ぇ……。助け、る……? えっ、えええぇぇっっ!?」
助けるならヤシュだけでは不足だ。彼女の仲間も全て取り返す。
人さらいから商品を奪い取り、経営を破綻させてやる。
邪竜の書に『獣人を守り、原因を排除しろ』と言われなくとも、最初から俺はこの行動に出たはずだ。
「さっきのチンピラどもを捕まえておけばよかったな。そうだ、もう一つ質問だ。ヤシュよ、ああいった人さらいは――死に値すると思うか?」
「え……えっ、えっ……それって……」
「殺したいほど憎んでいるか、と聞いている」
「ぇ、ぇぇぇぇ……。そんな、殺すだなんて……そんなの……」
「そうか、すまなかった。助けるのは本気だが、今のはたとえ話だ」
「はぁぁっ、ビックリしたキャン……。確かに憎いけど、殺すほど――あ、これ、コルリハの葉に似て……あ……」
その時、クシャリとつぶれていたヤシュの耳がピンと立った。
さらに目尻と口元がつり上がり、喉元から狼の低いうなり声が漏れ出した。
これはどうしたことか。あれだけ穏やかだったヤシュがなんの前触れもなく、荒々しい本物の狼へと豹変していたのだった。
「ヤシュ、どうした……?」
「――撤回だ」
その冷たく低い声には、嵐のような怒りが秘められていた。
「ああそうさ……殺したいほど憎んでるにッ決まってるだろッッ!! あいつらには仲間が何百人もさらわれてる!! 時をさかのぼれば、何千人、何万人、数え切れないほどの同胞がだッッ!!」
そこにいたのは怒り狂う狼だった。
獰猛で、言葉は通じるが道理の通じぬ、激しい感情を持った獣がいた。
「それだけの仲間を破滅に追いやったやつらをッ、死以外の何で裁く!! ぶっ殺すに決まってるだろがッッ!!」
「そうか。ぶっ殺せばいいんだな?」
「ああっ、ぶっ殺すッッ!!」
「わかった、ぶっ殺しておく。その言葉を聞けただけでも有意義だった」
すると今度はどうしたことだろうか。
またヤシュが様変わりしていた。耳がクシャリとへたり込んで、さっきまでの穏やかなヤシュに戻っていってしまった。
怒り狂う白狼の姿が、まるで神話の断片となって俺には輝いて見えていたというのに。
「キャゥンッ!? と、ととと、とんでもないこと、口走ったキャン!」
「アンタ、もしかして多重人格か何かか?」
「違うキャンッ! こ、これ……コルリハの葉のせいだヒャン……これ、これ食べると、獣人は、神様の架した枷から、解き放たれるキャン……」
丸鳥のグリルから、ヤシュが針葉樹の葉をつまみ上げた。
そのコルリハが香草として丸鳥のグリルに使われていたせいで、こうなってしまったと言いたいらしい。
「神様か」
「そうだヒャン……。私たちは温厚な種族として生み出されたヒャン。だけどあまりに穏やか過ぎて、他の種族と競い合うのに全然向いてなくて……騙されたり、捕まるヒャン……」
「それだけ優れた肉体を持ちながら、アンタたちが南方に引きこもってる理由がやっとわかったな。さて、しばらくここで待っていてくれ。アンタから貰った情報を元に、少し調べてくる」
「ぶ……ぶっ殺すのかヒャン……?」
ニヤリと美しい白狼の少女に向けて笑った。
それからテーブルから立ち上がり、手羽先を外して口にくわえ、スコップを背負う。
「ああ、アンタがそう言ったんだ。俺は悪党に情け容赦をかけようとは思わん。時が経てば改心するとも思わん。悪党はいつまで経っても悪党だ。これ以上、他の者に害を及ぼす前に、俺は皇帝に代わってやつらを――ぶっ殺す」
俺の歪んだ本性を見せると、少女は驚いた目で俺を見つめて、それからコルリハの葉をグリルから遠ざけるのだった。
獣人。彼女たちは清く正しい。人間よりずっとよくできた種族だ。
「もしかして、私とんでもない人に、拾われたヒャン……? でも、そこまで私たちのこと、思ってくれるなんて……怖いけど、少し嬉しいキャン……」
さて信用できる相手は限られている。
堅物のゲオルグ兄上は最後の手段として、やはり頼るなら――黒角のシグルーンか。
彼女がどこまで協力してくれるかはわからんが、それでも俺よりずっと裏の世界に詳しいだろう。
まずはシグルーンから掘り進めて、芋に繋がる根を探すことにしよう。




