9-3 カツサンドとの等価交換
父上と和解したその翌日、俺は街の安宿で身を起こした。
昨晩は賑やかだったが、起きてロビーに下りた頃には客どころか受付すらいない。
前払い制のそこを出て、まずはいつものカフェに向かった。
ここからだと少しばかし遠いが、朝はあそこのパンが無性に食いたくなる。
ちなみに今日の目標は帝都巡りだ。
中途半端に進んだこれをまず終わらせて、体力という報酬を受け取る。
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- 探索 -
【帝都をもう10周しろ】7 /10週達成
・達成報酬 VIT+100
『今回は何を食うのだ? そなたは試練を道楽に変える天才だな……』
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正義を果たすには、どれだけ力があっても足りないからな。
極限を超えた体力があれば、父上が崩御した後の国外逃亡もそれだけ容易となるだろう。
「あらっ、あんたアシュレイじゃないかっ! もう最近ごぶさただったじゃないの! あたしゃ、このまま来てくれなくなるんじゃないかって、ションボリしかけてたところだよ!」
「ないな。オバさんのケバブサンドは俺の命だ。食えなくなったら飢え死にしてしまう」
以前はアシュレイの名で呼ばれてもなんとも思わなかった。
だが正式に皇帝の子と認知された以上、この先はまずいだろうか……。
かといって今日からシンザで頼むと言ったところで、オバさんが聞き耳を持つかも怪しいぞ……。
「ああっ今日も二つだね、待ってな!」
「それと追加で今日はカツサンドを一箱くれ。弁当にする」
「あいよっ、少しかかるから待っててねぇ!」
その後は久々に店のテラスで朝食を食べて、真相を打ち明けるか迷った後に、やはり止めて帝都北に向かった。
そこから先はまあ、この前とそう変わらん。
賑やかな赤の大通りから北門にたどり着くと、城壁内周を時計回りに早足で進み出した。
もちろん走るという選択肢もあったが、バッグ中のカツサンドが無事ではないだろう。よって歩いた。
そうして歩いてゆくと、ふと思う。かつての俺は帝都とその郊外しか知らなかった。
けれど今は違う。西はナグルファル、南はアイオン公爵領、北はコリン村までかけずり回って、この帝国の広さと世界を知った。
世界を知った上で見る帝都の繁栄は、それはもう驚くべきものだった。
帝都は巨大で、どこよりも豊かで、完璧とまでは言わんが理想的に管理されていた。
ナグルファルで見たような貧民街もここでは珍しい。
稼ぎの少ない労働者は防壁の外側や、宿屋を拠点にすることが多いからだ。
帝都の内部で暮らせるということは、ただそれだけで豊かさの証拠でもあった。
「……腹が減ったな」
北門から出発して約二時間が経った。
最近はどうも腹が減る。そこでカツサンドを昼飯にするのを諦めて、二度目の朝飯にすることにした。
ちょうどその辺りにはよく管理された用水路がある。
町外れなのもあって静かで、石造りの水路がもたらす風情もあっていい場所だったので、人目に付かないところでカツサンドをかじった。
美味い。やはり帝都は豊かだ。
肉をパン粉で一度揚げたものを、わざわざパンに挟んで売るなど、外の世界ではなかなかあるものではない。
冒険者を始めてより、食べたいと思った物を好き放題食える。
帝都に生まれてよかったと、天の牢獄に閉じ込められている神様に感謝した。
「ああ、美味い。美味いな、美味い、カツサンドが美味い」
「――!」
ところでだ。さっきから俺は見られていた。
俺が幸せと共にカツサンドをかじっていると、物陰からフードローブをかぶった小柄なやつが俺をずっと見つめていた。
追い剥ぎではなさそうだ。
かといって物乞いといった感じもしない。やつらは物乞いギルドを作って、縄張り争いをする。実際の事情はわからんが変な連中だ。
「ゴクリ……」
考える間でもないが、向こうは腹が減っているようだ。
どうやらすっかり我を忘れているようで、そいつはついにフラフラとこっちに歩いてきた。
それから俺の目の前に立って、羨ましそうに食事の一部始終を見つめる。
カツサンドを鳥に見立てて上下左右に飛ばしてみれば、フードローブの彼もつられて首と目を動かした。
「今日の朝食はケバブサンドだった。それも二つだ」
「……ッッ!?」
「つまりこれは朝飯の二度食いになる。しかもここで全部食う予定だ」
「二度、食い……美味しそうだ、キャン……」
「ああ、しかもこの後もファストフードを食い散らす予定だ。揚げ芋に唐揚げ、ブドウの乾果もつまむ」
ジュルルと、よだれをすする音が聞こえた。
モグリの物乞いかとも疑ったが、どうもそれも違っていそうだ。正体不明の彼――いや声色からすると彼女に、少なからぬ興味を覚えた。
「しかし不思議な訛りだな。もしかして外国人か?」
「そ……そうだキャン……。一応、外からきたキャン……」
「わかった。なら面白い話を聞かせてくれたら、このカツサンドを一つやる。ほら、先払いだ、食え」
「ぁ……い、いただきます! んぐっ……。ハグハグハグッ……。お、おいひ……おいひぃキャン……おいひ……っ」
わかっちゃいたが、ソイツは完璧に飢えていた。
喉を詰まらせないか心配になるほどのペースで、もう全部胃袋に入れてしまった。
「よし食ったな。話をしてくれ、何でもいい」
「あ、はい……少し、考えますキャン」
頭に栄養が行くまで少しかかるだろう。
新しいカツサンドに手を付けるのもどうかと思い、水路でも眺めて気長に待った。
「まだか?」
「ぁ、ぅ、ぁ……」
「なんだっていい。俺は帝国の外に出たことがなくてな、些細なことでもいいのだ」
「ごめん、いざ話すとなると、いいのが思い付かなくて……。カツサンド、って言うんですね、これ。ああ、美味しかった……」
「腹が減ってればなんだって美味いだろう。もっと食べたいなら話をしてくれ」
「ああ、なんて良い人……」
「それはどうかな。誰にだって裏の顔があるぞ」
施しに感謝しているようだ。だからこそつまらない話では困る、とでもコイツは考えているだろうか。
やがてようやく頭に血が通い出したのか、フードローブの少女は真っ直ぐにこちらを見た。
「面白い話、全然浮かばない……。でも、面白いことなら、ありましたキャン」
「それは具体的にどういう意味――おお……」
彼女がフードローブを下ろすと、全く俺が予想していないものがそこに現れた。
良い判断だ。カツサンド一枚でこれなら破格も破格だ。
「は、恥ずかしいヒャン……こ、こんななりで、すみません……キャン……」
それは帝国では珍しい、獣人と呼ばれる種族だった。
それも白い毛皮を持った狼に似た女性だ。それが耳をくしゃりとつぶして、俺を上目づかいで見ていた。




