8-8 もう一度エリンの地へ - 窮状と塩 -
翌日、俺はシグルーンと別れて帝都に戻ることにした。
何せシグルーンはあの後、宵どきに目を覚まして追い酒だのなんだのと、訳の分からん酔っぱらいの屁理屈をこねくり回したからな……。
よってこちらのギルドで仕事を受けていなかったので、宿を出たところで別れることになった。
下手に情を寄せて付き合うと、とんでもなくハードな仕事を手伝わされるのがオチだ。
「この薄情者ぉぉ~っ! それが一晩同じ部屋で、夜をしっぽり楽しんだ相手にすることかーっ!」
「ああ、酒臭い上にイビキをかくやつと、同じ部屋で寝るのは愚かだった。ではまたな、シグルーン」
「待て! ……少し路銀を貸してくれ、ちゃんと返すから頼む」
「わかった。やるとは言わん、これは貸しだ」
これだけの武勇があるというのに、子供みたいなところがある女だ。
路銀が足りないなら俺についてこないで、すぐ帝都に戻って仕事の報告を済ませれば良かっただろうに。
見るに見かねて金を渡して、馴れ合う前に背を向けた。
「待て、シンザ。これは利子だ」
逃げるのが遅かったようだ。俺は唐突にもパワフルに背中を抱き締められて、首の後ろに生温かい接吻まで受けた。
宿の前でやられると恥ずかしいなんてものではない。
大げさなため息を気質の違い過ぎる彼女に見せてから、俺は海運都市ナグルファルを立ち去った。
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ナグルファルでは塩を買った。
スコップと塩袋を背負って、俺は馬車駅から帝都へと進んだ。
ところがそこから先が我ながら妙なのだ。
最初はまっすぐ帰るつもりでいた。帝都へと続く広野をぼんやりと眺めて、世界の広さを再確認するつもりだった。
それに帝都までの馬車代をもう払ってしまっている。
なのに俺はナグルファルの東、エリンの地にやってくると気まぐれを起こしていた。
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「あっ……あなたは! お父さんお父さんっ、シンザさんがきたよ! お父さん!」
立ち寄ったのは一昨日保護した子供たちの住む村だ。
発展した街道周辺からこの前の森を目指して北に抜けて、途中から横道にそれた先にこの大きな村はある。
顔を出すとすぐに俺はご厄介になった家へと再び招かれて、植物のツルで作った冷たいお茶をもらった。
代わりにこちらは塩袋をテーブルに置いて気持ちを返した。
「あ、あの、これは……?」
「実は頼みがあってな、代価のようなものだ。これだけあれば当面は困らんだろう」
俺には商売人の才能はないな。
帝都で売るつもりの塩を人にくれてやりたくなって、何も考えずに実行していた。
「いただけません。あなたは娘たちを救ってくれた恩人です、何もいりません!」
「だけどあなた、これだけあればしばらくは……。あの、頼みというのは?」
奥さんの方は控えめに欲しがった。
ナグルファルに近いとはいえ、輸送コストはタダではない。女の子二人を抱える家庭には貰って困ることのない寄贈品だ。塩は腐らんしな。
「少し話を聞かせてくれ。頼む、きっとアンタたちが適任だ」
「あなた」
「ああ……それなら喜んで協力させて下さい。しかし塩は――」
「その話はもういい。ある別の地域の文化ではな、人助けをするならば徹底的にやれと言うそうだ。自分が救った子供たちに、幸せになってもらいたいと思って何が悪い。貰ってくれ」
不幸になられては後味悪い。なら塩くらいくれてやる。ただそれだけの話だ。
ところだがな、ふいに二人は俺を拝みだした……。
「な、なぜ祈る……」
「そのお心があまりに尊いからです……。なんて立派な方なんだ……」
「お恥ずかしながら、私たちあまり豊かとは言えなくて、だからあの日は娘たちに危険な採集を……。今では後悔しています……」
この一家もカチュアのように信心深いのだろうか。
祈りはやたらと長く、さすがの俺もどうすればいいのやら困り果てた。
『クククッ……』
ジラントに笑われたような気がして、テーブルの下で邪竜の書を開く。
するとジラントの魂を宿す文字が俺をあざ笑っていた。
『そなたのそういうところを、我は好ましく思っておるぞ。汚れなき良心に神々しさすら抱くほどだ、ククク……。して、何をしに来たのだ、第七皇子アシュレイよ?』
誰かに見られたら非常に困る人名が現れて、俺はすぐに書を閉じて懐にしまった。
その音が夫妻の意識を現実に戻したようだ。ならばこちらも目的を果たすことにしよう。
「俺が聞きたいのはアンタたちと、ここ一帯の生活状況だ。いや抽象的過ぎるか。そうだな、何か最近困っていることはないか?」
こちらがそう聞くと、またなぜか軽く祈られた。
「最近というとやっぱり、水涸れでしょうか……」
「そうだな。シンザさん、ここはまだいいのですが、隣村より東側で深刻な水涸れが進んでいます。そのせいで、川の取水権をかけてこの前も、乱闘が起きたと聞いています」
取水権か。そのいさかいがマフィアの類を生み出すと、図書館の政治書に書いてあった。
一度乱れた秩序を取り戻すために、その地域が自ら暴力的な組織を生み出すのだと。
「それも皇帝の天領エリンでのことなのか?」
「はい。水涸れのせいで税金を払えなくなって、子供を奪われる者もいます……」
「あの……あとは街道の方で、追い剥ぎが出ているとも聞きました……。そうよね、あなた?」
皇帝の領地に住む者だとしても、税の取り立ては情け容赦ないそうだ。
それに追い剥ぎか。俺からすれば格好の獲物だった。断罪するべき悪を地に屠れば、俺は力を得ることができる。
「参考になった。ああ、最後にもう1つだ。今の代官に満足しているか?」
「えっ……」
「大丈夫だ、ここだけの話だ。外には漏らさん」
そればかりはただの農民には答えにくい話だ。
それでも俺への恩義を感じてか、旦那さんの方が決断してくれた。
「その、実は皆、執政官様には、大きな不満を抱えています……。ヒャマールという商人をご存じでしょうか」
「ああ、よく知っている。皇后様に偽の黄金を献上した、目利きもできんとんだマヌケ商人だ」
まさかこの地でその名前を聞くとは思わなかった。
政商ヒャマールはモラク叔父上と結託して、帝都からナグルファルへの交易路独占を狙っているのだから、ここで名が出てきて当然だったのかもしれん。
「はい……たちの悪い大商人です。執政官様はそれと手を組んで、街道の街で法律に基づくものでも何もない、好き放題をしています……。この前も、街に行った村の者が痛めつけられて……」
「そうか。そんなことがあったか」
それを聞いてさらに俺の心は揺れた。
俺が父上よりこの天領エリンを受け継げば、彼らを守ることができる。
何も俺が人生を犠牲にして、ここを直接統治する必要はない。
代わりのまともな執政官を立ててやれば、少しはこの地もマシになるのかもしれん……。
だがそれでは問題が一つ残る。
俺にこの地を与えるようにそそのかした、何者かの目論見通りになってしまうことだ。
病床にある父上の発想とは思えないのだ。
誰かがこの地を俺に与えよと、吹き込んだのではないか。
誰もが皇太子を皇太子として認めぬこの状況で。皇帝が、俺がその気になれば帝都の喉元に刃を突きつけるこの地を、置き土産のようにくれるという。
「それはそうと、そこから先の林は開拓しないのか?」
「あ、はい。そうしたいのは山々なのですが、日々の農作業に手一杯で、なかなか……」
「そうか。なら少し広げてもかまわんか? 拓けば恩賞が出るのだろう?」
「へ……? あの、それはどういう……」
「いいから俺に任せてくれ。その代わりに、また一晩泊めてくれると嬉しい」
発掘家として、スコップを開拓に使うのは抵抗があったが、貧しいと聞いて更なる人助けを貫きたくなった。
そこでこの家の裏に広がる林を、というよりも木を根本から掘り返して、一本一本除去してゆくことにした。これがなかなか面白い作業だった。




