8-5 今さら薬草採集かと奇書が言う
あの後、約一時間に及ぶ爺の長い説教を耳の右から左に聞き流しつつ、姉上とドゥリンとの落ち着いた夕食を楽しんだ。
姉上が俺にわざわざ正装を用意したのは、少しでもこの不甲斐ない弟を立派に見せて、病の父上を安心させるためだったのだろうか。
ああして爺と姉上に背中を押される形になったが、父上と会って良かったと俺は思っていた。
それは感情ばかりの話ではない。あれは死神に魅入られた皇帝と、この帝国の行く末を事前に予想させるに十分な機会だった。
かつてよりこの帝国に蔓延していた暗雲の正体は、重病の皇帝という事実が引き金となって吹き出し、それが皇帝家に連なる者たちの行動を活発化させたのだ。
いずれ来たる政争、陰謀、最悪を想定すれば内戦から生き延びるために、彼らが力を求めた結果がこれまでの騒動だった。
だがな、俺はシンザだ。第七皇子アシュレイではない、ただの遊び人のシンザだ。
シンザである俺は厄介な現実から離れて、翌日帝都ベルゲルミルを発つことにした。
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いつもの酒臭い冒険者ギルドも、早朝だけはその道のプロらしくシャキっとしていた。
バーカウンターの酔っぱらいも不在で、代わりにパーティを組んだ連中が何やら、テーブル席で大物討伐の打ち合わせもしている。
それを眺めながら俺は受付の列に並ぶ。ああだこうだと条件をゴネるやつもいて、結構待たされた。
やがてようやく俺の番がやってくると、そこで担当が変わるようだ。
正面に目を向ければ、またいつもの無精ヒゲの男がカウンター席に陣取って、俺に仕事を斡旋を始めてくれた。
いつ来てもこの男の姿を見るのだが、ここの労働環境は一体どうなっているのだろうか……。
「お前よー、コリン村であれだけ暴れ回ったってのに、なんでわざわざ薬草採集なんか受けるんだよ……。マジ変人、うちは変なやつらが多いがよ、お前がシグルーン追い抜いてブッチギリだわ。……いきなり光るしなぁ、お前」
受付にはもっとでかい仕事を受けてくれと文句を言われた。
あの女豪傑と同列に扱われるのは、光栄なようで反論もしたくなる。しかし列の後ろで待っている連中のために反論は止めて黙った。
「ナグルファルに用事があるんだ。いいから承認してくれ」
「だってたった350クラウンだぞ? それよかこっちの魔獣討伐受けてくれよ。ほら見ろシンザ、5倍は儲かるぜ」
「ああ、今度な」
「おう、約束だぞ。お前はうちの金づ――期待のホープだからな!」
そういったわけだ。帝都西のナグルファル近郊での、薬草採集の仕事を受けて俺は帝都を出発した。
父上に押し付けられそうになった領地と、奇しくも採集ポイントが重なっていたが、それはただの偶然だ。
今回は簡単なクエストを起点に、邪竜の書が示す目標を達成してゆく。それこそが遠征の目的なのだ。
父上亡き後の世界を生き抜くには、今のうちにもっと強くなっておかなければならない。
でなければ、やはり暗殺されるのがオチだ。
皇帝家の者たちが権力争いに動き出したからには、俺も脳まで筋肉でできた力を求めよう。
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- 冒険 -
【冒険者ギルドで仕事を3つ達成しろ】達成済み1/3
・達成報酬 EXP450/???
・『確かに楽なやつにしろと我は言ったが、今さら薬草採集か……。地味過ぎて眠ってしまいそうだ。終わったら起こせ』
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大丈夫だジラント。アンタののぞき見根性ならば、なんだって楽しめる。
俺はさっさとクエストを2つ達成して、意味ありげな報酬[???]とやらをいただきたくなってきたところなのだ。
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帝都西の街道を進んでゆくと、キャラル・ヘズとロバを連れて旅をしたあの頃が、ふいに懐かしくなった。
彼女は今も海の向こうで、何事にも負けずにがんばっているのだろうか。
キャラルは商会を大きくして、船団を率いて帝都に帰ってくると言っていたが、俺がそれをこの地で待つのはもはや難しいだろう。
いっそこのまま宮殿には帰らず、キャラルの元に高飛びしたくもなってくる。
そんな現実と過去の話はさておき、今回は馬車だ。
荷物を俺たちが運ぶのではなく、俺そのものが荷物だ。
よって早朝に発った俺は、時間帯もあって荷台が空いていたのも加わってなのか、昼過ぎにはもう目的地に到着していた。
一緒に乗り合わせた冒険者の話によると、この辺りはエリンの地と呼ぶそうだ。
となれば今いるこの場所はエリンの森とでも呼ぶべきか。
本当の地名はともかく、この地でしか採れない物を含む希少な薬草を求めて、俺は危険な森の中をしばらく歩き回った。
冒険者ギルドに仕事が回ってくるだけあって、この森では危険な怪物が目撃されている。
とはいえ採集が目的なのだから、いちいち余計な交戦で時間を消費するのは避けたいところだ。
「ブラックハーブに、オニカブト、ジキタリス、その他諸々か……」
図鑑で知る限り、依頼されたのはどれも強烈な薬効を持つ草だ。
あまりに効果が強すぎて、毒薬としての名の方が有名なくらいだった。
しかし毒薬がそのまま悪になるとは限らん。
冒険者や狩人にとって、それは怪物や獲物を倒すための立派な武器だ。
森の奥に入ってゆくと、ちょうどそこにブラックハーブの地獄めいた群生地を見つけたので、俺は自慢のスコップを用いて採集を進めた。
採集した薬草は海運都市ナグルファルに配達する。ナグルファルに入ったら、邪竜の書にある、あの試練を完遂させる。
キャラルと別れてより、ずっと手を付けてこなかったアレをだ。
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- 探索 -
【海運都市ナグルファルを1周しろ】あと2/3周
・達成報酬 EXP100/VIT+5
・『アシュレイよ、我はな、てっきり忘れられていたかと思ったぞ……』
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忘れるわけがない。俺はあの港街が好きだ。
食い残した海の幸、舶来品の数々もまだまだある。
おまけに体力《VIT》を5もくれるというのだ。こんな美味しい話、やらぬわけがないだろう。
「む、ピギィノーズか。ついでに採集しておいて損はないな」
それは豚の鼻みたいな花弁を持つ不思議な草だ。
実物を見たのは初めてで、俺はしばらくしゃがみ込んでよく観察した後に、せっかくの群生を崩壊させない程度に採集した。
その後も採集はピギィノーズと出会ったおかげか、トントン拍子で進んだ。
やがてリュックも一杯になったこともあって、紅く暮れ始めた森を去ることにした。
この量ならば先方も喜ぶだろう。依頼にはないオマケの薬草も多種多様だ。
「ふぅ……良い仕事をしたな。息苦しい宮廷より、やはり俺は――」
異界の言葉にこんなものがある。二度なら偶然、三度目なら必然、だそうだ。
ならばこれは偶然だろうか。あの地獄の狼、アビスハウンドの遠吠えに酷似したものが耳に届いた。
それに対して恐怖や焦りといった感情はない。
シグルーンとの共闘だったとはいえ、書により急成長する前の時点で、俺はコイツに勝った。ならば今の俺が負けるはずもない。
だが俺はシグルーンのような戦闘狂ではない。
単身で、しかも討伐依頼も受けていないのに狩るなどあまり合理的ではないだろう。
しかし同時に昨日の出来事が脳裏にチラついた。
ここは父上が俺に与えるつもりだった土地だ。
このまま遠吠えの主を放置すれば、この地の狩人が死ぬかもしれない。
対処が遅れれば近隣の村ごと、アビスハウンドの胃袋に収まってしまう可能性すらある。
ところがだ。そこに新しい遠吠えが加わった。
それは獣の縄張り争いと呼ぶにはあまりに生やさしいものだ。
この森の奥にアビスハウンドが最低で二匹現れた。そんな笑えるはずもない恐ろしい証拠だった。
俺が力を持たないただの民ならば、ここからはパニックホラーの始まりともなるだろう。
「どうするべきだろうな……」
邪竜の書を開いてジラントの意見を訪ねた。
『二匹同時は止めろ。そなたでも死ぬかもしれん。絶対に止めろ』
「まあそうだな。それはシグルーンみたいなバトルマニアのやることだ」
『なら早く退け!』
「まさかアンタ、俺を心配してくれているのか?」
『バカを言ってないで、早くしろ! 立ち去れ!』
いくら俺が強くなろうと、背中に目が生えていないのが困り物だ。
ラッキーさんや防壁に背中を守られていたあの時とは状況が違う。
だがな、少女の悲鳴が聞こえてきたら、アンタならどうするのだ、ジラント?
「これで決まりだな。撤退ではない、前進だ」
邪竜の書を閉じればお喋りは中断だ。
俺は悲鳴の方角へと、何も考えずにまっすぐ突っ走った。




