8-4 蝕まれた皇帝と異形の忌み子 - 赤竜宮 -
気の重い行事を待つのは憂鬱だ。しかし始まってしまえばそれほどでもないものだ。
夕方前に白竜宮に呼び戻されて、俺はゲオルグのお古に袖を通した。
「銀色のスコップの刺繍が気に入った。これがあるだけで、もうゲオルグのお古ではなく、俺の物になった感じがする」
「良かった、スコップはドゥリンちゃんのアイデアなのよ。それよりがんばってねアシュレイ、あなたなら上手くやれるわ」
「あの、きっと、仲直りできるはずでしゅ! ドゥリンも応援してましゅ!」
別に父上とケンカなどしていない。
しかし細かいことを言い返すとうっとうしいからな、黙った。
そうするとちょうどそこにノックが鳴り響き、アトミナ姉上の小姓が扉を開くと、そこに爺が現れていた。
「おおアシュレイ様ッ、なんと凛々しいお姿に――あ、いえ、陛下がお呼びでございますぞ」
「爺もそう思うわよね! カッコイイわよ、アシュレイ♪」
「しゅごく強そうでしゅ!」
そうか思い出した。あの物語の名前は、シンデレラだ。
まさに今の俺は魔法のドレスをまとったシンデレラ、といったところなのかな。
「案内してくれ、爺。これ以上気が重くなるのは堪えられん、さっさと済ませたい」
「見た目はキリリとしたのに、変わらず堪え性がないですな。仕方ありません、予定より少し早いですが、アシュレイ様こちらへどうぞ」
爺の後を追ってアトミナの部屋を出た。
これから行く場所は皇帝のための特別な区画だ。名前は赤竜宮、ここ白竜宮はその一つ手前に当たる。
白竜宮は皇帝が選んだ者だけが居住を許される場所、と言えばいいだろうか。
「アシュレイ様、そのスコップはここで」
「わかった。……こんな息苦しい場所で暮らすやつの気が知れん」
「お願いでございますから、今だけは言葉を選んで下され……」
「事実だ。この場所はろくでもない」
回廊を進み、赤竜宮の扉の前に立った。
例え皇帝家の人間であっても、この扉の向こうへと自由に入る権利はない。
皇帝殺しを防ぐために、この国が選んだ苦肉の策がこれだ。
それは親子の関係を疎遠にするに十分な環境を生み、俺を含むろくでもない息子たちを生み出した。とも言えてしまえるだろう。
「やはり緊張しているのですね……。大丈夫ですよアシュレイ様、何が起ころうとも、相手が例えこの国の皇帝であろうとも、この爺がフォローいたします」
「そうか。ありがとう爺。俺の心の父親は、やはりアンタだ」
「うぐっ、ゲホッゲホッ……!? およし下さい、アシュレイ様……っ」
爺は嬉しそうに顔をだらしなくさせるものの、本来の主君に申し訳ないと困り果てた顔色も見せてくれた。
その姿のおかげで、俺の緊張もいくらか解けた。
そうこうして赤竜宮に導かれ、謁見の間を通り過ぎた。
目的地は皇帝の寝所だ。最も警備の厳しい最深部に通され、扉の前で爺が立ち止まった。
爺は元々ここの小姓だ。我が物顔でこちらに振り返った。
「すみませんがアシュレイ様、爺も同席するように仰せつかっております」
「むしろ爺がいてくれると頼もしい。さあ早く済まそう」
「では、中へどうぞアシュレイ様……。その、お心を強くお持ち下さいませ……」
「そう言われるとかえっておっかないぞ。覚悟ならとうにできている」
本人が扉のこちら側にいないというのに、爺は丁重にうやうやしく皇帝の寝所を開いた。
先に入れと手をかざしたので俺もそれに従って、皇帝の枕元に立った。
「ッッ――?! これは……」
だが爺が正しかった。すぐさま俺はそこに横たわる存在に目を見開いていた。
再会に心を奪われたのではない。その男の姿は痛々しくも糸杉のようにやせ細り、頭髪の大半が抜け落ちて、肌が青白く不健康に染まっていた。
同時に確信もした。父上に乗り移った死神は、もう追い出すことなどできないのだと。
予想を遙かに上回る、最悪の展開になっていたことに、俺は青ざめ絶句していた。
「陛下……陛下……私でございます。お約束どおり、彼をここに連れて参りました」
次男ジュリアスの言葉と行動の意味を理解した。
次期皇帝の座の奪い合いはもう始まっている。イカレた俺の兄弟たちは、今の皇太子を暗殺、あるいは失脚させようと暗躍するだろう。
「ぉぉ……。来て、くれたのか、アシュ、レイ……」
皇帝が弱々しい声を上げた。ゲオルグ兄上とアトミナと同じ色だった髪が色あせて、全てが白髪に変わっている。
その姿は余りに痛々しく、だがあれだけ俺を疎んじてきた皇帝が再会の喜びにすがっていた。
「アシュ、レイ……アシュレ、イ……私の……アシュレイ……」
とてもじゃないが返事なんて返せなかった。
言葉も、姿も、何もかもが衝撃的で、17歳の小僧にはこれにどう対処すればいいのかわからない。
こんな予定はなかった。
ただ会って、俺は帝都の冒険者シンザに戻る予定だった。なのにもう時間が残されていなかっただなんて……。
「話が違うぞ爺……。こんなに悪化しているなんて、聞いていないぞ……」
「すみません、アシュレイ様。ですが今は私のことなど結構。陛下とお話し下され。陛下、もしお辛いなら、私が代わりに……」
病床の老人が首を左右に振って、己の元小姓の提案を拒んだ。
その瞳が再び七男アシュレイに戻り、言葉を発するために病人が空気を肺に吸い込む。
「私を、許してくれ……」
皇帝が口にしてはいけない言葉だった。
父上が言うはずのない言葉に、俺はこれが本当に父上なのかと耳を疑った。
少なくとも俺の知る父上は情に薄く、会話どころか俺と同じ場所に居合わせることすら疎み、ただ国に尽くすばかりの機械のような男だった。
「私が、悪かった……」
「悪い? 許せ? 何をだ」
唇が勝手に言葉をつむいだ。その言葉は無自覚に強い拒絶を含んでいた。
「アシュレイ様、お願いします、お言葉を、慎重に……!」
そのことに俺自身が驚いていたが、冷静さを失っていた俺に抑えようもなかった。
爺が正しい。病に伏せる病人に対する態度ではない。だが無理なものは無理だ。
「私は、お前から……逃げた……ずっと、逃げて……目を、背け……」
「何が逃げていただ!! 父親としてするべきことをっ、全て爺に押し付けて! アンタは子供に取るべきじゃない態度を取り続けた! それを、もう死ぬから許せだと!? 許せる訳があるか!!」
「ゥッッ……すま、ない……すまない、アシュレイ……私は、私は……」
そこにコリン村を救った英雄の姿はなかった。俺はただの、17歳のただのガキだった。
柄にもないことを言い放つ自分自身に、俺は戸惑い果てた。
これは本当の感情だ。本当の父親に、父親の子供として、ただ愛してもらいたかった。
それが皇帝家の忌み子として、長らく塔に閉じ込められて育った俺の本音だった。




