8-3 兄を警戒しろと奇書が言う - mama -
それは皇帝の次男ジュリアス、つまり俺の歳の大きく離れた兄、第二帝位継承者様だ。
なぜ顔を会わせたくないかと言うと、この男はやたらと気位が高くて面倒なのだ。
よって流し目を本に戻し、無視を決め込んだ。
「おい、イス」
ジュリアスは40半ばの中年だ。それ相応に恰幅がよく、俺に退路をふさがせた部下の片方にイスを用意させた。
確か母親が帝国で最も力の強い貴族の、バオト公爵家の出だ。ゲオルグが言うには、荘園拡大法はこの男が中心となって可決させられた。
「ママがさぁ」
おまけに差別主義者で高慢ちきなマザコンだった。
「俺こそが次期皇帝に相応しいって言うんだよ。だからさ、僕はママにこう言うんだ。マァマァ、僕は次男だから、皇帝にはなれないんだよ~、って、さぁ? ……おい、聞いてるかアシュレイ」
苦手だ。どこに癇癪を引き起こす逆鱗が隠れているかも、わからん人だ。
以前は腹が減ったと俺がつぶやいただけでキレた。
「すまん、独り言かと思った。まさか俺に向けて言ったのか、ジュリアス様?」
「はぁ……そうだよ、そうに決まってるだろ。あのさぁ、ママはさ、アシュレイってクソガキとは付き合っちゃいけませんよ、ジュリアスちゃん!! って言うんだよ。ま、別に不服は別になかったんだけどさぁ……。一応、お兄ちゃんだよなぁ、僕?」
「ああ、そうだなジュリアス兄さん」
妙なのだ。彼らはこれまでずっと俺に興味を持たなかった。
居ないものとして見られていた。だというのに、急にお兄ちゃんだそうだ。
「おお弟よ。ああ……やっぱしっくりこねぇよ、マァマァ……」
病床にある皇帝が俺に会いたいと言い出した。
きっとそこに何かがあると、ジュリアスは探りにきたのだろうか。だが皇帝の意図など、俺が知るわけがないな。
「おい黙るなよ。それでよー、ママが言うんだよ、ママが。俺はな、あの変人に聞いてもムダだよマァマァ……って言ってもよー、ママは聞き分けないからよー、一応聞くわ。――お前、誰に付くんだ?」
ママに対しては猫なで声だ。しかし最後の言葉には威圧的な凄みがこもっていた。
「ジュリアス兄さん、そう言われても話が見えない」
「だから、俺たちの父親が死んだ後、誰の側に付くんだって聞いてんだよ! ママがな……」
「どうもこうもない。俺たちは皇太子のスペアだ。それに俺の継承権順位を忘れたか? 53位だ。下らん争いに加わる気はない、ほっといてくれ」
皇帝が死ぬかもしれないと、彼らは考えている。
ならば始まるのは権力争いだ。今の皇太子が継いで丸く収まるわけがないと、腹のさぐり合いを始めているのか。
「そうだよなぁ、俺もわかってるよ。だからマァマァだって、アシュレイのクソガキとは付き合っちゃいけませんよジュリアスちゃん! って口を酸っぱくして僕に言ってたんだけどなぁ……」
「その話はもう聞いた。なら俺なんか捨て置いてくれ」
皇帝家の人間はどいつもこいつも、ムダに濃いな……。
「そうはいかねぇよ。なあアシュレイ、ゲオルグによー、俺の下に付け、って言ってくれないか? お前もだ、お前も俺の側に付くって言うなら、守ってやるよ? マァマァはダメって言うけどぉ、お前はゲオルグとアトミナを動かすには、最高の駒だからなぁ……。で、どうだよ?」
「話が見えんし気が早すぎる。父上がすぐ死ぬとは限らん」
ところが俺の返答は、ジュリアス・バオト・ウルゴスにとって滑稽を極めたものだったようだ。
ニタニタと中年が意地の悪い笑みを浮かべて、何も知らぬ俺と、父親の病気を喜んでいるように見えた。
「父上に会うそうだな。なら会えばわかる。お前も身の振り方をしっかり考えておけよ、アシュレイ」
「そうか。心やさしい兄を持てて俺は幸せだ」
「仲良くしような。ママはダメって言うけどぉ、ハハハ、お前マグレでゲオルグに勝ったんだろ? ならお前はソコソコ使えるってことだからよー、仲間にしてやるよ?」
ジュリアスは好き放題言うと、手下を引き連れて図書館を去っていった。
心やさしい兄というのは、もちろんアンタを指したんじゃない。
俺とアトミナ姉上は、アンタみたいな連中から守ってもらっていたんだ。心やさしいゲオルグ兄上に。
しばらくほうけて、それでもすぐには本を読む気にもなれなかったので、俺は邪竜の書を開いた。
『ヤツには注意しろ。そなたたちを巻き込むつもりだぞ。それにどうやら大人しく、皇太子に皇帝の座を与える気など、さらさらないようだ』
「父上の後釜を狙っての陰謀劇など下らん。関わりたくもない……」
『そうはいかん。そなたの大切なアトミナとゲオルグを守りたかったら、関わらずに高飛びするなどといった、消極的な発想は捨てろ』
「俺たちは兄弟同士でただ、静かに暮らしたいだけだ……」
やはりジラントと話していると安心する。
この竜の示す未来は俺のお好みではないがな。ある面では現実的ではある。
『それはそなたの願いだ。ゲオルグもアトミナも、帝国と民を守るためなら、喜んで己の命を賭ける。それが皇帝の子だ。そなたたちの命は、いつ消えてもおかしくない。危うい状況にある。まずはそれを自覚しろ』
そうだなジラント。
一緒に高飛びしようと誘ったら、素直に乗ってくれるような二人だったら、どんなに良かったことか。
俺がただのシンザとして自由に生きられて、かつゲオルグ兄上とアトミナ姉上が幸せになれる未来。そいつを俺は勝ち取れるのだろうか……。わかるわけもなかった。
遅くなりました。




