8-3 兄を警戒しろと奇書が言う - 金糸と銀糸 -
俺にはよくわからんのだが、採寸が終わると、ドゥリンとアトミナが金糸と銀糸で刺繍をしてくれると言い出した。
そうすればもう少し高級感が出て、皇帝と面会する相応しい服になるからだそうだ。
「ならドゥリンが作るでしゅ! 魔法の糸で、ホタルしゃんに恩返しするでしゅ!」
「わかったわ、そうしましょ。必ず夕方前に仕上げるから、少し待ってね、アシュレイ!」
異界の本で、これと似た話を読んだことがある。
継母と姉妹にいじめられる不幸な娘が、魔女の魔法でドレスをまとい、お城の舞踏会にて王子とのラブストーリーを描くやつだ。だが題名が思い出せん。
「わかった。これを使ってくれ」
そこで俺は1000クラウン金貨をドゥリンに差し出した。
高純度のなかなかにでっかいやつだ。それが小心者のドゥリンをまた飛び上がらせた。
「そんなにいらないでしゅぅっ! こ、これ、1000クラウン金貨でしゅよぉー!?」
「また別の仕事を頼むかもしれないからな、ソイツを含めての先払いだ。頼んだぞ」
ドゥリンのローブのポケットに金貨を突っ込んで、俺は二人の前から離れた。
姉上はどこでそんな大金を手に入れたのだと、無言で俺を疑っていたが、やがて裁縫仕事に意識を奪われていった。
それと妙な話だがなんだか急に落ち着かなくなってきた。
俺は夕方の面会まで、どこでどんな気持ちで過ごせば良いのだろうか。この状況で、城外に出るのは賢明ではない。
「ところで、うちの爺を朝から見かけんのだが……」
「ああ、爺なら父上についているわ。準備が済んだらアシュレイを呼びにくるはずよ」
なに? 爺が朝から付きっきりだと……?
それほどまでに父上の身体は悪くなっているのか……?
「アシュレイ、私ができるのはこのくらいよ……。それでねアシュレイ、ちゃんと父上と話をしてあげて。あの人は皇帝である前に、私たちのお父さんよ。お願いだから、それを忘れないでね」
「さてな、そればかりはわからん。図書館に行ってくる。何かあったら部屋か、そこにきてくれ」
こういうときは図書館だ。
俺はやはり居心地の悪い白竜宮を出て、文官や学者がちらほら集まる、己の逃げ場に身を隠すことにした。
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庭園と一体化した美しい回廊を進み、心を落ち着かせてから俺は宮廷図書館に入った。
まだ午前という時間帯もあってか、いるのは顔見知りの学者と、本好き貴族の子弟が1名ずつだけだ。
彼らの視線に軽く手を上げて挨拶して、俺は図書館の奥へと身を隠した。ああ、スコップか? もちろん今も持ち歩いているぞ。
「はぁぁ……。さすがにこれは、参ったな……」
奥に向かったのには理由がある。邪竜の書を開いて、ジラントに話し相手になってもらおうと考えたのだ。
実際に実行すると、相変わらずの皮肉屋がそこにいた。
『普段のそなたらしくないな。そんなに父親が怖いか。そなたにも、かわいいところがあるものだな』
「フッ、フフッ……アンタはいつだって言いたい放題だな」
相変わらずのジラントに俺は安堵して、心が少し軽くなった。
俺は彼女に依存し始めているのかもしれん。ジラントが俺を信じて見守って、肯定してくれる。
それに依存してしまうのは逆らいようのないことだ。
誉め言葉は人を支配する力があるのだ。そう思うことも多くなった。
『安心しろ、悪い話ではないはずだ。これは契機だ、己の役割を認めろアシュレイ』
「今日もアンタは意味深だな。そうだな、悪い話だったら、わざわざ会うなど言わんか……」
『後で慰めてやる。だから今はがんばれ、アシュレイ。そなたの愛する、この我がやさしくしてやる』
空白のページに浮かぶ言葉の数々は不可思議な吸引力を持っていた。
いや俺たち読書家にとって文字は、音で発された言葉よりも深く心に入り込む。文字は強烈な魔力を持つのだ。
「こんなに思い込みの激しい本は初めてだ。ジラント、今回ばかりは頼りにしている……」
『待て。誰か来る』
すぐさま邪竜の書を閉じてポケットにしまった。
ジラントのこの感知能力は有用だ。まったくバカにできんオマケ機能もあったものだった。
こんな図書館の奥で、本も読まず突っ立っていたら怪しいな。手頃な一冊をつかんで、書の序盤を開いた。
間もなく大柄な男二人が奥に回り込んで俺の退路をふさぎ、正面側からは――あまり顔を会わせたくない人物が現れた。




