7-2 アイオン公爵領でのつかの間の休暇 - 夫婦二つの正義 -
高台の塔だ。ここからならばこの白い都の全てが見える。
その高く美しい光景を俺とジェイクリーザス・アイオン公爵はぼんやりと見下ろした。
「悪いが時間が惜しい。用件を」
「急かされると余計に言いにくくなりますよ……。殿下、いやアシュレイ、私とアトミナの事情を聞いてくれませんか……?」
「姉上だと……。わかった、誠実に聞くと誓おう」
「ありがとう。君は不思議な男ですね。皇族にありながら威張り散らさず、かといって口振りが丁寧というわけでもない。皇族も貴族も、ゲオルグや君みたいな人間ばかりなら良かったのに……」
「笑える冗談だ。ゲオルグのような堅物ばかりになったら、世の中は何の融通も――いや、誠実に聞くと誓ったばかりなのにすまん……」
それで何となく義兄の事情が読めた。
大貴族も皇族も難しい立場をしいられる。やはり彼は疲れているようだった。
「実は、アトミナとは上手く行っていないのです……」
「そうだな。でなければ、姉上は帝都に入り浸ってなどいないな」
「原因の根幹は、考え方が違うせいです。アトミナは、あまりにやさしすぎる……。貴族社会の現実を知らないのです……」
「そうかもしれん。だがそのやさしさが姉上の良さでもある」
つまらん理由でケンカをする夫婦は多いというが、そちらの方がまだ修復のしようがあるかもしれん。
本人たちの問題は、本人たちだけで解決できるのだからな。
「ええ……私にはあまりに素敵で、しかし恐れ多い女性でした。ですが、私たちの価値観の違いが、大きな行き違いを生んでしまいました……」
「また遠回しだな。なら姉上は何が気に入らんのだ?」
「荘園です」
「荘園だと……?」
またこの地でその名詞を耳にするとは思わなかった。
荘園とは国に税金を払わなくても良い、特別な土地のことだ。
「民の扱いで揉めています……。この前決まった、荘園拡大法は知っていますか?」
「ああ、ゲオルグも文句を言っていた。奴隷の増加は物価を下げて貧困を招き、さらなる奴隷を増やすことになるとな。無学な俺にもわかるよう、丁寧に教わった」
要するに平民が稼いでも稼いでも儲からん世界になるそうだ。
同じ作物や商品を、奴隷たちが二束三文で生産してしまうのだ。民はたまらんだろう。
「それはあります……。ですが、一度決まってしまったことです。うちの領地だけ、荘園の民を他の民と同じに扱うことなどできません……。それがアトミナから見れば、民を奴隷に変えていっているように見えるようです……」
「そんなバカげた法案、通らなければ良かったのにな」
「そうですね……。でもそれは今さらです。今さらうちだけ、まともな統治をするわけにもいかない」
そんなバカげた法案通らなければ良かったのに。
俺の言葉を頭の中で反芻しているのだろうか。義兄は何度もうなづいて、やがてため息を吐いた。
「ジェイク義兄さん、アトミナ姉上はあれで頑固者だ。それでいて、ドゥリンを助けようとしたように、誰にでも無償の慈愛を向ける。よってだ、その件は絶対に譲らんと俺は思う」
「そうですよね……。ええ、彼女はそういう人です……。ありがとう、アシュレイ。君が皇帝家の長男だったら、どんなに良かったでしょうね」
「それを言うならゲオルグだ」
「いや、彼は君が言うとおり少しばかし、融通の方が――」
ところが次の瞬間、俺は塔の階段を駆け下り始めていた。
「 助けてホタルしゃんっっ!! へ、変な人がっっ、来たでしゅぅぅっっ!! 」
ドゥリンの叫び声がここまで届いていたからだ。
「騙したなっジェイク!」
「ち、違うっ、私はそんな――待ってくれアシュレイッ!」
事情も弁解もこうなれば意味をなさん。
俺は体力とバランスの許す限り階段を下り続けた。
声の届く距離だ、すぐに俺はドゥリンの元に舞い戻っていた。
「ホタルしゃんっ!」
「すまんドゥリン、まんまと裏切られたようだな。だが――コレとソイツはなんだ……?」
そこに氷漬けになった兵士たちと、及び腰でドゥリンを取り囲む仲間たちがいた。
最も不可解なのは、ドゥリンの頭の隣で羽ばたいている、手のひらサイズのやたらと小さな飛竜だ。
「この子がドゥリンを守ってくれたでしゅ! よく見るとぷりちーでっ、とってもやさしい良い子でしゅ♪」
「良い子は人間を氷漬けになど、しないと思うがな」
やつらは俺の登場にさらにうろたえた。
ここまで早く戻ってくるとは、裏切りの計画になかったのだろうか。
「キュゥゥー……。(そろそろ限界だ。後は任せたぞ、我が使徒よ)」
竜の正体はジラントだった。まさかとは思ったが、蒼いその鱗からして他にいない。
ジラントは青白い燐光となり、ドゥリンの持つ邪竜の書へと消えていった。
「き、消えたぞ……? はっ、今がチャンスだっ、拘束しろ!」
「往生際の悪い……。ならばやってみせろ!」
俺は退路を考えながら兵と交戦することになった。
邪竜の書がもたらした筋力とスコップLV4が相手の剣を破壊し、力ずくでそのままはね飛ばす。
塔という狭い空間だ。盗賊以上に訓練されているとはいえ、15名足らずの兵など敵ではない。
「おい、話が違うぞ!? なんだコイツッ、け、剣が、仲間が……っ!!」
こういった場合、数に勝る方は相手の疲労を待つ。
だが俺には無尽蔵のVITがある。塔に俺たちを押し込めたのは失敗だった。
次々と斬鉄スコップにより敵の剣が破壊され、失神した兵士が詰み上がっていった。
「小娘を狙え! 石弓隊前進しろ!」
「ひっひぅっ!? ほ、ホタルしゃんっ……!」
下り階段に近付いてどうにか突破を防ごうとしたが、生憎俺にはそこまでの突破力はない。
無念にもボウガンを構えた弓兵たちに、階へと入り込まれてしまった。
「貴族の誇りすらも失ったか……。アイオン公爵家も落ちたものだな」
今の俺ならば、弓の弾幕すらどうにかできそうな気もする。
だがな、ドゥリンには無理だ。このまま戦えばドゥリンが死ぬ。
「――聞き捨てならないですな。我々はその小娘を保護したいだけ、返していただきましょうか。皇帝の忌み子、呪われた皇子、アシュレイ様」
階下から低く粘ついた中年の声が響いた。
そいつは背の低い小男だ。傲慢不遜な気質が顔にそのまま現れたような、見るからにずる賢い男だった。
「私を覚えてませんかな……? 無理もありませんな、姉の結婚式にすら呼ばれなかった不吉な子。それが貴方様ですからな」
「止めろ父上ッッ、俺の顔を潰す気かっっ!!」
そこに現アイオン公爵、ジェイクリーザスが現れた。
この小男はその父親だそうだ。そう言われると見覚えがあるような気もしてくる。
「すまないアシュレイ、ドゥリン……もう止めてくれ父上!」
「若輩者のお前の意見など、この領内で私に逆らってまで従う者などおらんよ。さあ忌み子よ、その小娘をいただきましょうか」
「ひぅっ……ほ、ホタルしゃん……こ、怖い……。ごめんなしゃい、怖くて、動けないでしゅ……。ぅ、ぅぅ……」
姉上から聞いたことがある。
実権を握っているのは父親の方だと。だがここまで極端で露骨だとは夢にも思わん。
「アンタまでこの子を付け狙うか。まさか――わかったぞ、アンタ、ドゥ叔母上と通じているな?」
「フッフフフッ、ご名答。ですがアトミナ様が悪いのですよ?」
「止めろ父上ッ、アシュレイ皇子にっ、これ以上無礼を働くなっっ!!」
この様子からして、ジェイク義兄さんは俺たちを裏切ってはいなかった。
状況的に仕方ないとはいえ、心ないことを言ってしまったな……。
「アイオン公爵家と、ウルゴス皇帝家のためですよ、アシュレイ様。アトミナ皇女殿下は先月のある日にですな、我々にとある最後通牒を突きつけました。それは、我が子ジェイクリーザスとの、離縁ですよ、フフフ……」
忌々しげに前当主は俺の自慢の姉へと憎悪を向けた。
あんなにやさしい姉上に逆恨みをするなど、愚かにもほどがある。
「荘園経営の方針を変更しない限り、離婚手続きを行うと言い出したのですよ……。わかっていない、あの娘は何もわかっていない……。貴族の繁栄を取り戻すための新法の価値を!!」
「な……っ?! ま、まさか――まさか父上!? そんな下らない理由で、罪もない少女をさらわせたというのですかっ!? そんな、バカげているっ、よりにもよって、アトミナを脅すだなんてっ!!」
ああなるほどな、そういうことか。反吐が出る話だ。
余計に俺の中の敵意は燃え上がった。温厚なジェイク義兄さんがキレるのも当然だ。
「あのぉ……ホタルしゃん、あの、どういうことでしゅか……?」
ただその憎悪はドゥリンの平和でやさしい姿に、少しばかしかき消されてしまった。
自分がさらわれた理由が理解できない。まあそういう顔だろう。
「ドゥリン、要するにだ。アンタをさらったクソババァはな、そこのクソジジィと結託していたようだ」
「ぇ……。だけど、な、なんでドゥリンなんかを、さらうんでしゅか……?」
「アンタは人質だったんだ。ドゥ・ネイル祭司長は、帝都で錬金術師をしているやつが気に入らなかったんじゃない。アトミナ皇女と極めて親しいアンタを、アトミナを脅す道具として、さらわせたのだ!」
「は、はへぇぇぇーっっ!?」
市民には縁のない陰謀というやつだ。
だが宮殿にいるとこの手の事件に事欠かん。誰もが疑心暗鬼になっている部分すらある。
「その通りだ、呪われた忌み子」
「その物言いは止めろと言っている父上ッ!」
バカらしい話だ。だがこうなるとチャンスでもある。
激しい親子ゲンカを目にして、俺はそこに活路を見い出した。
「ジェイク。姉上と陛下に弁解する覚悟があるならば、こっちに来い」
「なに……?」
「撃たれる心配はない。父親にとってアンタは隠れ蓑、今さらアンタを消すには不都合が多すぎる。実権を持たないとしても、忘れるな。アンタは、この地の公爵ジェイクリーザス・アイオンだ」
「……わかった、君に身をゆだねよう。こんな横暴には従えない!」
「な、何を、息子に何をするつもりだ貴様……っ!」
なんのことはない。
俺はジェイクをこちらに誘導して、ただドゥリンの前に立ってもらっただけだ。
「ふっ……こういうことか。レディを守るためなら、喜んで私は弓除けになろう」
「すまんな、義兄さん」
「何をするかと思えば! バカめっ、ジェイクなんぞを盾にしたところで、何も状況は変わらんぞ!」
前公爵の配下は問題に気づいたようだ。だがヤツは頭に血が上っていて聞きやしない。
これでドゥリンは撃たれない、ゆえに俺はやっと自由に動ける。
全く、今回ばかりは俺も頭にきた。
ドゥリンだけではなく、俺たちが信じて送り出した姉上にまで害をなすとは、絶対にこんな不義理は許されん。
「さ、下がれ! 近寄るな怪物ッ!」
「皇帝家に仇なす悪党よ、俺の名は怪物ではない、皇帝の七男アシュレイだ。皇子を名乗ることも許されない身だが、俺もアトミナも皇帝の子! 我らに弓を引いたその傲慢、ここに俺が正してくれよう!」
兄上、俺に力を貸してくれ。
ジラント、そこで見ていろ。アンタの望む正義をすぐに見せてやる。
そう心に誓うと、邪竜の書が相変わらず空気も読まずに青白く光り出した。
やむなくページを開き、中をのぞくとこう記されている。
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- 粛正 -
【アイオン前公爵に天罰を下せ】
・達成報酬 我からの愛
・『我が認める。邪竜ジラントの名において、ヤツに天罰を下せ!!』
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その命、慎んで拝命しよう。
姉上とドゥリンを悲しませた悪党に、天罰を下す姿をそこで見ていてくれ、ジラント。
俺はアンタのおかげで、正義を貫ける。……愛の方は貰っても、正直どうしたものやら困るがな。




