5-4 報酬の全てが依頼書に書かれているとは限らない - 報酬以礼 -(挿し絵あり
「……シンザ」
ところがそこに来客があった。暗闇の中、カチュアの声が聞こえたのだ。
つい無防備に目を開こうとしたところで、俺は現状の大問題に気づいて目元を隠す。カチュアがベッドの足下に腰掛けていた。
「ごめん、やっぱ寝てたよな……」
「ああ、寝ていた」
思考力が戻るにつれ、ジワジワと遅効性の焦りが思考回路を満たしてゆく。
この目と腕を見られるわけにはいかない。せめてグローブをしながら眠るべきだったと、俺はうろたえた。
「何か用か?」
本当の姿を見られたらおしまいだ。
彼らは態度を変えて、俺を怪物となじるかもしれない。俺はある意味で、彼らよりもゴブリン側に近いのだ。
「あのさ、村長がさ……。夜は、シンザに付いてろって……」
「なんだそれは……」
いや、そうか。そこでまた受付の言葉を思い出した。
報酬以外の謝礼は良いものだと、彼は言っていた。あれはやはり、若い女が冒険者に身体で礼を返す、という意味だったか……。
「こっち向けよ、何で顔そむけてるんだよ?」
「付いてろと言われても困る。帰っていい、俺は一人の方が休まる」
「はぁっ、そうはいかないんだってっ! 朝までシンザ様と一緒にいろ、ってこっちは言われたんだからさ!」
「だがそれは困ると言っている」
グローブをどこにやったか、それが問題だ。
まず竜眼を隠すレンズを付けるには、生まれつきの白い腕を何かしらで隠さなければならない。
まあ腕だけならばまだ言い訳が立つだろう。皮膚病だと言えばいい。
だがこの竜の目だけは見せられない。ジラントと出会うまで、俺はまだ自分が人間だとかろうじて思えていた。
だが違う。俺は怪物だ。恐らくジラントの同類なのだ。
手探りでグローブを回収した。覚えがないが床に脱ぎ捨てていたようだ。
それを毛布の下に隠して身に付けると、やっとまともな感情が戻ってきた。
後はどうにか小箱を探し、レンズを眼球に装着すれば危機は回避される。
――はずだったのだがな。ところがカチュアだ。細身で背の高い彼女が俺の腰の上に、つまりは毛布越しにのしかかった。
「おい……いきなり何を考えている……。俺はそういうのは要らんと言ったのだ」
「うっさいなっ、こっちだって色々あるんだって! オレはもう15だ! だからもう、どうすればいいのか、わかってるんだからな!」
グローブを付けた手で顔を覆いながら、もう片手でカチュアをのけようとしたが無理だった。
あのムダ毛村長め、余計なことをしてくれる……。
「ならあの村長にまたがって、今と同じことを言え!」
「絶対嫌だよそんなの! ていうかさ、なんでこっち見ないんだっ、そういうの傷つくぞーっ!」
「違う。こっちにもこっちの事情があるのだ……!」
「それに、なんで……寝てるのにそんなの付けてるんだ……?」
まずいな。目が暗闇に慣れてきたのか、カチュアが俺にまたがったまま全身を観察している。
グローブを付けて寝るやつが珍しいか。それはそうだろうな。
「これを付けていないと落ち着かないのだ」
「ねぇ、そんなのずっと付けてたらさ、手が水虫にならない?」
「ああ、余計なお世話だ」
「なんか怪しい……」
枕元に小箱を見つけた。普段は素手でやるのだが、今は仕方ない。引き続き顔を覆いながら、もう片手でレンズを眼球に運ぶ。
利き手に近い右目。それから左目に――
「ッッ――?!」
運ぼうとしたのだがな、不審に思われたようだ。
カチュアが急に前のめりになって、それからビクリと背筋を後ろにおののきのけぞらせた。
秘密を見られてしまったのかもしれない。
「どうした、急に怖じ気付いたか?」
カチュアは返事を返さない。
レンズを付けたのでこっちは夜目がさっきより利かなくなっている。世界が暗く彼女の表情が見えなかった。
それからしばらく経った。するとカチュアがまた前のめりになって、不思議そうに寝そべる俺の顔をのぞき込んだようだ。
「なぁ、さっきその目、光ってなかったか……?」
「猫じゃあるまいし、そんな人間がいてたまるか。大方、月の光が反射しただけだろう」
「でもさっきまでずっと、顔隠してたじゃんかよ」
うら若い少女が男にまたがって、いつまでも覆いかぶさっている。
男の瞳をまじまじと見つめて、吐息を鼻先に漏らす。それは欲情ではなく、無垢な好奇心だ。
「カチュア。さすがにそれは近過ぎる」
「ぁ……」
好奇心というのは強く原始的な感情だ。
動物が生き延びるために、元から持っていた物だ。よって一度とらわれると、他に意識が向かなくなる。
しかしようやく自分の行いに気づいたようだ。暗闇の中でもわかるくらい、カチュアが興奮に頬を染めた。
「うっ……で、でもっ、でも村長はっ、たぶん……。こうしろって、オレに言ってたんだと思う……。お金、あまり払えないときは、この前も、他の人がこうして……」
「だからそんなものは要らん」
「オ、オレに色気がないからかよっ!?」
「俺は女目当てでこの里に来たのではない。俺は――己の腕を試したくて来ただけだ」
皇帝家の一員として、誰も救おうとしない村を救いたかった。
それとあの受付と邪竜の書にそそのかされた。とは言えんがな。
「でもそれじゃ、うちの村長が納得しない。オレとラッキー叔父さんが、怒られちゃうよ……」
「そういうものか」
しきたり、というやつだろうか。
そういう融通の利かない世界は、ゲオルグの頭と宮殿の中だけで十分だ。
「たぶん……。ねぇシンザ、本当に何もしないの……? オレ、男の子みたいで、興奮しない……?」
いいや、アンタは背も高くて顔も整っている。
もう数年したら、村の男どももアンタの魅力に気づくだろう。
「その返事はこの場で答えるべきではないな。仕方ない、隣で寝てくれ。生憎な、明日もやりたいことがあるからな、ベッドは譲れんぞ」
こんなに腕の良い弓手と添い寝できるだけで役得だ。
これなら冒険者になりたがるのも納得だ。とはいえシグルーンみたいな無双の戦士とは言い難い、俺だって心配になる。
「本当にいいの……? オレに、エッチなこと……してもいいよ……? 付いてろって、そういう意味だろ……」
「しつこい。早く寝るぞカチューシャ」
「う、うん……じゃあ、ふつつか者だけど、お邪魔します……」
「ああ、これで解決だな」
カチュアはどうやら緊張していた。関節を折り曲げることすら、忘れかけるほどにな。
だが悪いなカチューシャ。こっちは大仕事の反動で疲れ切っている。朝まで熟睡など、芋を煮るより余裕だった。




