21-3 天の至宝 神の消えた楽園
シグルーンが俺の援護に回らなかった理由が後からわかった。
深々と黒騎士の胸にスコップの切っ先が刺さり、核とおぼしき小さな玉を貫いていた。
なのにヤツの剣は、俺と同じように刺突を選んだはずの剣は、俺の目前で手放され、地へと弾き飛ばされていた。
「なぜ……なぜ手を……。お前は、狂っているのでは、なかったのか……?」
黒騎士――いや、白騎士の兜が外れるとその下には醜い顔の男がいた。
彼はやすらかに笑っていた。
「そうだ……だからこそ、こうした……。敬愛する、あの方の愛したこの天上を――世界をアビスに染めたいというこの感情を、狂気と見なして……忠義を、果たした……。私は狂っている……今日まで、確証、が……ぅ……。ぁ……」
何を見たのだろうか。俺が殺した公爵の幻影でも見たのだろうか。
彼は俺の目の前で崩れゆき、最後は白い砂となって世界から消えてしまった。
俺もまた手からスコップをこぼれ落とし、肉体の限界に両手両膝を血だまりに突いた。
それはシグルーンも同じはずだが、彼女はなぜか踏みとどまっている。
それが誰かを見ている姿だと気づき、後ろを振り返ると――新たな群生がいた。それだけではない、そのうちの一人に俺たちは見覚えがあった。
有角種の箱船の底、アビスの大門――またの名を地獄門を守護していた男だ。
アビスの戦士たちが、一人の美しい貴公子の後ろに控え、何をするつもりなのか平伏した。
「誰だ、アンタ……? おい、待て、シグルーンッ、ヤツを止めろ!」
「こらーっ、どけっ、でかいやつ!」
地獄門の戦士がシグルーンの突破を防いだ。
そうしているうちに、俺たちの目の前で妙な男が結界をこじ開けてゆく。
すぐにそれは破壊され、祭壇に男が上っていった。
立てない。もう肉体の限界を越えている。どう力を振り絞っても足が動かなかった。
俺たちはみすみす、己の目の前で、世界を滅ぼす力を後からきたやつに奪われてしまった……。
ところが何を考えたのか貴公子は天の至宝を手に、俺の目の前に戻ってきた。
「ハイエナめ……。それは勝利宣言のつもりか……?」
ちなみにハイエナというのは、あちらの世界の猫あるいは犬の名だ。
どちらなのか明確な定義が俺は欲しかったのだが、よくわからない。とにかくそれは得物を横取りする悪い犬、あるいは猫のような何かだ。
「いや……これはここには要らない。邪魔なので持って行け」
「な……なんだとぅぅっっ?!!」
彼は俺の前に膝を落とし、血だまりに膝を汚しながらも俺と同じ目線まで下げた。
それから天の至宝を俺に譲るというのだ……。
今気づいたがコイツ、アビスの存在ではない……。だが、人間でもない……。
「お前は……」
「白騎士のことは残念だった。私を見守ってくれるやさしい子だったが、主君の裏での暗躍を止めない野心家でもあった。至宝を前にしたそのとき、きっとこうなることだろうと思っていた」
続いてジラントが現れた。
光より現れた彼女は俺の隣で立ち尽くし、貴公子の姿に目を見開いていた。
「まさか、そなたは……だが、なぜ生きている……? 貴様はアシュレイが確かに殺――」
「ああ、そういうことか……」
「貴様――アシュレイッ、貴様っ、我が輩を謀ったなっ!?」
「アンタあの爺さんか」
貴公子やさしく微笑む。その微笑みに覚えがあった。
それから少し彼と、ア・ジール帝国の空にあるやつに似たお宝を見つめて、妥協した。
差し出されたままの天の至宝を俺は受け取ったのだ。
「せっかく世界でもっとも安全な場所で保管されていたものを、要らないからくれると言われても困るんだが……。アンタにとっては、真実邪魔な物なのかもしれんな……」
気高き白公爵ヴェノムブリード――いや、かつてこの天上に君臨していた神からの贈り物だ。貰わなければ失礼だろう。
「そうだ。アシュレイ皇子は我を殺すと見せかけて、アビスの力だけをえぐり抜いておいて、我を生かした。穴を掘るだけが能の初代皇帝アウサルに出来なかった、彼だけの奇跡の力だ。疲れているところ悪いが、彼らも元の姿に戻してやってくれ」
「さすがは元創造主だな、人使いが荒い……」
ダメで元々のつもりだったが、人間なせばなるものだな。
美しいありのままの姿を取り戻した彼に、その繊細な手に助け起こされ立ち上がると、俺は一人ずつ順番に、魔貴族と呼ばれた者たちからアビスを切り離した。
「信じられない……。あの頃の姿を……清らかな心を取り戻せたなんて……」
次々と、ある者は美女、ある者は美男子、またある者は天使の姿に変わった。いや、戻った。
成功率100%は誇ってもいいだろうな……。
「わはははっ、見ていて面白いではないか! おいシンザッ、そこの死にかけのやつにもやってやれ!」
「かまわんが……端から見れば、敗残兵を処刑しているように見えるのだろうな」
アビスに堕とされ、あるべき姿を失った者たちを、俺は元に戻して回った。
まあ、こんなものだろう。しかしジラントが全く喋らんな。
奇書の方ならば何か言葉をくれるだろうかと、目次を開く。するとそこには――
『馬鹿者ーーッッ!! やったならやったで、報告くらいせんかっ、心臓に悪いっっ、馬鹿者!!』
そうは言っても、死ったら知ったで情けをかけるなと俺とアンタが文句たらたらと揉めるのは見えていたぞ。
俺はただ黙っていただけで、アンタに嘘は吐いていない。
『屁理屈をこねくり回すなっ! 我が輩を騙した時点で重罪だ、まったく貴様という男はっ、馬鹿者め!』
不毛なのでページを閉じ、ジラントの態度が昔に戻ってくれたことを俺は喜んだ。
それから放置してしまった元創造主様へと目を向ける。彼は変わらずやさしく笑っていた。
「本当に貰っていいのか? 返せと言ってくれたら喜んで返すぞ?」
「私はずっと君を見ていた。それは君が所有するべき宝だ。さあ、秘宝に触れなさい。次元を渡る竜、ジラントのことを少しでも不憫に思うなら……。この世界を少しでも大切に思っているなら、君がその力を管理するべきだ」
「どういう理屈だ……」
「君は人間に生まれながらも、至宝を前にして正気を失わなかった。君は至宝に飲まれない、この世界でただ一人の存在だ。君ならばそれを正しく扱える」
そう言われてもな……。
そんなものは希望的観測ではないのか? まあ、最初から神の座にも、創造の力にも全く興味がないことは、保証できるが……。
「……。まあいい、ここにあるよりはマシか……。取りあえず貰っておく」
「おいっ、そんな気軽に創造主の力を受けとるな、馬鹿者っ!」
「わはははっ、いらなくなったら拙者にくれっ、星を落としてみたい!」
「わかった」
「冗談でもそういうことを言うなっ、世界を滅ぼす気かーっ!!」
そうだな、そうなるかもしれん。
だが意外と上手くやったりするかもしれんぞ。コイツも俺と同じ馬鹿側の人間だからな。
「皇子よ、何か感じるか?」
「いいや、何も」
これで俺は全知全能の創造主なのか?
かつてこの力に染まった者は、あまりに強大な力を得たゆえに道を踏み外し、自らが生み出した種族を苦しめたという。
だが……俺には無用の長物だ。
何かを作る気も、滅ぼす気も、変える気もない。
「しかし驚いた。天上に帰りたい――本当にそれだけがアンタの願いだったんだな。さっきの時点で、神の座に戻ることだって出来ただろうに……」
「私は私が器ではないことを、とうの昔に突きつけられている。……知っているか? 知能なき天使サマエルはな、私たちが仕えていた主をモチーフに作ったのだ。私たちもまた、サマエルと同じ裏切り者だ。だからサマエルは愛され、罪滅ぼしに大切にされてきたのだ」
「その話はどうでもいい。それより俺も帰りたくなった、もう帰ろう、ジラント、シグルーン」
「ならば肩を貸せ、おっぱいくっつけてやるぞー!」
「このアホーッ! 神聖なる祭壇をなんだと思っておるっ! お、おいっ、本気で帰る気か、アシュレイッ!?」
「ククク、父上ではなかったのか?」
「父上がこんなアホなことをするかーっ! 貴様は父上だが、父上以上のアホだ!!」
シグルーンに肩を貸して、半ギレのジラントにはしがみつかれた状態で、俺は天上から地上に帰った。
天の至宝が俺の中にあるのならば、俺が道を誤らない限り世界は救われる。
「くたびれたな……。何か飯でも食ってから帰るか」
「それだっ! 酒場に繰り出すぞーっ! 拙者が店を蹴り破ってでも飯を酒を出させてやろうっ!」
「貴様らはもうちょっと英雄らしい行動を取れ……。天上から帰ってきて、二言目が飯と酒というのは、何か間違っている気がするぞ……」
初代皇帝は不老不死だったという。
そして最後は、別世界を夢見て相棒のユランと共に旅立った。
今ならば世界を去った理由がよくわかる。永久に続く義務など拷問と変わらん。
俺も頃合いが来たら、ヤツにこの力を突き返して、ジラントと共に異界に渡ろう。
「それは――それはまあ、悪くないぞ、父上」
そう物思うと、ジラントに思考を盗み聞きされていた。
「出し抜かれて怒っていたんじゃないのか?」
「あんなもの見せられたら怒る気も失せる。それに……いつの日かそなたが老いて、我が輩の前から消えるのは惜しいと思っていた……」
「そうだな。父親を二度も失うのは苦痛だろう」
「アシュレイよ、永久に我が輩と共にあれ。永久に我が輩と一緒にいてくれるなら――我が輩はこれからも笑って生きていける。これは命令だ、永久に我が輩と共にあれ!」
「いいぞ。それよりあの店なんてどうだ、シグルーン?」
「よし、3回ノックして出てこなかったら蹴破るか!」
「そこはもう少し待ってやれ」
「き、貴様らという連中は……我が輩の一世一代の願い事を『いいぞ』の一言で軽く済ませるな、馬鹿者ーッッ!!」
さて、何を食うか。
帝都に戻ったら、おばさんの店でケバブサンドを注文しないとな……。
10回ノックしても出てこないので、やむなく店の入り口は蹴破った。
……すまん、腹が減っていたのだ。




