19-12 ただの一度も選ばれることがなかった種族 1/2
三角帆は先人の偉大なる発明だ。
横からの風を受け止めて、それを前への推進力に変えようだなんて、そうそう思い付くことではない。
船に詳しくない者からすればそれはちょっとした魔法で、そして俺たちは今、その海洋ロマンをぶち壊しにしている真っ最中だった。
船団を加速させるキャラルの能力に、移動速度LV2の力が加われば、スクーナーが原理無視の爆速で蒼海を駆け抜ける。
珊瑚礁が生み出す碧色の海が瞬く間に消え、陸地もまた地平線の彼方に飲み込まれ、広大な大海原をスクーナーが跳ねた。
あまりの快速に甲板には激しい水しぶきが飛び散り、嵐のような風が帆と船尾を押す。
邪竜の書の記載によると、キャラルの乗る船はどんな状況にあろうとも順風に変わるそうだが、俺はそれを軽く見ていたようだ。
ふたを開けてみればそれは、正面からの空気抵抗を緩和し、さらには加速を加速で後押しするとんでもない力だった。
「わはははっ、まるで船が海面を跳ねているみたいではないかっ! おいこらそこの水夫、なぜ帆を縮めてしまうのだっ!?」
「速過ぎてマストが壊れないか心配だからに決まってるでしょ! それよりシグルーンはそんなところにいないでこっちに来て!」
これだけの風を受け止めると、帆の管理もそう簡単ではない。
キャラルの指示で水夫たちが帆を調整して、推進力を四苦八苦しながら調整していた。
シグルーンのやつは艦首が気に入ったそうで、海水をぶっかぶろうとも、船が波に跳ねて己が落船しそうになろうとも、その定位置から離れようとしない。
『ククク……愉快な奇跡もあったものだな』
ジラントもその同類だ。何が気に入ったのかマスト上部の見張り台に上って、海の彼方を眺めていた。
今日を含めて二日の旅路を想定していたのに、もしかしたら今日中に向こう岸のメルクェルに着いてしまうかもしれない。
「あ、シンザは下で休んでていいよ。だって、あの人たちがおかしいだけだから……」
「いや俺もここでいい。下にいようと上にいようと、揺れるのは変わらないからな。ならアンタの隣の方が楽しそうだ」
「そ、そう言ってくれるのは嬉しい……。でも船の上の私って、勇まし過ぎてシンザを幻滅させちゃうかも……」
「いや、俺に遠慮せずに存分にやってくれ。ありのままのアンタを見てみたい」
「そういう問題じゃないよっ!? それに注目されると、もっとやりにくいからっ!」
『やれやれ、乙女心のわからんやつだ……』
マストの上を見上げると、ジラントが流し目でこちらを見下ろしていた。
乙女心か。俺には一生理解出来ないかもしれんな……。
「わかった、操帆を手伝おう。見習い水夫だと思ってこき使ってくれ」
「シンザってさ、どこからもどこまでも皇子様らしくないよ……。ああもう、わかったよ。こき使ってあげるから覚悟してよねっ!」
「望むところだ。こっちも常々、ヘズ商会の水夫になってみたいと思っていた」
「じゃあ、永久就職とか、する……?」
「それも悪くない。帝国が帝国が秩序を取り戻したら、南の最果てに俺を連れて行ってくれ」
「うん、いいよ。シンザが行きたいところ、連れてく……」
なぜだかしおらしいキャラルに仕事を割り振ってもらって、俺は屈強な水夫と持ち場を交代した。
力がいて何かと繊細な仕事だったが、操帆士になるのも悪くないと思った。
・
こうしてその夕、俺たちは滅亡都市メルクェルに到着した。
道案内をしてくれたのはジラントだ。
見張り台に登っていたのは見晴らしと風とスリルを求めていただけではなく、船をここに導くためだった。
第一印象は砂漠の町――いや、砂漠の廃墟だ。
港は大きかったが人影がなく、こうして陸に上がってみると、砂塵があちこちに堆積していてどうにも滑りやすい。
港もその奥の町も静まり返り、まるで巨大な墓標となってそこに都市だけがたたずんでいた。
最果ての荒野に飲み込まれたせいか、空気が乾燥していて、町の保存状態は極めていい。
いや、もはやこの場所は、遺跡と呼んだ方が正しいだろう。
「これが滅亡都市か! この感覚、ゾクゾクしてくるなぁ……!」
「町は綺麗なのに、生活の気配がないとか……」
ご満悦のシグルーンとは正反対に、キャラルは常人の感性で正常な感想を述べた。
水夫たちも同様だ。彼らは迷信深いため、肌で感じられるものに対して正直だ。
「船に残るなら残っていいぞ」
『うむ、数は絞った方がいい。そなたとシグルーンだけで問題なかろう』
「いや、俺とシグルーンだけで行くか」
「そう言ってくれると信じてたぞ、シンザァァーッッ♪」
「わ、私も行く! だって……シンザとシグルーンだけとか、どっちも強いけど人格的に不安だよっ!」
一理ある。スクーナーからキャラルがこちらに下りてきたので、俺は滑らないように彼女の手を取った。
「おわっ?!」
「言い忘れたが滑るぞ」
「もっと早く言ってよ……っ!? ぅ、ぅぅ……」
背中側から彼女の背中を抱いて、どうにか支え込んだ。
するとよくわからんが、水夫たちが俺たちにはやし立てるような口笛を次々と吹いた。
どうもそれがキャラルの羞恥心を刺激したようで、彼女が真っ赤になってゆくのを俺も見た。
「さて行くか。シグルーン、前を頼む」
「任せよっ。最果ての怪物が現れようとも、このギュィィーンッとくる剣で、切断してくれようっ!」
「止めてくれ、そんなことをしたら、ますます敵を呼び寄せることになるぞ」
「それはいいなっ!」
「いや全然よくないってばーっ!」
店番を水夫たちに任せて、俺たちは廃墟と化した都市部へと向かった。
どうも妙な感じだ。メルクェルに到着したというのに、まだ邪竜の書が反応しないのには、何か理由があるのだろうか。
 




